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空前絶後の華やかさ「東京音楽祭」世界大会のパーティーではスティーヴィーが歌い出す!

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1981年03月29日 第10回「東京音楽祭」開催日

1972年にスタートした「東京音楽祭」


今から50年以上前、世界のアーティストたちが日本に集結する『東京音楽祭』というイベントが開催されていたことはご存じだろうか?

これは、TBSが設立した『財団法人東京音楽祭協会』が主催する国際音楽祭であり、1972年の第1回から、1992年の第20回まで行われた。この音楽祭の生みの親は、当時TBSのプロデューサーでありながら、フランク・シナトラとも友人関係という渡辺正文(通称:ギョロなべ)氏。後に、彼をモデルにしてなかにし礼が『世界は俺が回してる』という小説を書いている。

大会は「国内大会(ゴールデンカナリー賞賞選出大会)」「国内新人大会(シルバーカナリー賞賞選出大会)」、世界各国からアーティストが参加する「世界大会」といった3つの大会で構成され、各々の大会の模様はTBS系テレビ、ラジオの同時生中継で放送した。テレビでは、この3つの大会の他に、世界大会直前の「レセプションパーティー」、直後の「さよならパーティー」を加えた5つもの番組が編成された(1987年からは「アジアデー」も開催)。TBSにとっても年末の『日本レコード大賞』と共に2大音楽イベントの双璧であった。また、この1年前に始まった、ヤマハが主催する『世界歌謡祭』と共に、日本で開かれる2大国際音楽祭でもあった。

第1回世界大会グランプリは雪村いづみ


第1回は1972年5月、日本武道館で行われ、世界大会にはアメリカを始め、イギリス、フランスなどヨーロッパ、アジア各国からエントリーされたアーティストが集結。以降、毎回スペシャルゲストのショーをはさみながらグランプリや各賞が決まっていった。第1回の世界大会グランプリは雪村いづみで、それ以降は、大ヒットした「ミドリ色の屋根」を歌ったルネ・シマールをはじめ、ナタリー・コール、アル・グリーン、リタ・クーリッジ、ディオンヌ・ワーウィック、ノーランズ、ライオネル・リッチー、さらに「愛と青春の旅立ち」を歌ったジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズ、クール&ザ・ギャングなど、錚々たるインターナショナル・アーティストがステージでグランプリを受賞した。

グランプリは逃したものの、フリオ・イグレシアス、スリー・ディグリーズ、オリビア・ニュートン=ジョン、コモドアーズ、ザ・ランナウェイズ、スタイリスティックス、シャカタクなどがステージを飾るというこれ以上ない豪華な顔ぶれ。さらにスペシャルゲストとして、ジャクソン5,サミー・デイヴィスJr.、フランク・シナトラ、ポール・アンカ、ダイアナ・ロス、ドナ・サマー、スティーヴィー・ワンダー、アンディ・ウィリアムス、バリー・マニロウ、アイリーン・キャラ、ハリー・ベラフォンテ、アース・ウィンド&ファイアー、シーナ・イーストンといった世界的スーパースターが参加した、今では考えられない空前絶後の音楽祭だった。

全く予期せぬスティーヴィー・ワンダーのサプライズ・ライブ


私は、1978年に武道館で行われた第7回世界大会にADとして初めて参加したが、目の前でダイアナ・ロス本人が歌っているのを見て、あまりの迫力と存在感でしばし身動きができなかったことを思い出す。

一番印象に残っているのが、1981年の第10回で、これもまたADをしていた時だ。武道館の世界大会終了後、会場となる東京プリンスホテルで夜11時から「さよならパーティー」の模様を生放送した。放送終了後、まだ余韻の残るパーティー会場では、日本のグループ、スペクトラムの演奏が予定されていた。その時、フロアにいた私に、海外のコーディネーターが近づき一言ささやいた。“スティーヴィーが歌いたがっている!” 。そう、この時のスペシャルゲストだったスティーヴィー・ワンダーがパーティー会場で突然歌いたいと言ってきたのだ。

私は中継車のディレクターにその旨を伝えると、急遽その模様をVTRに収録しようという話になり、演奏する予定だったスペクトラムの楽器をそのまま使って、スティーヴィーとバンドが演奏を始めたのである。さっき武道館で歌ったばかりなのに、全く予期せぬスティーヴィー・ワンダーのサプライズライブ。他の受賞者、出演者も入り乱れて会場は大熱狂、パーティールームはライブハウスかディスコに様変わり。1時間以上のライブが終わったのは夜中の1時を回っていた。

もちろんこの模様は、後日急遽TBSで放送された。私にとっても夢のような信じられない時間であった。ちなみにスティーヴィーはこの日歌いすぎて、数日後の自身のコンサートでは声の調子が悪かったらしい。

世界的アーティストとは思えないほどチャーミングなシーナ・イーストン


次に私が担当したのが、1989年第18回の世界大会の総合ディレクターである。この時のスペシャルゲストはシーナ・イーストン。80年代には「モダン・ガール」や「モーニング・トレイン」などのヒット曲を次々と出し、アイドル的人気も持ったシーナ・イーストンはイギリスのスーパースターだ。

私とプロデューサーはロサンゼルスに飛んで彼女と打ち合わせ。日本の歌手では考えられない、控室の空調、内装からケータリングの食事、飲み物まで細かい要望に1つ1つ答え、長時間のミーティングを行って分厚い契約書にサインをした。疲労困憊だったが、シーナはとてもフレンドリーで世界的アーティストとは思えないほどチャーミングな人だった。

そして6月、世界各地からのアーティストを迎え、日本武道館で世界大会が開かれたのだが、彼ら海外からのアーティストを引率したのが、通称タケさんというコーディネーターの清水さん。このタケさんが傑作で、実は英語が全くしゃべれない。なのにすべて日本語で海外からのお客様をきちんとアテンドしステージに上げてくれた。このタケさんの語録がスゴイ。“マイフェイス・スタンダップ” は “俺の顔を立てろ”。“エイティーンナンバー・プリーズ” は “お前の十八番をやれ”。これで相手に通じたから驚きである。

1992年の第20回で「東京音楽祭」は終了


とにかく私が担当してきた『輝く!日本レコード大賞』や『ザ・ベストテン』とも違う、スケールが壮大でダイナミックな世界的イベントの演出ができたことは私の生涯の喜びであり誇りである。音楽祭はバブルが弾けた1992年の第20回で終了した。その後ヒップホップやダンスミュージックの時代になり、現在も続いていれば50回を超え、華やかで歴史あるイベントになっていたかと思うと残念な気持ちもあるが、あのキラキラと華やかな時代の『東京音楽祭』を次の世代に語り継いでいきたいと思っている。いつかまた “新・東京音楽祭” が復活することを夢見ながら。

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