神保町『キッチンカロリー』、その店名に込められた一生の物語。学生から働き人まで胃袋を支え続ける
店長が「店の前を通った女子学生が『カロリーだって!』って笑うんだよ」という店名、なぜこうなった!? そこには必死で幸せをつかみ、分け与えようとした人物の物語がありました。
「安くてうまいものを腹いっぱい食べさせたい」
終戦間際、中国の戦場で若い兵士が倒れました。飲まず食わずで逃げ続け、もう体が動かない。
しかし「何かなかったか」とポケットに手を入れると、そこにはカチカチの煮干しが。口に含み、咀嚼(そしゃく)して溶かし、少しずつ飲み込むと……兵士の長男で『カロリー』の現店主・江本篤哉さんが話します。
「『指先までエネルギーが伝わっていった』って言ってましたよ」
戦後、進駐軍向けのデパートで働くや、彼は毎朝早くから掃除をして店長に抜擢(ばってき)されます。すぐに貴重品のコーヒーをうまいこと手に入れ売りさばくなど、やっぱりたくましい。洋食店を始めようと思い立ったのは1953年のこと。兵士の三男でカロリーの姉妹店『ザ・ハンバーグ』高田馬場店の江本健吉さんはこう話します。
「若い人に安くてうまいものを腹いっぱい食べさせてあげたい、って思いが強くて始めたそうです」
東京のどこに店を出そう? 道端で占ってもらった手相屋さんの答えは「御茶ノ水」。店名は、後世の私たちに「生きることの原点を忘れんなよ!」という熱いメッセージにさえ聞こえます。看板メニューは「カロリー焼き」。熱い鉄板、焦げるスパゲティ、その上に牛肉の薄切りとタマネギのニンニク醤油炒めが目にも香ばしい!
「料理人の腕は、限られた原価でいかに楽しんでもらうかです。その点、鉄板で出せば目で見て楽しくて香りも飛ぶから、それほど原価をかけず五感で楽しんでもらえますよね」(健吉さん)
……そして平成の世、冴えない学生だった筆者が『ザ・ハンバーグ』でバイトをしておりますと、たまに怖い爺(じい)さんが店を見に来ます。「いらっしゃいませ!」の声が、言われたお客さんがビビるくらいデカい。注意もしてきます。タマネギを炒めていると「フライパンの底から火がはみ出ててもったいない」と。正直「ケチくさいな。オーナーらしいけど早く帰らねえかな」ってなものです。
しかし爺さんは、まかないハンバーグタイムがきても帰りません。私が若干ビクつきながら目指せ東京ドームと言わんばかりにライスを盛って食べ始めると、彼は折あしくこっちに来ます。そして、私を見てこう言ったのです。
私は、一生、忘れません。
「もっと食えよ」
その後わりとすぐ、オーナーは旅立ってしまいました。後に篤哉さんに聞くと、彼の家庭は「いっぱい食うやつがエライ!」雰囲気で「会社は人が育たないと成長しない」とも仰っていたとか。
そんなカロリーの建物がある場所も再開発で変わっちゃうらしい。篤哉さん、どうするんすか?
「しばらく別の場所で営業して、ビルが建ったらそこで再開しますよ。何かなかったらお店はここまで長く続きません。おやじが始めたものを絶やしたりしませんよ」
彼が続けるのは変わった名前の定食屋? いえ、それは『カロリー』という名の幸せな物語——。
キッチンカロリー
住所:東京都千代田区神田小川町3-10 /営業時間:11:00~16:00/定休日:木/アクセス:JR・地下鉄御茶ノ水駅から徒歩6分、地下鉄神保町駅から徒歩5分
取材・文=夏目幸明 撮影=中村將一
『散歩の達人』2025年5月号より