プラモデル好き必見!貴重な箱絵のリアルさに圧倒。 めったに見られない貴重なボックスアートを公開中!駿府博物館/静岡市
「模型の系譜―静岡から世界へ プラモデル100年展」。貴重な箱絵も見どころ
静岡市駿河区の駿府博物館で開催中の「模型の系譜―静岡から世界へ プラモデル100年展」では、貴重な模型に加え、プラモデルの部品が入っている箱に描かれた完成予想図「ボックスアート」を展示中です。
半世紀以上前の貴重な作品が中心ですが、大切に保管されていたのでしょう。色鮮やかで創作当時とほぼ同じコンディションで作品を鑑賞できます。今回は、プラモデルメーカー「アオシマ」の作品を手掛けた画家のうち、上田毅八郎氏と梶田達二氏を紹介します。
戦争で右腕の自由を失い、左手で―上田毅八郎
箱絵画家・上田毅八郎氏(1920~2016)は太平洋戦争で兵士として26隻の船に乗り、6回沈んだという歴戦のつわものです。上官の目を盗んで見かけた船や飛行機の絵を描き、軍事郵便で自宅に送っていました。
太平洋のほぼ中部に浮かぶ「トラック島」では戦艦大和、戦艦武蔵を見たこともあります。1944年11月に6回目の沈没に遭ったとき、右腕の自由を失いました。陸軍病院で9カ月間、利き手でない左手で船を描いて、画力を取り戻しました。
戦争の経験がしみついているため、ボックスアートを描くのに苦労したことはないといいます。波の形も、実際に見た人ならではのリアリティーがあります。
模型会社から注文を受けると、5、6枚描いて選んでもらっていました。船などの構造を頭に入れてから下書きを何度も描きました。直線は定規を使いましたが、あとはフリーハンドで正確な描線を表現しました。月に10枚、年間で120枚描いていたといいます。50年間、画家を続けてきたので6000枚の作品を残したことになります。
1日1枚のペースで描いた時期もある売れっ子―梶田達二
箱絵師・梶田達二氏(1936~2011)が箱絵の描き始めたのは1962年ごろ。当時のアオシマの社長、青嶋一郎氏が東京の自宅まで来て誘ってくれたのがきっかけです。絵は通信教育で学びました。最も多忙だったは1日1枚は描かないと間に合わなかったといいます。アオシマは社内を5つの班に分け、成果を競う形でした。5つの班から飛行機、キャラクターの箱絵の依頼が次々と舞い込んでいました。
梶田さんの技術で特に秀でていたのは、3方向から見た形を描いた平面図「3面図」から立体を描き起こすことができたことです。飛行機の翼の縁にもこだわりがあり、厚みをしっかりと再現できたといいます。
仕事の成果の発表の場で現在まで続く「ホビーショー」には行った記憶がありません。仕事にすべてをささげ、描き続けた人生でした。
◇参考文献:静岡模型全史 50年の歴史でつづる木製模型からプラモデルの歴史 静岡模型教材協同組合編
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■駿府博物館
住所:静岡市駿河区登呂3-1-1 静岡 新聞放送会館別館2階
開館:午前10時~午後5時
料金:高校生以上800円
駐車場:アピタ静岡店の駐輪、駐車場をご利用ください。