本当に駄目だと思う日が来ても「人生でしたい100のコト」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第13回は篠原さんの生きる楽しみの見つけ方のお話です。
※NHK出版公式note「本がひらく」の連載「卒業式、走って帰った」より
人生でしたい100のコト
私の密かな趣味は、500円玉貯金とバケットリストを作ることである。
500円玉貯金は、文字どおり、500円玉だけで行う貯金のことで、人生累計25万円貯めた。500円玉貯金をするときは、必ず、ページに500円玉を埋め込む穴がある、本の形をした貯金箱を使う。どことなく金貨っぽい見た目の硬貨がずらっと一列に並んでいるのを見ると、すごい宝物を手に入れた気持ちになる。
バケットリストは、生きているうちに自分がやりたいことを書いたリストのことだ。
子どものころから、よく書いていたのだが、『最高の人生の見つけ方』という映画で、バケットリストと呼ぶことを知った。映画の原題は、直球で、『The Bucket List』だ。
いくつ書いてもいいのだが、一般的に、100個挙げることが多いと思う。100個の願望を、優先度別に分ける人もいる。私は、バケットリストが趣味という割には、かなり適当で、時々思い出したように見返したり、書き足したりして、結局全部でいくつあって、今いくつ叶っているのかは、よく分かっていない。
「エアコンを掃除する」レベルのこともよく入っているので、リストを見た人に、それはバケットリストではないのではないかという指摘を受けたことがあるが、先延ばし癖のある私の中では、小さな夢と呼べるくらいには実現に努力の必要なことなので、立派なやりたいことだ。ちなみに「エアコンを掃除する」は、叶えるまでに5年かかった。同時期にリスト入りした「本を出版する」は2年くらいで叶い、エアコンがきれいになったときには3冊出ていた。
最近、このバケットリストを久しぶりに整理した。
赤ちゃんが産まれた瞬間、本気で、もう何も要らないと思った。物も地位も名誉も要らないと思った。
しかしその夜、地方で講演会をする夢を見た。私は、どうやら、思った以上に何も変わらず、仕事に意欲を燃やしているらしい。冷静に考えると、まだ欲しいものだらけだった。
それで思い立って、数年見ていなかったバケットリストを開いてみた。
大体、4割実現し、3割まだ実現していなくて、2割興味の対象が移っていて、1割はもう叶わない夢になっていた。
もう叶わない夢というとシリアスな響きだけど、正確に言えば、もう叶わないけれど、叶わなくても良いなと思っているものも多いので、全く深刻な話ではない。
そのころ「同級生の何人かがハマり出した、フルマラソンを私も走ってみようかなと思っていたけれど、腎臓が悪くなって、生活には支障がないけれど、フルマラソンは無理になった」とか、「具体的に誰が選ばれているとか、どうしたら選ばれるとか知らないくせに「FORBES JAPAN 30 UNDER 30」に選ばれてみたいなって思っていたことがあったけど、もう30歳になる」とかである。
そして、実現したことの一つが、この連載である。この人生で、ノンジャンルのエッセイの連載を持ちたいと思っており、いつの間にか叶っていた。まだ実現していないことには、「エッセイの単行本を出すこと」がある。ちなみに、叶わない夢になったのは、「『講談社エッセイ賞』を取ること」で、2018年に賞自体がなくなった。
一番長い間、持ち続けているのが、執筆に関する夢だと思う。小学生時代は、自分の書いたものを読んでほしいあまりに、みっちりと日記を書きつけた手帳をわざと開いて机の上に置き、友達の目に触れるようにしていた。今思うと、恥知らずとは言わないが、「恥」の概念がかなり世間の標準からズレた子どもである。そして、白状すると、高校生まで続けていた。そのくらい、読者が欲しかった。
つまり、皆さんは、20年前の私が見ていた夢そのものだ。
バケットリストは、真剣な目標の達成のために作られることも多いけれど、必ずしも全てを叶える前提で作らなくてもいいと思う。
重要なのは、自分の願望の確認だ。「やりたいこと」「欲しいもの」「なりたい姿」、そういった願望を把握しておくことが大事で、目標ばかりのリストは、スケジュール帳のようで少し気詰まりだと思う。
夢がある人生は幸せだが、夢に苦しめられる瞬間は間違いなく存在する。
子どもを育てたくて、妊娠出産を経験し、一つの夢が叶っている夏、私ができたかもしれない仕事を別の誰かがしているのを見たり、論文を投稿したかった雑誌の締め切りの日が過ぎるのを見たりして、ふと息苦しくなることがあった。まだ、この道の先に私の夢は続いているのだろうかと不安になりながら、文章を書く。書けない日も増えた。それでも、書く。絶対に叶えなきゃと思って書き続けているわけではなく、むしろその逆で、挫折しても良いと思えるから、バッドコンディションの中でも書けているのだと思う。
もし、いつか本当に駄目だと思う日が来ても、私の願望はあと99個あると思えたら、そんなに心強いことはない。1つ駄目でも、それは人生の終わりではない。そんなときは、叶えようと思えば、叶えられる願望を叶えて休み、また叶えるのに時間のかかる願望に向かえばいい。私は、もう駄目だと思ったときに買おうと思っている高額な物品が5個、行こうと思う場所は8か所ある。
そもそも、「いつかやりたいこと」を100個挙げるというのは、簡単そうに見えて、実はかなり難しい。「エアコンを掃除する」レベルのことまで挙げても、まだ70個くらいだったりする。リストアップする途中で「バケットリストを完成させる」を入れたくなる人は少なくないだろう。
だからこそ、完成したリストは壮観だ。
人生でしたいことがずらりと並んでいるのを見ると、これからの人生に宝物がちりばめられているような気がして、生きていくことがすごく楽しみに感じる。
心の中で密かに願っていることも、もちろん良いのだけれど、心の中に置いておくことの致命的な欠点があって、一度に一つずつしか取り出せないのだ。例えば、「ニュージーランドに行きたい」と「座禅をしてみたい」と「理想のソファを買ってみたい」と「レシピ本を出したい」を同時に思い浮かべることはできない。同時に思い浮かべようとしても、「ニュージーランドで座禅をして、理想のソファを買って、レシピ本を出したい」では意味が変わってしまう。一つずつしか思い浮かべられないと、いくつか思い出せなくなってしまうかもしれないし、一つしか持っていないような気がしてしまう日もあるかもしれない。
視覚的に並んでいるのを見ることで、私は素敵なものを十分にたくさん持っているぞという実感が芽生えるのだ。この気持ちは、500円玉貯金にかなり近い。500円玉貯金も中身の見えない貯金箱では、続けられなかったと思う。
最近、一から作り替えたリストには、新たな願望もずっと持ち続けている願望も混ぜこぜになって並んでいる。
「ミツツボアリを食べる」「銀食器を磨く」「人を誘える人になる」「博士号を取る」「小説を出版する」「ベーグルを焼く」「家を完全に片付ける」……などいろいろと。
どれが一番早く叶うか、自分でも全く予想がつかないし、次に開いたときにどれかは叶わなくなっているかもしれない。しかし、実現するかしないかは関係なく、今、これだけの望みがあるという事実が私を奮い立たせる。
私は、まだ、もう何も要らなくなんてないのだ。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈