45年分の感謝と惜別を込めて 読者がつづるイトーヨーカドー茅ヶ崎店の思い出
1月5日で45年の歴史に幕を閉じたイトーヨーカドー茅ヶ崎店。タウンニュース茅ヶ崎・寒川編集室では、同店にまつわる思い出を募集したところ、多くの読者からメールや手紙をいただきました。その一部を紹介します。
幼き日の思い出
1階の入口にあった、メリーゴーランドのように回るお菓子売り場。石でできたゾウさん滑り台で弟と遊びながら母の買い物を待った事。
ポッポでたこ焼きやソフトクリームを食べた事。なかなか遊ぶ事が許されなかった屋上遊園地や6階のペットショップやゲームセンター。大人の雰囲気だと思っていた地下のコーヒーショップで母とワッフルを食べた時の特別感。サンタさんにお願いするプレゼントを何にしようか下見したおもちゃ売り場や本屋さん。
1985年5歳の時に茅ヶ崎に引っ越してきた私が、数えきれないほど利用し、そこにあるのが当たり前だと思っていたイトーヨーカドー茅ヶ崎店。
閉店と知ってからも幾度と伺いながら、昔とは変わった部分が多いのに、各フロアを見渡すと思い返されるのは幼少期の姿だった事に自分でも驚きましたが、これだけの楽しい思い出を残してくれて感謝しています。ありがとうございます、大好きな場所です。
屋上のトランポリン
1番思い出に残っているのは屋上のトランポリンです。高校生の頃、テスト終わりなどに友達とキッズに負けないくらい、パンツ見えるんじゃないかくらい跳んでました。大笑いしてました。
雨の日の翌日、行ってクローズになっているとがっかりしたっけなぁ…。のんびりとした屋上遊園地が好きでした。屋上が閉鎖されてしばらく後、「ちがびー」というビアガーデンが開催されて久しぶりに屋上に入れて嬉しかったです!美味しいビールとサザンの(ものまね?)カバーバンドの演奏、吹き抜ける風、本当に気持ちが良くて素敵な空間でした。45年間ありがとうございました。
地域のオアシスだった
長い間、茅ケ崎駅前にあった、イトーヨーカドーが閉店すると聞いてからずっと、寂しい気持ちでいっぱいになっている。まだ、茅ヶ崎市内に、大型商業施設が、今のようになかった頃、イトーヨーカドーは、オアシスのような存在だった。衣料品や食料品等の、ショッピングを楽しむだけでなく、5階のフロアには、飲食店街があり、ファミールでランチを食べたり、その日の気分で、他店でラーメンを食べたりした。
屋上には、広い遊び場があり、子供たちが小さかった頃には、乗り物で遊んだりもした。変わり行くのは、世の倣いとはいえ、惜別の念を覚える。「長い間、思い出を、ありがとうございました。」
時代の終わり感じる
開店した時に見物に行き、ラジオの公開収録で毒蝮三太夫が来ていた記憶があります。
その後、縁あってヨーカドーが入居するカギサンで働くことになりました。そこで約20年ヨーカドーと一緒に仕事をしました。雰囲気が変わったのが創業者の伊藤雅俊さんが社長を代わった時でなんとなくギスギスした空気になりました。
今から15年前に転職したのですがその時にはもう閉店対象になるかもという話が出ていました。
今年私も定年を迎え、同時にヨーカドーも閉店になるとは、一つの時代が終わったと感じます。しかし駅前の一等地!またこれからどんな時代が始まるのか楽しみです。
テレビ収録を観覧
40年くらい前だと思いますが、イトーヨーカドーに大木凡人さんの「街かどテレビ11:00」が来ると聞いて観覧に行きました。小さかった私はおばあちゃんに連れられて、ワクワクしながら見に行った忘れられない思い出です。
家族で買い物に
私の娘は今長女46歳、次女43歳です。茅ヶ崎と言えばイトーヨーカドーで買い物をするのが定番でした。
その娘が小学校低学年の頃だったと思いますが、地下の食品売場のすみの方にソフトクリーム屋さんがあって子供達2人でそこですわってソフトクリームを食べてなさいと言って私達夫婦2人で食品売り場で買物をするのが定番でした。
考えたら今の時代そんな事をしたら大変な事になりますよね。思い出しながら涙が出てきました。長い間ありがとうございました。
鳩のマークにホッとした
まだペデストリアンデッキもなく、茅ヶ崎駅といえばイトーヨーカドーとダイクマの存在感が大きかった高校時代。放課後になると、「とりあえず駅行く?」とヨーカドーに向かうのがお決まりでした。
あのガラス張りのエレベーターに乗って外にいる仲間に向かい一発芸をしたり、ポッポでたこ焼きを食べながらいつまでもバカ話で盛り上がったり、婦人服売り場でバイトを始めたクラスメートをこっそり見に行ったり……。
社会人になって都内に通うようになってからは、鳩のマークを見ると茅ケ崎に帰ってきたなとホッとしたものでした。
数多くの想い出がつまったヨーカドー。こんなにも閉店が寂しく感じたのは、人生で初めてです。