125年前ハワイに到着した移民 ”人は奴隷そのもの…牛や馬のほうが大切に扱われた” 海を越えた先駆者たち
いまから125年前の1900年1月8日、沖縄からの移民がアメリカ・ハワイに到着し、今や40万人以上とも言われる世界で暮らすウチナーンチュ(沖縄にルーツを持つ人)の先駆けとなった。 そのハワイ移民1世たちの暮らしを記録した貴重な資料が近年発見され、注目されている。移民研究の重要な記録は先人たちの苦闘を伝え、次世代に希望を託した人々の物語があった。
移民の苦難の歴史を描いた映画「ハワイに生きる」
映画「ハワイに生きる」 より 「ワイパフ街に西原村出身のアラカワさん一家が経営するハワイ屈指の大百貨店があります」
映画「ハワイに生きる」は、沖縄からのハワイ移民65周年を記念して制作されたドキュメンタリー映画で、沖縄を離れハワイで生活の基盤を築いた人々の暮らしぶりが紹介されている。
企画・制作を主導したのはハワイ県系2世の比嘉太郎。 アメリカ兵として沖縄戦に従軍し、ガマに潜む住民に投降を呼びかけ多くの命を救い、戦後は焦土と化した沖縄の復興活動に力を尽くした人物だ。
映画では1世たちの苦難の歴史が語られている。 映画「ハワイに生きる」(企画:比嘉太郎)より 「牛や馬と同様、否、人間よりもむしろ牛や馬のほうが大切に扱われたのでした」 「奴隷そのもので、あの時の苦しさは到底口では言い表すことができないとまで言われています」
ハワイ移民に関する貴重な資料の発見
1900年1月8日、チャイナ号でホノルルに到着した26人から始まった沖縄のハワイ移民の歴史。移民県・沖縄の先駆けとなったが、彼ら1世たちに関する記録は少ないという。 沖縄県立図書館 原裕昭さん 「『布哇(ハワイ)之沖縄県人』という本が1919年に出版されましたが、その次に出版されるのが1980年代です。60年のギャップがあって、これだけ成功しているハワイの人たちが自分たちの歴史を何で残していないのかというのをずっと疑問に思っていました」
歴史の空白を埋める資料は2021年、和歌山県内の図書館で偶然見つかった。
沖縄県立図書館 原裕昭さん 「『布哇(ハワイ)沖縄県人発展史』という聞きなれない、今まで一度も聞いたことがないタイトルの本が並んでいるのを見つけまして」 本の発刊は1941年で、ハワイ全土で暮らす1世たちの40年史にあたる。 1世たちの短い伝記が書かれており、どこで生まれて40年間どういう仕事をしてきたのかが記されているため、沖縄県立図書館の原さんは、「ルーツを紐解く上でも非常に重要な資料だ」と語る。
サトウキビ畑での過酷な労働を耐え抜いた移民1世たちは、互いに助け合いながら養豚や養鶏、レストランなど様々な分野で活躍の幅を広げた。 本にはビジネスの成功者だけでなく、プランテーション農家など「名もなき人々」の40年が記録されており、1世たちが異国の地でどのように暮らしを発展させたかが綴られている。
本の著者は東風平(こちんだ)村出身の親泊義良(おやどまり ぎりょう)。14歳でハワイに渡り、邦字新聞の記者になった。
新聞社を退職後、親泊は沖縄県人会組織を束ねながら、40年史の編さんにあたった。 「布哇(ハワイ)沖縄県人発展史」より 「苦闘の歴史を探求し、その功績を将来に残すことは吾々におわされたる最大の義務」 親泊は各地の県人会組織に協力を呼びかけながら、ハワイ全土を飛び回った。
沖縄県立図書館 原裕昭さん 「1世の方々がだんだん衰微していくなかで、彼らがやってきたこと、今やっと芽吹き始めている沖縄県系人のことをちゃんと残そうという強い気持ちがあったんじゃないかなと思います」 1941年8月1日、「布哇(ハワイ)沖縄県人発展史」は東京で印刷、発刊された。 しかし当時、日米関係は悪化の一途をたどり、アメリカ政府は日本の商船の入港を禁止。完成した本は横浜港に止め置かれたまま、その年の12月、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった。
終戦の3年後の1948年、親泊は50歳でこの世を去り、「布哇(ハワイ)沖縄県人発展史」が人々の耳目に触れることはなかった。
厳しい環境を耐え抜いた1世たちの記録を後世へ
幻となったハワイ移民の40年史。しかし1人だけ本の行方を探す人物がいた。戦後の沖縄救援に奔走し、ハワイ移民の映画を制作した県系2世の比嘉太郎。 1982年に発刊した自伝で、40年史が戦火で焼失したと記している。
ハワイの青年会の一員だった比嘉は親泊の調査に協力し、親泊は次世代のリーダーとして比嘉に期待を寄せていた。 沖縄県立図書館 原裕昭さん 「親泊義良と比嘉太郎の手紙のやり取りが残されています。『お父さんやお兄さんが畑で働いているので県人会活動ができるのだから、親兄弟には感謝しなさい』など自分の利益を考えてはだめですよという内容を激励の言葉みたいな形で手紙の中で伝えています」
親泊は比嘉への手紙の中で、沖縄以外の日系移民への複雑な感情を吐露している。 「ある二世の轍」(比嘉太郎の自伝)より 「私共は長い間いじめられてきた沖縄県人です。一層の努力を発揮し県人社会はもちろん、一般日本人社会に認めしめるようお互い邁進しようではありませんか」 比嘉は戦後、焼失を免れた「布哇(ハワイ)沖縄県人発展史」が3冊だけハワイに送られたとの情報を得て、持ち主を探した。 「ある二世の轍」(比嘉太郎の自伝)より 「私はその人にお願いして書架を一緒に見せてもらったが、家の雨もりがひどく、ほとんどの本が朽ちてしまい、残念ながらどうする事もできなかった」 60年前、比嘉太郎が制作した映画「ハワイに生きる」の終盤では、移民1世の老夫婦とその家族が紹介されている。 映画「ハワイに生きる」(企画:比嘉太郎)より 「この大家族は與儀(よぎ)さん老夫婦二人から誕生したのでございます。この姿こそハワイ沖縄移民65周年の本当の姿なのです」
差別や迫害、厳しい労働環境を耐え抜いた1世たちと、ハワイで生まれ活躍する次世代への期待を込めた映画は、親泊義良が40年史で伝えようとしたものと重なる。 「ある二世の轍」(比嘉太郎の自伝)より 「同胞が歩まれたいばらの道、言語、風土の違う異国に新天地を開拓されたその辛苦は、実際を知ることは程遠い難事である」 沖縄県立図書館の原さんは、親泊義良や比嘉太郎らが次の世代に託したメッセージを多くの人に知ってもらいたいと話す。 沖縄県立図書館 原裕昭さん 「名もない方々がどういう風に苦労しながら、どういう風に頑張ってきたのかということは、私たちの人生観に影響を与えるほど勇気づけられる。歴史を知ることで沖縄のウチナーンチュネットワークを継承していくということにとっても重要な資料ではないかと思います」 125年前、新天地を求めて海を渡った移民たちの足跡は、未来へと繋がっていく。