【西区・今津】松林を散策、砂浜でのんびり!糸島半島の歴史を知る「今津元寇防塁」
糸島半島東部の付け根にある福岡市西区今津には「今津元寇防塁(いまづげんこうぼうるい)」があります。
鎌倉時代に元(モンゴル)の大軍が攻めてきた「蒙古襲来(もうこしゅうらい)」は歴史の授業でみなさんも勉強されたことでしょう。
1274(文永11)年の「文永の役」と1281(弘安4)年の「弘安の役」の2回、元の軍勢が博多湾沿岸に押し寄せました。
その間の1276(建治2)年に博多湾沿岸の20キロにわたって、石や砂、粘土で「元寇防塁」が築かれました。その一部が今津元寇防塁(約3キロ)です。
今回は、松林と波音に包まれた歴史散策コースを紹介します。
露出する鎌倉時代の石組みや約200メートルの復元部分も。兵士を弔う蒙古塚、歴史を紹介する史跡広場がある「今津元寇防塁(いまづげんこうぼうるい)」
駐車場は「第一野の花学園」さん提供のものなど数カ所
今津元寇防塁へのルートを説明します。今宿方面から福岡県道54号を車で北上し、今津運動公園の信号を右折します。
約500メートルほど行くと三差路があります(下の写真)。茶色の「今津元寇防塁駐車場」という看板が見えますね。ここを左折します。
道なりに行くと3方向への分岐点が。ここも茶色の看板が示す左手の道を進みます。
間もなく障害者支援施設の「第一野の花学園」さんに着きます。ここに駐車場があります。
「第一野の花学園」さんは、今津元寇防塁の見学者のために駐車場を3台分、提供してくださっています。ありがたいですね。
ほかにも海岸そばの多目的広場などに駐車場があります。
学園さんの敷地内には、蒙古襲来で亡くなった兵士を弔う「蒙古塚」が立っています。学園の方に聞いたところ「自由に見学できます」とのことでした。
ウォーキングにほどよい距離
今津元寇防塁に向かって西の方へ歩きます。看板に防塁まで600メートルと書かれていますね。
ウォーキングにほどよい距離です。
しばらく行って右折し、この小道に入ります。
すぐに松林に囲まれた散策道に入ります。静かで落ち着きます。
案内板で今津元寇防塁や「第一野の花学園」さんなどの位置関係が分かりますね。
少し歩くと、蒙古襲来の歴史に思いをはせた俳句の句碑が立っていました。
蒙古襲来の歴史が学べる「史跡ひろば」
句碑のすぐ後ろに「史跡ひろば」があります。蒙古襲来についての説明パネルがたくさん展示されています。
文章で説明するより写真を見た方が早いでしょうから、パネルをいくつか掲載します。私もしばらく読み込んで、勉強になりました。
今津元寇防塁は、大隅と日向の御家人(武士)が造ったそうです。長さは約3キロです。
下の地図を見ると、博多湾沿岸の防塁の位置がよく分かります。今津元寇防塁は西の端です。
「元寇防塁の築造」という13分間の映像を上映するモニターもありましたが、機器の不調で見ることができませんでした。
地元の方は「あの映像を見ると防塁のことがよく分かる」と話していらっしゃったので見たかったですね。
いよいよ今津元寇防塁へ
まだお目当ての今津元寇防塁に到達していませんでした。松林の中を歩きます。木々に視界を遮られて海は見えませんが、右手から波音が聞こえてきます。穏やかです。
「史跡元寇防塁」と刻まれた趣のある石柱が。やっと着きました。
土の表面から石が露出しています。これが今津元寇防塁です。
近づいてみるとこんな感じです。ゴツゴツしていますね。
下の写真は復元された防塁です。200メートルにわたって石が組み上げられています。元の軍勢の上陸を防ごうという当時の日本人たちの必死さが想像できますね。
今津元寇防塁は、西の柑子岳(こうしだけ)と東の毘沙門岳(びしゃもんだけ)の間に築かれ、高さ約3メートル、底部の幅約3メートル、頂部の幅約2メートルだったそうです。
西側は柑子岳の花崗岩(かこうがん)、東側は毘沙門岳の玄武岩を多く使い、中央部は二つの岩が交互に連続していたとのこと。大隅と日向の御家人が分担して造ったのでしょうか。重労働だったことでしょう。
元寇防塁の付近で戦う日本軍、元軍の様子を描いた有名な「蒙古襲来絵詞」の写真もありました。
砂浜で時を忘れる
歴史に思いを巡らせた後は、少し休憩したいと思い、松原を抜けて砂浜に向かいました。
視界がパッと開けます。爽快です。こちらは西の方角。柑子岳のある方です。
こちらは毘沙門岳のある東側。気分が晴れやかになりますね。釣りをしたり、腰かけて会話をしたりする人たちがいました。私もしばし、時を忘れてボーッとしました。
最後に元寇記念碑を訪問
そして「第一野の花学園」さんの駐車場にいったん戻りました。近くに「元寇記念碑」があると知り、少し足を伸ばしました。
歩いても300メートルほど。今津公園の近くです。石段を登ります。
「元寇殲滅(げんこうせんめつ)」というちょっと恐ろしい文字が刻まれています。1915年にできたこの石碑は東京大工学部の博士が設計したそうです。
当時も「殲滅」という言葉を使うことを巡って論争が起きたとのこと。
記念碑ができた経緯を説明した看板もありました。
記念碑のある小高い丘からは、今津干潟の景色も望めます。この静かな糸島半島東部の集落が、750年ほど前に、外国からの侵略という国難の舞台になったことがうそのようです。
今も世界各地で戦乱が続く中、平和のありがたさをかみしめながら今津を後にしました。
INFORMATION
店名:
今津元寇防塁(いまづげんこうぼうるい)
住所:
福岡市西区今津4807(周辺)
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