豊かなイングランドの自然と協働する「Silver Birch」、ロンドンのアロマを紡ぐ
コッツウォルズ地方で生まれ育ち、英国カントリーサイドの豊かな食文化とトップレベルの北欧モダンを吸収したシェフ、ネイサン・コーンウェルさんがロンドンで実現した華やかなアロマの饗宴とは?
「今日は(エグゼクティブ・シェフの)ネイサンはいるの?」
「あいにく……シェフ本人の結婚式でして、不在にしております」
テーブルについてすぐシェフの結婚式当日だと知らされ、驚き嬉しくなると同時に、料理を考え少し残念な気持ちになったのも事実。しかし心配はまったくの杞憂に終わり、食事は目を見張るような出来栄えでチームの働きが鍵となるファイン・ダイニングの真価を見せつけられたような体験となった。
レストランの名は「The Silver Birch / シルバー・バーチ」。2024年のロンドンで「モダン・ブリティッシュ」を現在形で知るのにはうってつけの店だ。ロンドン南西部の高級エリアに2020年にオープンし、2023年春から現在のエグゼクティブ・シェフが舵取りをしている。その評判が、上々なのだ。
新婚ほやほや幸せ絶頂シェフは、Nathan Cornwell / ネイサン・コーンウェルさん(写真下)。イングランド北西部にある全国区の名門レストラン「Moor Hall」(ミシュラン2つ星・英国ベスト・レストラン最上位ランキングの常連)の姉妹店「The Barn at Moor Hall」を、オーナーシェフと共にミシュランの星へと導いた輝かしい経歴は、シルバー・バーチへと招かれることになったキャリアの大きなハイライトでもあった。
落ち着いた北欧モダンを感じさせるシンプルなインテリア。
エグゼクティブ・シェフのネイサン・コーンウェルさん。©RestaurantPR
冒頭写真は前菜のロブスター・テール。3つの方法で調理した自然種のキャロット。まあるいロブスター・フリッター。
3コース・メニューの前菜。塩と砂糖でしめたコーンウォール産の鯖を炙って甘みを際立たせる。キュウリとカブのピクルス、ディルオイル。
シェフは叩き上げのカントリーボーイだ。ロンドンっ子たちが憧れる洗練された田舎、コッツウォルズ地方で生まれたネイサンさんは、子どもの頃から家庭菜園で採れた新鮮な野菜を食べ、釣りをしたり狩りをしたりと、豊かな食環境の中で育った。コッツウォルズ地方と言えばすでに15年以上前からロンドンと肩を並べる英国きってのグルメ王国でもあり、その食文化をシェフとしてもダイナーとしても多く体験してきたことが、その料理に彩りを添えている。
事実、ネイサンさんは15歳でスタートしたキャリア初期からコッツウォルズにある5つ星ホテルの一流キッチンを経験。その後、同地方きっての名門である「Le Champignon Sauvage」、ロンドンの「Kitchen W8」(いずれもミシュラン1つ星)などを遍歴。21歳で若いシェフに贈られる栄誉ある賞を受賞している。
見聞を広げるため英国から飛び出し、当時流行っていた北欧料理を学ぶためコペンハーゲンのGeranium(ミシュラン3つ星)、ストックホルムのKadeauとOaxen Krog(それぞれミシュラン2つ星)といった旬の厨房を渡り歩いて腕を磨いた。
ラム肉はリッチなポート・リダクションで。クラッシュしたグリンピース、エルダーフラワーの香り。トルコ風のラム・キョフテ+アンチョビ、マッシュルーム、マッシュルーム・ピュレ。
完璧な火入れの鳩のグリル+チャード、水耕栽培のインゲン豆、ビーツとアプリコットのピクルス、サルサ・ヴェルデ、ハーブ&スパイスで整えた鳩の春巻き。鳩とビーツのリダクション。
ブラックベリーのソルベが底に敷かれ、ケント産の新鮮なブラックベリー、メドウスイーツのムース、グラノーラ、メレンゲが重なる。
北欧の超一流キッチンでは、ピクルス、塩漬け、発酵や保存食の技術について多くを学んだそうだ。現在の店の裏庭ではこうした技法を生かす野菜やハーブを育てているほか、フォレジングで採取した食材も最大活用する。
つまりシルバー・バーチの料理は、「豊かなイングランド」と「モダン・スカンジナビア」を知るシェフ独自の経験に立脚したものだということになる。ネイサンさんが創り出す季節の3コース・メニューでは、海や山の幸が最もふさわしい技術で調理され、活き活きとして見える。生産者への敬意、食材への愛情がそこに横たわる。
個人的には野菜料理の新鮮さと、ハーブの使い方が巧妙だと感じた。例えば自家製サワードゥブレッドにはヨーロッパで自生しているセリ科のハーブ、ロベージを練り込んだ清冽な風味のバターがことのほか合うと初めて知った。
それぞれの皿はバランスが良好で、よく練られており、非常にスタイリッシュだ。味は非の打ち所がない。特徴的なのは、鳩をはじめタンパク質の完璧な火入れ、野菜メドレーの巧妙さ、そしてベルガモット、アールグレイ、メドウスイーツ(セイヨウナツユキソウ)など、さまざまなアロマを楽しませてくれたデザートの何層にも重なって響く自然のリズム。ファイン・ダイニングでありながら、リラックスして食の歓びを再体験できる極上の空間なのだ。
ベルガモットのパルフェ。シュガー・トゥイルリー、オレンジ・ジェリー。アールグレイのソルベ、クランブル。
ソムリエ氏のペアリングも素晴らしかった。
ロンドンの外食産業におけるここ20年の動向として、フランスから北欧へと注目が移り、スペイン、中東周辺の地中海料理の隆盛を経て、またつい最近は、フランス料理への敬意が戻ってきている感覚がある。いわゆるアングロ=フレンチへの回帰だ。
シルバー・バーチの料理は、フレンチの基礎の上に、ネイサン・コーンウェルというシェフのフィルターを通して、豊穣なるイングランドの地と、ワイルドで繊細な北欧の味が融合するアングロ=スカンジナビアという印象を受けた。
モダン・ブリティッシュとはこれら全てを吸収して平らにならし、再創造する工程から生まれる英国ならではのアートだ。シルバー・バーチのアートに惚れ込む人が何人いようとも、私は驚かない。
The Silver Birch
https://silverbirchchiswick.co.uk
text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni
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