人と人の距離感が近く、幸福度が高い働き方ができる「福岡」で働くという選択。 — 黒木ヨウドウさん(アクセンチュア)
福岡大学商学部・飛田先生の"福岡新風景:経営者と語る福岡の魅力"では、福岡へ新たに根を下ろした経営者たちの生の声をお届けします。さまざまな背景を持つ経営者がなぜ福岡を選び、どのように彼らのビジョンと地域の特性が融合しているのか、また福岡がもつ独特の文化、生活環境、ビジネスの機会はどのように彼らの経営戦略や人生観に影響を与えているのかについて、飛田先生が、深い洞察と共に彼らの物語を丁寧に紐解きます。福岡の新しい風景を、経営者たちの視点から一緒に探究していきましょう。福岡へのIターン、Uターン、移住を考えている方々、ビジネスリーダー、また地域の魅力に興味を持つすべての読者に、新たな視点や発見となりますように。
東京一極集中が揺らぐ今,地方都市・福岡は「働く場所」としての存在感を増しています。大企業の拠点進出,スタートアップの成長,地域文化の再評価といった動きが進む中,「福岡で働くこと」に明確な意味を見出す人も増えてきました。
今回はアクセンチュア株式会社の福岡拠点でコンサルタントとして活躍する黒木ヨウドウさんにご登場いただきます。ヨウドウさんは九州大学工学部を卒業後,デザイン専門学校への進学,広告・Web業界でのキャリア,株式会社ディーゼロでの取締役経験を経て,現在はアクセンチュアで企業の業務改善や地域マーケティングのコンサルタントとしてご活躍中です。
ヨウドウさんのキャリアは決して直線的ではありませんでした。工学,デザイン,インターネット,経営,そしてコンサルティングと,まるで複数の人生を歩んできたかのように多様な経験が積み重ねられています。しかし,その背景には一貫して「誰かの役に立ちたい」「自分が楽しく働きたい」という素朴で力強い思いが流れています。
今回はヨウドウさんのこれまでの歩みを辿りながら,どのようにして“幸福度の高い働き方”を福岡で実現してきたのかを探っていきましょう。
“はみ出し少年”から始まった観察と創造の原点
飛田:ヨウドウさんは宮崎県の都城市のご出身だそうですが,どんな少年時代を過ごされていたんですか?
黒木:今になって振り返ると,やっぱり「はみ出していた」タイプだったと思います。ただ,仲間の輪から外れて孤立しているんじゃなくて,グループの中にいながらちょっとズレた行動をする,みたいな感じですね。例えば,クラスの中心的なグループにも普通に入って話しているけど,一番落ち着くのは帰宅部のSくんと書道部のKくんと3人でボソボソ話している時間だったりして。クラスの端っこにいるんだけど,クラス全体を見ているような,そんなポジションでした。
飛田:観察眼があるというか,人間関係の構造を俯瞰していたような感覚ですかね。
黒木:そうですね。周りを見て,この人たちとはこう付き合えばいい,この人にはこういう言い方がいいっていうのを自然と考えていたと思います。今のマーケティング的な思考も,その頃から芽生えていたのかもしれません。
飛田:表現活動にも関心があったんですよね?
黒木:はい。高校では美術部と,中学では吹奏楽部をやっていました。あと,小学生のころは新聞の折込チラシの裏が白かったので,それにずっと絵を描いていました。母もよくその話をしますね。「あんたは白い紙を見たら絵を描く子だった」って(笑)。
現在でも続けている福岡交響吹奏楽団(https://fkyo.com/)での演奏活動
飛田:今の仕事でも「観察」と「表現」はずっと一貫していますね。
黒木:確かに。今やっている仕事も,突き詰めると「相手が求めているものを見つけて,それを伝わる形に落とし込む」ことなんですよね。その原点は,たぶんあの頃にあります。
大学進学→大学卒業→デザイン専門学校という“寄り道”がくれたもの
飛田:大学は九州大学の工学部に進学されたんですね。ご専攻は?
黒木:機械エネルギー工学科でした。エンジンとかの研究もありましたけど,摩擦や潤滑油の研究とかをしていました。
飛田:かなり“ガチ”の工学ですね。
黒木:そうなんですけど,だんだん違和感が出てきて。自分は“ものを作りたい”と思って工学部に入ったのに,最終製品を作っている感覚がなくて。自分が触れているのは「摩擦を減らす」ことなんだけど,それが何の役に立っているのか,距離が遠いんです。
飛田:で,そこから専門学校に?
黒木:はい。3年の時にもう大学を辞めようかと思ったくらいで。ただ,卒業はして,そこからすぐに福岡のデザイン専門学校に進みました。ペーパーメディアのデザインを学ぶところです。デザインや表現の基礎を学んだりしていました。
飛田:そこでインターネットに出会うわけですね。
黒木:そう。1年目でほぼカリキュラムを終わらせて,2年目は自由に過ごしていました。ちょうど初代iMacを買ってネットに繋いで,夜中に掲示板を作ったりCGIをいじったり,絵を描いたりしていました。
飛田:すごい時代ですね。
黒木:ほんとに楽しくて。ネットが仕事になるとはまだ思ってなかったけど,自分の作品を展示して個展をやったり,ペインティングをキャナルシティで売ったりして,作ることを楽しんでいましたね。
インターネット黎明期を走り抜けた“何でも屋”時代
飛田:デザイン専門学校を経て,最初のキャリアはどういったところから始まったんですか?
黒木:最初は福岡の小さな広告会社でした。社長と経理,僕ともう一人のデザイナーの4人しかいないようなところで,不動産広告のチラシをつくる仕事が多かったです。間取り図をFAXで受け取って,それをイラストレーターで書き起こすみたいな作業ですね。
飛田:それはかなり地味な仕事ですね。
黒木:はい,結構地味でした(笑)。でもその頃に「なんでこの間取りにドアがないんだ?」とか,勝手に推測して作ったら後から修正FAXが届いて,「やっぱりね」みたいな,そんなこともありました(笑)。
飛田:そこからWebの世界にはどうやって入っていったんですか?
黒木:知り合いの紹介で福岡のWeb制作会社に入ることになったんです。そこで初めてインターネットの仕事を始めたんですよ。
飛田:その時はどんなことをされていたんですか?
黒木:当時は「インターネットできる人」っていうだけで採用されるような時代で,今みたいにディレクターやエンジニアといった職種の分業もなかったんです。だから営業も設計もデザインも実装も,全部自分でやっていました。
飛田:まさに“なんでも屋”ですね。
黒木:ほんとに。社員のメールアドレスの設定から,社内のPC環境整備,サーバーの構築,お客様との打ち合わせから実制作まで。全部ひとりでやっていました。30人くらいの会社だったんですが,Web担当は僕ひとり。そこから少しずつメンバーが増えていって,インターネット事業部みたいなものが立ち上がっていきました。
飛田:時代の流れとともに,仕事の規模も変わってきたんですね。
黒木:そうですね。当時はまだWebサイトに数百万円払うクライアントなんて珍しくて,30万,50万でサイトを作っていました。でもあるとき,広告代理店から「あの会社にインターネットできる人がいるらしい」と話が来て,携帯電話会社のキャンペーンの仕事をもらったんです。
飛田:そこが転機だった?
黒木:はい。その仕事でいきなり数百万単位の案件が動くようになって,広告代理店との付き合いも本格化しました。そこで後に転職するWeb制作会社とチームを組んでプロジェクトを進めるようになり,のちに僕自身がそちらに誘われて転職することになります。
飛田:なるほど。じゃあこの頃には“Webで食べていく”という実感が出てきたわけですね。
黒木:そうですね。やっと「インターネットの仕事でちゃんと生きていけるんだ」と思えるようになってきたのはこの頃です。
病気と役員就任——“やるべきこと”と“できること”の再定義
飛田:Web制作会社に転職された後も,順調にキャリアを積み上げていったように見えますが,大きな転機があったと伺いました。
黒木:はい。2009年の終わり頃から左手の小指がしびれ始めて,「これはおかしい」と思って脳外科に行ったら九州医療センターを紹介され,そこで脊髄腫瘍が見つかったんです。
飛田:それは大きな病気ですね。
黒木:はい。2010年に手術を受けました。全身麻酔で8時間かかる手術でした。腫瘍は首の脊髄の中にできていて,そこを開いて取り出すというかなりリスクの高いものでした。
2010年の手術直後の写真
飛田:後遺症は残ったんですか?
黒木:はい。今でも首から下に感覚障害があります。特に左手は触っても感覚がほとんどない状態です。でも動かすことはできるので,生活には大きな支障はありません。
飛田:仕事復帰はどうされたんですか?
黒木:ちょうどそのタイミングで会社に戻って,取締役に就任することになりました。病気で落ち込むヒマもなく,会社の経営にも関わるようになって。
飛田:体と心の両方に大きな変化があった時期だったんですね。
黒木:そうですね。ただ,あの経験があったからこそ,「自分にできること」にちゃんと向き合うようになった気がします。無理をするのではなく,できる範囲で最大の価値を出すにはどうしたらいいかを考えるようになりました。
飛田:その後の仕事のスタンスにも影響を与えたんでしょうか?
黒木:はい。マーケティング的な視点で相手の求めるものを読み取り,それに応えるという姿勢は,この頃からより強く意識するようになりました。
「言うべきことを言えない」時代とのズレ,そして再出発
飛田: Web制作会社での役員経験を経て,次のキャリアに進まれた背景にはどんな気持ちがあったのでしょうか?
黒木: Web制作会社にいた最後の3年間くらいは,ずっとモヤモヤしていたんですよ。ウェブ制作の価値がどんどん下がってきているなという実感がありました。以前は企業が情報発信するにはウェブサイトしかなかったし,それを作ることに大きな価値があった。でも今はSNSで十分発信できるし,発信の形も多様な時代になった。
飛田: 技術の進化がビジネス構造そのものを変えてしまった。
黒木: まさにそうです。そんな中で僕は,お客様に対して「ウェブサイトを全部作り直す必要なんてないですよ」って,つい正直に言っちゃう。でもそう言った瞬間に,会社の売上のチャンスはひとつ潰れるわけです。
飛田: 結果として,正論が評価されにくい環境になっていたんですね。
黒木: それである日,もっと広い視野で,ちゃんとクライアントにとってベストな提案ができて,それが事業としても成立する環境が必要だと。
飛田: そこで今の会社に?
黒木: そうです。ちょうどそのタイミングでアクセンチュアの人から声をかけてもらって。「うちはサイトだけじゃなくて,その先のSNS運用も,業務改善も全部支援できる」という話を聞いたときに,「あ,ここなら自分が言いたいことを言っても浮かないかもしれない」と思ったんです。
飛田: 実際に移籍してみて,印象はどうでしたか?
黒木: やっぱり違いましたね。業務の幅がとにかく広いし,自由度も高い。「こうした方がいいと思います」と伝えたことに対して,「じゃあそれやってみてください」と返ってくる。その感覚がとても新鮮でした。自分が考えて動ける環境が整っているとすぐに感じました。
飛田: それは,福岡という場所にも関係していると思いますか?
黒木: 関係していると思います。東京に比べて,福岡だといい意味で自由度がある気がします。“自分らしさ”を出せる余地があって,そこにすごく助けられています。
コンサルタント×地域発信という“二刀流”の現在地
飛田: 現在はアクセンチュアでどんな仕事をされているんですか?
黒木: 今は大きく2つのミッションを担っています。1つは,クライアント企業のデジタルマーケティングを支援する仕事です。
もう一方のミッション――つまり,アクセンチュアというブランドの地域におけるプレゼンスを高めるための活動の方が大きくなってきています。
飛田: もう1つのミッションというのは,ローカルマーケティングのほうですね?
黒木: はい。福岡拠点での認知度向上を目指す取り組みです。社内に専属のチームを持っていて,地域イベントの企画・運営をしたり,地元のテレビ番組やメディアへの出演,社外にコメンテーターとして人材を送り出したりしています。これは採用にもつながる重要な施策で,アクセンチュアという会社の「顔」を地域でどう築いていくかというテーマに取り組んでいます。
飛田: まさに“コンサルタント×発信者”の二刀流ですね。
自身もラジオパーソナリティや、情報番組コメンテーターとして活動
飛田: 今までのクリエイティブや広告の経験が,そのまま活きている感じがします。
黒木: そうなんです。もともと広告業界にいたこともあり,常に「この情報を,どの相手に,どう届ければ響くか」を考える癖があるんですよね。SNSでの投稿ひとつとっても,反応を観察しながら日々実験している感覚に近いです。
飛田: そういう思考って,どこから育ったと思いますか?
黒木: 小さい頃から,人の表情や気持ちを観察する癖がありました。「この人は今どんな気分なのか」「何を期待しているのか」を察する力が身についたんだと思います。そういう感受性や観察力が,今の仕事のベースになっています。
飛田: なるほど。もともと持っていた力が,今の職業として活かされているわけですね。
黒木: そうですね。20代の頃は好きなことをただ楽しくやっていただけでしたが,今はそれを「どう社会に役立てるか」「どうビジネスに変換するか」まで考えるようになりました。これは自分の中でも大きな変化でした。
飛田: そうした考え方が“地域にアクセンチュアの価値を届ける”という活動にもつながっているわけですね。
黒木: そうです。「自分がやりたいこと」と「社会に必要とされていること」の接点を意識するようになったというか,ようやく仕事と自分がフィットしてきた感覚があります。
福岡ではたらくという選択
飛田:最後に,福岡という都市についてあらためてどんな可能性を感じていますか?
黒木:福岡って,スタートアップとかクリエイティブの裾野は確かに広がってきたと思うんですよ。でも,まだ“高さ”が足りないと感じていて。東京に行って満足するのではなく,もっとその先,アジアやグローバルを意識する人が増えれば,福岡の立ち位置は変わると思っています。
飛田:実際に福岡から海外と直接つながるような動きも増えてますよね。ただ,まだ都市としての受け皿が追いついていない感じもあるんですよ。アジアの玄関口という位置づけはあるけど,実際に“人が移動してきて,生活できるか”という視点では課題も多い。制度や環境をもっと整備していけば,本当に魅力的な都市になると思います。それに都市の「人との距離感」に関しては,他の都市にない強みがあるかもですね。
黒木:そうですね。福岡の人って、「この人は営業担当」というような“役割”じゃなくて“人そのもの”を見て関係をつくる文化があると感じています。だから,こっちが肩書や立場で会話しようとすると,かえってうまくいかない。逆に,ちゃんと「その人自身」で関わろうとすれば,すごくスムーズに関係が深まるんですよ。でもその分,「担当者が変わったから」と関係がリセットされることにはすごく敏感な街でもあります。
飛田:なるほど,それは確かに“人ベースの都市構造”ですね。
黒木:だから僕は,福岡って“幸福度が高い街”であってほしいと思っています。高層ビルが増えるとか,新しい施設ができるとか,それ自体が目的じゃなくて「この街にいることが心地いい」,「人と自然に接点を持てる」ってことが大事なんです。働くことと暮らすことが地続きになっている感覚。その延長線上で,都市としての競争力や魅力が生まれてくる気がしています。
飛田:本日は,リアルな現場感覚から未来の都市像まで,幅広いお話をありがとうございました。
みなさん,いかがでしたか?
ヨウドウさんのお話をふりかえると,キャリアの選択において「どこで働くか」以上に「どう働くか」「誰と働くか」を大切にしてきたことが強く伝わってきました。福岡という都市を拠点に自分らしく働く道を切り拓いてきたヨウドウさんの姿勢はこれからの働き方を考える私たちにとって多くのヒントを与えてくれます。
時代や環境が変わっても自分の価値観に素直に向き合い,その時々で「楽しく働ける場所」を選び直す——そんな柔軟さと行動力がヨウドウさんのキャリアの芯をつくっているのかもしれません。そしてそれは,地方にいながらも,自分の力を発揮できる場をつくり出せることを気づかせてくれます。
福岡は人口160万人を超える都市でありながら,人の顔を見て仕事ができる場所。仕事と生活を区別するのではなく,生きる中に日々の生活と仕事があることを感じさせてくれます。これからのキャリアや働く場所に悩んでいる方にとっても,ヨウドウさんの言葉がやさしく背中を押してくれるのかもしれません。
次回もお楽しみに!