イタリアの世界遺産の街7選!歴史と美術の面白さを在住者が解説
イタリアといえば、ピザ、パスタ、そして歴史!おいしい食べ物はもちろんですが、イタリアは豊かな食文化と同じくらい魅力的な歴史と美術がある場所です。 なにを隠そう、イタリアの世界遺産登録数は世界1位!(2025年現在) 1位 イタリア(61個) 2位 中国(60個) 3位 ドイツ(55個) そして中国とドイツがそれに続きます。 豊かな文化遺産がある国だからこそ、何を見ればいいのか迷ってしまう方も多いはず。この記事では、在住者である筆者がイタリアで世界遺産に登録されている「街」を7個紹介します。 ローマ歴史地区 フィレンツェ歴史地区 ヴェネツィアとその潟(ラグーナ) ピサのドゥオーモ広場/ピサの斜塔 ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの遺跡地域 アッシジ、聖フランチェスコ聖堂と関連施設群 マテーラの洞窟住居「サッシ」地区 歴史や美術が好きな方に向けた解説になっていますので、ぜひ旅行の計画にも役立ててください。
イタリア世界遺産①:ローマ歴史地区
見どころの非常に多い国イタリアですが、やっぱり忘れちゃいけないのがローマ。世界遺産には、「バチカン市国・サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂含むローマ歴史地区」として登録されています。
バチカン市国とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は世界遺産に登録されている城壁内の範囲からは物理的に外れているものの、城壁内の範囲を同様に価値が認められているためやや複雑な表記です。
ローマの重要な教会が城壁外にある理由は、こちらの記事で詳しく解説しています。
いわずもがな、圧倒的な歴史を誇るローマは、歴史地区内にある各スポットも見ごたえ抜群。
・コロッセオ
・フォロ・ロマーノ
・パンテオン
・コンスタンティヌス帝の凱旋門
・サン・ピエトロ大聖堂
など、ザッと挙げただけでも胃もたれしそうなほどのボリュームなのです。
ローマに住んでいると、「ローマ観光って何日必要?」と聞かれることが多いのですが、いつも「最低3日は必要!」と答えています。体力に自信がある方なら一気にすべてを見て回ることもできますが、歴史や美術をじっくり味わいたい方にとっては、正直1週間でも足りないくらいです。
ローマの圧倒的な魅力は、古代ローマの栄光から教皇の栄光へ、長い歴史の中で柔軟に姿を変えていった点にあります。誰もが知る名皇帝たち、たとえばカエサルやコンスタンティヌス帝が築いた永遠の都は、いつしかカトリックの総本山として返り咲いたのでした。
「ローマは1日にしてならず」という言葉がありますが、この街の歴史を学べば学ぶほど言葉の意味がずっしりと重く感じられます。
ローマの歴史はフェーズごとに細切れになっているわけではなく、薄いレイヤーが塗り重ねられているようなイメージ。それは、古代の遺跡を残しつつも時代ごとに少しずつ増改築されていった建造物の中にも見ることができます。
イタリア世界遺産②:フィレンツェ歴史地区
フィレンツェ歴史地区もローマと同じくらい見どころが多く、数日程度の滞在ではどうも駆け足になってしまうことがほとんど。
たとえば、フィレンツェの花であるドゥオーモは人生で一度は見ておきたい絶景の1つです。ドゥオーモの正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂であり、イタリア語の意味は「花の聖母マリア」。つまり、この大聖堂はまさにこの街の「花」というわけです。
ルネッサンスの都として栄えたフィレンツェには、数えきれないほどの美術館や教会があります。筆者が院生時代にフィレンツェを3日間訪れた際には、10個の教会と6個の美術館を駆け足で巡りましたが、行きたかった場所すべてをコンプリートすることはできませんでした。そして筋肉痛になりました…。
フィレンツェで最も有名な美術館は、ウフィツィ美術館です。ラファエロ、レオナルド・ダヴィンチ、カラヴァッジョなど、名だたる巨匠の名画が一同に会する展示は圧巻の一言に尽きます。見どころが多いだけではなく、かなり広いので、3‐4時間かかることを想定しましょう。
イタリア世界遺産③:ヴェネツィアとその潟(ラグーナ)
ヴェネツィアももちろん、忘れてはいけないイタリア旅行の花形です。
初めてヴェネツィアを訪れたときはちょうどカーニバルのシーズンで、あまりの美しさに現実とは思えないほどでした。街中を網羅する水路を通る優雅なゴンドラとマスクで顔を覆った伝統衣装の人々を見ると、まるで全く別の世界に吸い込まれたような不思議な感覚になります。
水路を移動手段に持つヴェネツィアは、基本的に歩ける範囲の道は非常に狭く、建物と建物の間はすれ違うのがやっとなことも。そのため、もちろん本土には車が入ることができず、普通のタクシーはありません。代わりに水上タクシーがあります。
カーニバル、ゴンドラ、車のない街…ヴェネツィアの特殊性を説明するには十分すぎるほどの情報ですが、もちろん、それだけで世界遺産に登録されているわけではありません。
ヴェネツィアは中世以降、海洋で栄え「アドリア海の女王」と呼ばれていました。中世から近世にかけてヴェネツィアは、ビザンツ帝国やオスマン帝国と激しい対立と交流を繰り返します。地中海・中東・ビザンツ帝国との貿易を独占した、莫大な富と権力を持つ東西の要だったのです。
街の中心にあるサン・マルコ大聖堂は、まさにアドリア海の女王の権力の象徴。荘厳な装飾は見る人の心を奪いますが、よく観察するとビザンツや中東文化の影響も見られ、街の複雑な「交友関係」のシンボルととることもできます。
美術史を勉強していて面白いなぁと思うのは、必ずしも友好関係ではない相手(例えば戦争中の相手)との間でも、美術言語の交換が生まれるということです。憎んでいる相手の文化であっても、美しいものは等しく人の心を打つ、ということでしょうか。
ヴェネツィアを訪れる際は、景観の美しさに加えて、アドリア海の女王の絶大な権力をアートの中に見出すのも醍醐味の1つです。
イタリア世界遺産④:ピサのドゥオーモ広場/ピサの斜塔
ピサの斜塔が街のシンボルであり、今でも多くの観光客が訪れる街、ピサ。フィレンツェから電車で約1時間で行ける距離で、街自体はかなりコンパクトなので日帰り旅行も十分可能です。ピサは中世には海洋で栄えた歴史があり、15世紀初頭にフィレンツェの支配下になってからも重要な街であり続けました。
学問でも栄え、1343年に創設されたピサ大学はイタリア最古の大学の1つ。伝説上ではガリレオが斜塔から鉄球を落としたと言われますが、彼はピサ大学の教授を勤めていました。
もちろん、ピサの斜塔は街の顔。しかし、「ピサの斜塔の写真を撮って観光終わり」にはしないでほしい!!
美術好きなら絶対に訪れてほしいのが、ピサの斜塔のすぐ隣にあるシノピエ美術館。シノピエ(Sinopie)とはイタリア語でフレスコ画の下書きを指す言葉で、ピサには非常に珍しい下書きを鑑賞できる美術館があるのです。
フレスコ画は、湿った漆喰の壁に顔料で絵を描く壁画技法です。化学変化を利用して色を定着させるため、やり直しがきかず入念な準備が必要な特徴があります。「シノピエ」はもともと赤茶色の顔料を指す言葉で、フレスコ画の絵画層を塗り始める前に配置や構図を決めるために用いられるものです。
ピサのシノピエ美術館(カンポサント墓地)には、もともと死や復活をテーマにした壮大なフレスコがありました。しかし、第二次世界大戦中の1944年、爆撃によりフレスコ画が破壊され、絵画層が剥がれ落ちてしまいます。
絵画層を失ったことにより、下書きであったシノピエ部分が表出。下絵は基本的には絵画層に隠されているため、フレスコ画のシノピエを全体的に見ることができるのは稀であり、結果的に下書き層のまま保存されることになりました。
「下書きなんて見て面白いの?」と思われるかもしれませんが、これが、面白いんです!
芸術家によって、どの程度精密に下書きをするかの個性がでます。落書きのようにささっと配置だけ描き残す人もいれば、人物の表情まで細かく決めておく人も。
ここまで大々的に下書きを鑑賞できる場所はなかなかありませんので、美術好きの方、斜塔だけでなくシノピエ美術館もおすすめです!
イタリア世界遺産⑤:ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの遺跡地域
ポンペイの名前は歴史の授業で聞いたことがある!という方も多いでしょう。
西暦79年に起きたヴェスヴィオ火山の噴火により、火山灰に埋もれてしまったポンペイ。多くの人の命が奪われた惨事でしたが、皮肉なことにその火山灰のおかげで現代まで当時の街の姿を残すことになりました。
つまり、ポンペイの世界遺産的な価値は「街が噴火の被害に遭ったこと」というよりは、「そのおかげで多くの遺跡や芸術作品が手つかずで継承されたこと」にあります。
ローマにも多くの遺跡はありますが、その多くは後世の人々によって意図的に増改築されたり、放置されて崩壊したりしているものがほとんどです。一方ポンペイは、火山灰に覆われていたため、誰にも触れられることなく保存され続けました。
最も火山灰の堆積が多かったエルコラーノというエリアでは、木造建築や食べ物までもが残っていたと言われます。灰に埋もれていたものって、そんなに良い状態で保存されるのですね…!
芸術的な面でいえば、ポンペイのフレスコ画は要チェックです。フレスコ画は湿気に弱いため保存が難しく、古代ローマ時代のフレスコ画で現存しているものは多くありません。ポンペイの壁画は、2000年もの間空気と光に触れることがなくずっと火山灰の下に眠っていたため、当時の鮮やかな色彩が最高レベルの保存状態で残されていました。
古代ローマの人の生活の様子を除くことができる、人生で一度は訪れたい場所です。
イタリア世界遺産⑥:アッシジ、聖フランチェスコ聖堂と関連施設群
アッシジは、ローマとフィレンツェのちょうど中間くらいの場所にある街です。小高い丘にコンパクトにまとまったベージュ色の景観は、遠くから見るとなんだかひっそりとした印象を与えます。
「清貧」をモットーに掲げた聖フランチェスコは、12世紀末のアッシジで生まれました。街全体がつつましく落ち着いた印象なのは、聖フランチェスコの影響を受けて街中にたくさんの教会があるからでしょう。
とくに注目するべきは、聖フランチェスコ大聖堂。聖フランチェスコの遺体が納められており、現代でも多くの巡礼者が目指す場所の1つです。
聖フランチェスコ大聖堂の最大の見どころは、なんといってもフレスコ画。中世イタリア美術の巨匠ジョットやチマブーエが残したフレスコ画は、教会の内装のほとんどを覆っています。目の覚めるような青色が特徴的で、当時浸透し始めていた遠近法が駆使されている点にも注目です。
観光目的の方にとっては、限られた時間の中でアッシジを訪れるのは簡単ではないかもしれません。しかし、観光客に溢れたヴェネツィアやローマに比べると、街全体は落ち着いているのでいわゆるイタリアの田舎の雰囲気を感じられる場所でもあります。
ローマからもフィレンツェからも電車で1-2時間程度なので、日帰り訪問にもぜひ!
イタリア世界遺産⑦:マテーラの洞窟住居「サッシ」地区
日本人でマテーラという街を知っている人は、それほど多くはないかもしれません。マテーラはイタリア南部にあり、洞窟を掘って形成された街として世界遺産に登録されています。「サッシ」とはイタリア語で「石」を指す言葉で、マテーラの人々はこの地の石灰岩の山を削すことで住居を築きました。
マテーラの石灰岩は比較的柔らかく、加工しやすい性質があります。単純に掘りやすいだけではなく、耐熱性が高いため夏の暑さや冬の寒さに対応できる点もメリットです。外敵対策にも有効で、万が一土地勘のない人が近くを通ったとしても、見つかりにくく攻めにくい構造をしています。
マテーラに住み始めた大昔の人にとっては、ザクザクした山肌に家を建築するよりも、岩を彫ってスペースを作る方が合理的だったのでしょう。雰囲気としてはトルコのカッパドキアに少し似ているかもしれません。
実は、マテーラの歴史は決して美しい面ばかりではないと知っておくことも大切です。第二次世界大戦終戦後、マテーラは貧困と衛生状態の悪さから、人がほとんど住めないような場所になっていました。見かねたイタリア政府は、マテーラから住民を郊外に強制移住させたほどです。
1990年以降になると、マテーラの特殊性や歴史的価値が徐々に評価されるようになり、衛生面や生活環境の改善が進められました。現在では人気の観光地になっており、自然と人が共存する例としても注目されています。
芸術的な見どころとしては、岩に彫られた教会のなかに描かれたフレスコ画を見ることができるなど、「サッシ」の独特で神秘的な雰囲気を感じられます。ただの岩に見えても、実は教会!なんて、特別な景観を見られるのは、マテーラを訪れた人の特権でしょう。
まとめ:様々な街で世界遺産大国イタリアの美術を味わおう
イタリアに住んでいるとつくづく、「イタリア」という国に統一性を見出すのは難しい!と思ってしまいます。たとえばヴェネツィアとフィレンツェとローマは、それぞれまったく異なる景観をもっていて、そしてそのどれもが、唯一無二の美しさなのです。
ヴェネツィアだけを訪れた人が「イタリアに行った」と言えるでしょうか。もちろん定義は人それぞれですが、このあまりに多様な国を理解するためには、少なくとも3都市以上は訪問する必要がありそうです。
60以上の世界遺産があなたを待っていますよ。以上、イタリアの世界遺産7選でした!