駒澤大学陸上競技部総監督 大八木弘明氏から学ぶ人材育成のヒントと人生観
今回のゲストは、駒澤大学陸上競技部を強豪校に引き上げた大八木弘明氏。選手一人ひとりと向き合う姿勢や、厳しさと温かさを兼ね備えた指導法で培った経験は、アスリートのパフォーマンス向上だけでなくビジネスにおけるマネジメントのヒントにもなります。今回は、競技現場で磨かれた指導の軌跡と、世代を超えて活かされる健康維持の秘訣について、大八木氏にその思いと実践のエッセンスを伺いました。
"練習をしているだけ"だったチームを、学生駅伝の強豪に引き上げるマネジメント力
―― 総監督の立場から、今年の箱根駅伝の結果をどのように捉えていますか?
大八木 優勝できなかったことは残念ですが、新記録で復路優勝という最低限の結果を残せたかなと感じています。昨年度のチームは、「育てる」ことを念頭においたチーム作りで、実力のある4年生が多く抜けてのスタートでしたから、前半のトラックシーズンは中々結果がついてきませんでした。
そうした中で前キャプテンの篠原が、自身のトレーニングを後回しにしてチームのために尽力したことで、チームが一つにまとまり、良い流れで後半の駅伝シーズンに繋がったと思います。
箱根駅伝では、その篠原が力走し、1年生も役割をしっかりと果たしてくれました。その頑張りを復路では良い流れに変えることができ、6・7区の頑張りを、8~10区を走った2年生がしっかりと繋いでくれたことで、新記録で復路優勝できました。
7区を走った佐藤に関しては、区間記録を57秒上回って区間新記録になりましたが、怪我の影響もあって7~8割の力しか出せませんでした。本来の力で走れたら、もっとすごい記録になっていたでしょう。
昨年度の試合を振り返ると、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝、全て準優勝でした。これから悔しさと自信の両方を備えた新たなチーム体制でスタートしますので、きっと今年度は強い走りをお見せできると思います。
―― 楽しみにしています!これまでコーチ・監督として指揮されてきたなかで、どのような点に苦労されましたか?
大八木 長年、駒澤大学で指導してきましたが、監督として一番大変なのは、選手一人ひとりの成長を見守りながら、チームとしての結果を求められることです。個々の能力やコンディションは違いますし、成長のスピードも異なります。
チームのために誰をどのように育て、どのタイミングでレースに起用するか、常に試行錯誤の連続でした。
特に苦労したのが、2023年の三冠を達成したシーズンです。出雲駅伝、全日本、箱根をすべて制し、学生駅伝の頂点に立ちました。しかし、その裏では、選手たちのケガや不調、プレッシャーと戦いながら、いかにチーム全体のモチベーションを維持し、ピークを合わせるかに頭を悩ませていましたね。
―― 逆に、印象的だったシーンはありますか?
選手たちが最後まで粘り強く走り抜く姿には毎回心を打たれますし、チームの結束力の大切さを改めて実感できます。
苦しい時期を乗り越えた選手たちの成長には、何度も感動させられました。成績が伸びずに悩んでいた選手が努力を積み重ねて大舞台で結果を出したときや、駅伝で仲間のために限界まで走り抜いた姿を見ると、監督としての喜びは非常に大きいですね。
―― 2004年に監督に就任して、低迷していた陸上競技部を立て直されましたが、着任当初はどのような状況だったのでしょうか?
大八木 私が入ってきたとき、駒澤大学は今と違って弱いチームでした。当時私は、実業団のコーチをやっていたのですが、駒澤大学から「陸上競技部を強くしてくれ」という要請があり、母校への恩返しという思いも含めてチームを立て直すことを決めたんです。
着任当初は、この期待に応えられるよう必死でしたね。
チームの改革において一番最初に手がけたのは、日常生活の立て直しです。早寝早起き、1日3回の食事でしっかりと栄養を摂るといった基本的なことから取り組みました。
―― それまで選手の生活リズムは乱れていたということでしょうか。
大八木 そうですね。朝練習は自由参加でしたし、食事もカップラーメンを食べていたりで…。「ただ練習をしていればいいんだ」と感じるようなチームだったので、本気で優勝を狙おうとしている雰囲気はありませんでした。
―― 規則正しい生活を送ることで、チームはどのように変化していきましたか?
大八木 規則正しい生活になると、日常の習慣が少しずつ変わっていくのです。これまで生活リズムが乱れていた選手たちが、朝6時ごろに起きるようになり、まず朝食をしっかりと食べる。それから大学の授業を受けて、お昼は学食で栄養バランスの良いものを食べる。
授業が終わり、グラウンドの方へ来る16時ごろから本練習が始まり、練習後の18時半に夕食、それから22時ごろに消灯と。このような生活サイクルを1年中続けるように指導をしてきました。
―― 生活リズムを整えたことで、一日のサイクルが変わり、陸上に対する姿勢も変わっていったと。
大八木 そうですね、少しずつ選手たちの記録も上がってきましたし、毎日の練習への取り組み方も変わってきたことを覚えています。
何より大きかったのが、やはり目標をしっかり掲げるようになったこと。そういう面では一人ひとりが成長してきたなと感じます。
―― 練習中の声かけやメンタル面でのサポートでは、どんなことに意識されていたのでしょうか?
大八木 私は選手のモチベーションを高めるには、愛情を持って接することが大事だと思っています。厳しく言うこともありますが、その中でも愛情や思いやりを持つことは忘れません。
常にそのような意識を持って日々指導していますが、トレーニングは本質的に厳しいものです。トレーニング中はときに強い口調となることもありますが、終わった後には必ずフォローするようにしていますね。
なぜそのような指摘をしたのか、それは選手のためを思ってのことだという愛情が伝わるよう、いつも心がけています。
諦めの悪い選手の方が成長スピードは速い
―― 長年アスリートを育てられた中で、トップレベルの結果を出せる選手に共通するメンタルの強さや秘訣があれば教えてください。
大八木 やはり我慢強さと素直さですね。自分に謙虚で素直な選手、人の話をしっかり聞ける選手は、最終的に自分の成長につなげることができるんです。
そういう素直な選手は自分で工夫ができる。そして競技は最終的には勝負ですから、負けず嫌いな一面も必要です。
―― アスリートはもちろん、どんな状況の方であっても自分の能力を伸ばすために必要な素質かもしれませんね。
大八木 そうですね。私は努力すれば誰でも強くなれると思っています。ただ、努力には即効性がありません。でも努力は嘘をつかない。継続していけば必ず身を結ぶものだという思いがあります。
―― 即効性がないなかでも厳しい練習を続けなくてはならないと思いますが、乗り越えられた選手に共通点はありますか?
大八木 いい意味で諦めの悪い選手だと思います。私もそうですが、諦めが悪いからこれまで続けてこられた。諦めやすい選手は壁にあたってしまうと逃げてしまいがちですが、諦めの悪い人間はそのまま継続していけるのだと思います。
私はもう陸上以外のことはできるとは思えません(笑)。選手の喜んだ顔、嬉しい顔が見たいので、一人ひとりの選手を成功させたいという思いで指導してきました。これからも全力を尽くして、情熱を傾けてやっていきたいと思います。
練習の質を上げるために実は重要なタンパク質の摂取
―― 選手の栄養管理にも力を入れてきたと思いますが、重要性について改めて教えてください。
大八木 食事は体のエネルギー源になります。私が指導している長距離選手の場合は、筋持久力を高めるためにタンパク質が必要ですし、貧血になると本当に走れなくなってしまうので、貧血予防の食事も大切です。
私自身、指導において、食事の重要性を強く意識しています。選手たちは毎日のハードな練習をこなすために、必要なエネルギーや栄養素をしっかり摂ることが不可欠です。特に、練習の質を上げるためには、食事での「回復力」を高めることが重要でした。
―― 回復力ですか。
大八木 はい。タンパク質を意識的に摂取することで筋持久力が向上し、試合後の回復も早くなったと実感しています。
それに、以前は細身でスタミナが不足しがちだった選手でも、バランスの取れた食事を意識的に摂ることで、持久力が向上し、レース終盤でも粘り強く走れるようになりました。また貧血の選手たちもだいぶ減りましたね。
―― 具体的にどのような食材を食べるようにしていますか?
大八木 筋持久力を高めるには鶏肉や大豆など、貧血対策にはヒジキやキクラゲ、それに加えてさまざまな野菜をバランスよく摂ってもらうようにしています。
選手の力を最大限引き出すために、「バランスの良い食事」と「摂取タイミング」も重視しました。タンパク質の摂取量を増やすため、レースや強度の高い練習後は、鶏肉、魚、大豆製品などを積極的に取り入れるよう指導しました。
そして、朝食にもタンパク質をしっかり摂らせ、1日を通して栄養の偏りをなくす。エネルギー補給のタイミングも重要で、練習前後の補食としてバナナ、ゼリー飲料、おにぎりを意識的に摂ることで、エネルギー切れを防ぐよう指導しています。
―― 長距離選手の食事について、中高年の健康維持にも応用できそうでしょうか。
大八木 アスリートだけでなく、中高年の健康回復にも同じ原則が応用できます。特に、筋肉量の低下を防ぐためにタンパク質を摂ること、免疫力を高めるために腸内環境を整える食材を取り入れること、活動量維持のためにエネルギー補給することを意識できれば、健康な体を維持しやすくなります。
それと、やはり軽い運動は日常的に行うことをおすすめしたいです。高齢者の方には散歩が一番いいのではないでしょうか。散歩を日課にするなどで毎日の運動量は確保していただきたいです。
基本的なことですが、私自身も毎日しっかり動くことと、バランスの取れた食事を摂ることを心がけていますね。
―― 趣味でマラソンをしている方もいらっしゃると思いますが、高齢者がマラソンをすることに対しては、どのようにお考えですか?
大八木 マラソンは程々であればいいと思いますよ。ただ、夢中になってやりすぎると体を壊してしまう可能性もあります。高齢者の方は軽いジョギングなら負荷もかかりすぎないので問題ないと思いますが、個人的には1時間程度の散歩が最も適していると思います。
「平成の常勝軍団」の礎を築くために、昔の価値観をアップデート
―― 若者の指導を通じて、世代間のギャップや価値観の変化は感じられますか?
大八木 私が駒澤大学に来たのは36歳の時で、今では「平成の常勝軍団」と言われるまでになりました。
当時はスパルタ的な指導が多く、「俺についてこい」という感覚でやっていましたが、時代も変わりました。今の選手はZ世代になってきましたので、選手の話を聞くことを意識しています。選手の思いをどう叶えてあげるか、私の考えと選手の考えをきちんと調整しながら育成するようになりました。
駒澤大学に来てから、勝てなくなった時期もあったのですが、そのときに「時代にあった指導法に変えていかなければいけない」と実感しました。やはり昔の価値観に固執することは良くないですね。
それに、今の選手は怒られた経験も昔ほどはないので、昔のような指導法はうまくいかないように感じています。私も選手たちの目線で、彼らの話や心に向き合い、悩みを理解してあげて、まずは認めてあげる。
一度やらせてみて、もし失敗したらそこから一緒に解決策を考えるようにしました。そのためには傾聴力が大事です。しっかりと選手の思いを聞いて、選手の主体性を重んじたところ、チームが更に強くなり、駅伝でもよい結果が出るようになりました。
―― 選手も監督と頻繁にコミュニケーションがとれるのはありがたいですね。
大八木 その方が選手にとってもプラスになることだと思っています。自分の言うことを監督が聞いてくれた、でも監督の言うことにも一理あると思ってもらえるのも大事です。選手の考えと私の考えをうまく理解できる選手が成長すると思います。
―― 逆に、日々の指導のなかで選手から刺激を受けることはありますか?
大八木 選手たちはとにかく強くなりたいという思いがあるので、「こういうことをやりたい」と言ってきます。それに対して「こういうことをやったらこういう結果が出る」「あなたの考え方だとこういう方向に進む」という明確な道筋を示すことが大切だと気づかされましたね。
常にコミュニケーションをうまく取りながら進めると、選手たちも「もう一度挑戦してみよう」と思うようになります。私はいつも二つの選択肢を示して、選手自身に考えさせることの大切さも教えています。
異なる世代間のコミュニケーションは、挨拶から始める
―― 話は変わりますが、高齢者の人口比率が高まる中で、世代間で共生していくために大切なポイントはどこにあると思いますか?
大八木 若い世代と高齢者がお互いに寄り添うことが大切ではないでしょうか。私にとって今の大学1~2年生は孫のような感覚です。そういう若い世代との接し方は難しいものの、常に寄り添う姿勢を忘れません。
まずは互いを尊重し合い、お互いの話をよく聞いて認めてあげることが世代間交流には大事だと思います。
―― 高齢者の目線に立つと、若者と接点を持ったり、コミュニティに入ることに躊躇する方もいると思いました。
大八木 そのような方がいらっしゃるようでしたら、まずは挨拶をしてみてください。私はいつも自分から挨拶し、話しかけるようにしています。
今の若い人たちは挨拶が当たり前になっていない場合もありますが、私たち年配の者からまずは明るく声をかけてみましょう。挨拶をすればそこから会話も生まれることもありますし、若い人と話をすることで新たな刺激にもなりますよ。
―― ご自身の引退後の生活について、現段階で考えていることはありますか?
大八木 まだ引退後のことはそこまで考えていませんが、体を壊したときにどうするかということは常に頭にあります。自分の体は一番大事にしているものの、何かの拍子にもし動けなくなったらどうするか、という程度です。
娘たちがいますので、そうなれば在宅で介護をしてもらうことになるかもしれませんし、施設に入居するかもしれません。今後のことは家族の間で話題に上がることはありますので、これからも話をしていければと思っています。
―― もし介護が必要になったら、老人ホームに入ることへの抵抗感はありますか?
大八木 今はそういった抵抗は全くないのですが、10年後はどう思っているかは正直なところわかりません。今は学生の指導や自分が健康に生活をすることを第一としているので、そこまでは考えてられていないというのが本音ですね。
―― そうですよね。介護が必要となってから生まれる感情もあると思います。
大八木 今は自分ができることを精一杯やることしか考えていません。健康でいられるように気をつけていますし、新しいことにチャレンジし続けることで、心も体も若さを保っていきたいと思います。そうすれば、もし介護が必要になったとしても、前向きな気持ちで受け入れられるのではないかと思います。
シニアライフにも目標は欠かさない。チャレンジし続けることが若々しく過ごせる秘訣
―― 年齢を重ねても活力を保つためのポイントやアドバイスがあれば、ぜひ教えていただきたいです。
大八木 長年選手を指導する中で感じたのは、「継続することが大事」ということです。 年齢を重ねても活力を維持するためには、3つポイントがあります。
・小さな運動を習慣にする ・食事でタンパク質とビタミンを意識 ・目標を持つ
運動と食事に関してはすでにお話しましたが、目標を持つことも大切です。
「〇〇ができるようになる」という目標を持つことで、日々の生活に張りが出る。大きなことを掲げる必要はなく、毎日少しでも前に進むような目標で構いません。
「毎日〇〇歩歩く」「新しいことに挑戦する」など、自分なりにチャレンジできることを決めましょう。習慣づけされていくことで、気持ちの若さにつながります。
まだまだ自分の中でチャレンジしたいことがたくさんあるはずです。それに向かってどんどん自分の考えていることを行動に移していけば、いつまでも若々しくいられると思います。どんどん目標を持ちながら頑張って生活していただければと思います。
―― 最後に、みなさんに向けてのメッセージをいただければと思います。
大八木 「努力は裏切らない。しかし、続けることが一番難しい。」これは私が選手に伝え続けてきた言葉です。
挑戦は年齢に関係なく、人生を豊かにします。大きなことをする必要はなく、毎日少しでも前に進むことが大切です。運動を続ける、新しいことを学ぶ、仲間と交流する。小さな積み重ねが大きな成長につながります。
人生100年時代、まだまだこれから。
自分の可能性を信じ、一歩を踏み出してほしいと思います。挑戦し続けることこそが、活力のある人生をつくるのです。
取材:谷口友妃 撮影:熊坂勉