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【倉敷市】児島味野まち歩き(2024年11月6日開催)~ 土地に詳しいガイドと歩く町並みから、かつてあった暮らしの物語を感じてきました

倉敷とことこ

児島味野まち歩き(2024年11月6日開催)~ 土地に詳しいガイドと歩く町並みから、かつてあった暮らしの物語を感じてきました

児島駅周辺には徒歩圏内に塩田王で有名な旧野﨑家住宅があり、塩饅頭などの特産品から「塩の街」というイメージがあります。

昭和40年代に塩田は廃止されてしまいましたが、町のあちこちに塩田の面影が残っているのだとか。

2024年の「備中で暮らす、町家deクラス」では、児島地区で多くの建築を手掛ける山口晋作(やまぐち しんさく)さんが建築物や街の風景から目に見える形で児島地区味野(あじの)の暮らしの物語を伝えました。

「備中で暮らす、町家deクラス」とは

備中圏域は国選定の「重要伝統的建造物群保存地区」はじめとした、歴史的な町並みが多く残る地域です。そして、残っているのは、町並みだけではありません。町並みを活用して江戸~昭和の伝統的な暮らしや楽しみ、遊びを日常として営んでいる人たちがいます。

そのような場所で実際に「衣・食・住・学ぶ・遊ぶ」を切り口としたまち歩きプログラムと体験型プログラムを提供するのが「備中で暮らす、町家deクラス」。今年(2024年)は、11回目の開催です。

2024年の「備中で暮らす、町家deクラス」では、17のまち歩きイベントが開催されており、今回私が参加した「児島味野まち歩き」も、そのプログラムのひとつになっています。

「児島味野まち歩き」に行ってきました

今年は暑さが続き、なかなか涼しい日がやってきませんでしたが、11月6日(水)の朝はお天気は良いものの、上着が必要な肌寒さ。参加者も上着を羽織って集合場所である児島市民交流センターに集まりました。

この日のガイド役は、児島地区で多くの建築を手掛ける倉敷建築工房山口晋作設計室の山口晋作さん。

手前:ガイドする山口さん

私と山口さんは初対面ですが、以前「備中で暮らす、町家deクラス」事務局の一人から「山口さんは建築する立場から街を眺めている人だから、一緒に歩くと街を新しい角度で見られるようになっておもしろいよ」と話を聞いていたので、この日を楽しみにしていました。

集合場所でこの日のコースを簡単に教えてもらい、歩き始めます。

塩田開拓歴史マップ

児島味野まち歩きコース

・児島市民交流センター
・児島商船学校・児島海員養成所・児島海員学校・海技大学校児島分校跡
・旧野﨑浜灯明台
・倉敷市立味野中学校
・下津井電鉄線路跡
・児島聖約キリスト教会

街の随所に残る海のまちの軌跡

児島の塩田は昭和40年代にすべて廃業してしまったので、現在は塩田を確認できません。しかし、街を歩いていると、塩田の面影が多数見つかりました。

まずは、児島市民病院裏に流れる小田川沿い。

この出っ張り部分は、塩田へ海水を取り入れるための塩田碑門(えんでんひもん)と呼ばれるものの名残です。塩田碑門の周りが石垣でできているのは、海の波で海水の取り入れ口が壊れてしまうのを防ぐため。満潮になると、木の板が隠れるくらいに水面が上昇するのだとか。

少し歩くと、児島商船学校の碑が現れます。

児島商船学校の碑

児島港は、軍艦などの船乗りを育成する場でもあったことが伺えます。

まちを歩いていると、山口さんが設計した建築物にも遭遇。

他にも数件設計に携わったという建築に出会っては、その建築についての小話を聞かせてくれました。どの建築物も、児島の気候や歴史を理解した山口さんだからこそ、暮らしやすい建物になるのでしょう。

ガイドの話を聞くことで想像が膨らむ体験

海沿いを歩いていくと、旧野﨑浜灯明台が見えてきました。児島のシンボルともいえる灯台のひとつです。

「なぜここに灯台があるかわかりますか?」と山口さんに問われ、参加者はそれぞれ思いを巡らせます。少し間をおいて、「灯台の向かいを見てください。あそこにローソンがありますよね」と続けます。

「今ローソンがある場所は、その昔お塩を販売する店があったんです。遠くから来た人はこの灯台を頼りに港へ入り、ここで塩を買って船に積んでまた次の寄港地へ向かっていったんですよ」

「灯台の前の通りも、大きな道路がありますね。
ここも昔は運河でした。というのも、塩田って各集落で作業が進められるんです。だから、それぞれの集落に船で物資を運ぶために運河が整備されていたんですよ。今大きな店舗になっているところのいくつかは、船着き場の名残なんです」

山口さんの話を聞くと、何気ない風景がドラマのワンシーンのように見えてきました。

児島の製塩業は、野﨑家だけでない。荻野家の存在

児島の製塩業といえば野﨑家が有名ですが、実は野﨑家以外でも製塩業がおこなわれていました。

代表格に洲脇(すわき)さん荻野(おぎの)さんがおり、野﨑さんは両家の製塩業を参考に大規模な事業を成し得たのだとか。野﨑さんは自分の生まれ育った地域でおこなわれていた事業を見て学べる環境にあったのですね。

今回まち歩きの舞台となった味野(あじの)は、かつて荻野家の塩田があった場所。現在の倉敷市立味野中学校の土地も、以前は、荻野家の土地でした。

倉敷市立味野中学校運動場

中学校になった後も塩田の影響か、雨の日には運動場から潮が吹いたとの伝説も残っているそうです。

味野中学校からさらに坂をのぼっていくと、児島聖約キリスト教会に到着しました。

児島聖約キリスト教会

現在は教会のこの場所も、荻野家の土地だったのだとか。教会の隣にある牧師さんのお家は、当時の面影を残す縁側のある日本家屋でした。

児島聖約教会牧師宅

荻野さんが製塩業を営んでいた頃は今よりも建物が少なく、瀬戸内海が一望できる邸宅だったのでしょう。

児島聖約教会からのぞむ景色

この日本家屋も、山口さんがリノベーションに関わったのだとか。ガラス越しに映る素敵な日本庭園を眺めながら集合写真を撮って児島味野まち歩きは、無事に終了。

午前10時に児島市民交流センターを出発してから約2時間のまち歩きでした。

児島聖約教会横の日本家屋は私有地です。今回は特別に許可をいただいて中に入りました。

おわりに

2023年12月に関東から倉敷へ移住してきた私にとって、児島の土地勘がなんとなくわかってきたタイミングでのまち歩き。旧野﨑家住宅や児島港でのイベントに参加し、実際に足を運んだことのある場所だからこそ、一昔前そこであった出来事を教えてもらうたびに、その情景が頭の中に浮かぶ体験ができたように思います。

備中で暮らす、町家deクラスでは、毎年さまざまなまち歩きイベントが開催されます。
2024年の備中で暮らす、町家deクラスは終わってしまいましたが、また来年は別のスポットのまち歩きに参加して備中のまちが歩んできたストーリーに想いを馳せたいです。

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