新高島平で鴨肉と厚削り節がたっぷりの“あえそば”が話題!『TGS622』が目指す新しい立ち食いそばのあり方
2025年の8月、都営三田線新高島平駅の近くに立ち食いそば店『TGS622』がオープンした。あえそばという、一風、変わったメニューが売りだが、店の成り立ちもちょっと変わっていた。
看板メニューのあえそばとは?
『TGS622』があるのは、新高島平駅の前を走る片側3車線の高島通り沿い。近くには板橋市場や倉庫が多くあって、ドライバー客が期待できる立地だ。また、通りを渡ると有名な高島平団地があり、その周囲には個人住宅も多い。飲食店にとって、実はチャンスの多いエリアなのである。
掲げられた看板には中心の「SOBA」という文字の横に「だし」「あえ」と書かれている。そば店では聞き慣れない言葉だが、『TGS622』は「あえそば」が売りなのだ。
このあえそばがなかなかおもしろい。そばはかえしと鴨肉のオイルであえられている。そこにたっぷりの鴨肉と刻み揚げ。さらに厚削り節とになると、ネギがのせられている。鴨オイルはすっきりした味わいながら、かえしにふくよかな旨味を与え、あたたかいそばによく絡む。
しっとりした鴨肉もおいしいが、やはり厚削り節だろう。これはすぐ近くの和光市にある『かつおぶし池田屋』が作っている「食べる削り節」。旨味がぎゅっと凝縮されていて、なかなか贅沢な味わいだ。鴨肉と一緒に食べると、おいしさがぶわっと膨らむ。ごちそう感があって、食べごたえのある一杯だ。
このあえそばは、最近、ラーメン店でよく見かける「和え玉」をヒントに作ったのだという。「和え玉」は「替え玉」のような、おかわりの麺。ただし替え玉と違って、タレや薬味が加えられていて、そのまま食べてもいいし、残ったスープに入れて食べてもいい。あえそばは「和え玉」をそばに置き換え、メインメニューとして昇華させたものなのである。
他業界の会社がそば店をつくった理由とは……
ユニークなのはメニューだけではない。こちらの店は飲食とは畑違いである「キムラ工業株式会社」という、土木・建築が主業の会社が経営しているのだ。
「キムラ工業株式会社」は高島平の近く、板橋区三園に本社があり、河川敷や道路の工事、コンクリートのガラなどを再生する砕石プラントなど、幅広い事業を行っている会社だ。同社は最近の多くの企業と同様に、社会全体の高齢化に伴う、社員の再雇用についてソリューションを模索していた。経験豊かで有能な人材。しかし60歳を過ぎて工事の現場で働いてもらうには厳しいものがある。そんな人でも活躍してもらえる、新しい場を作ることはできないだろうかと。
そこで提案されたのが、立ち食いそば店『TGS622』という新規事業だ。そば店ではなく喫茶店やほかの飲食店も候補にあがったという。しかし、そこで働くのは、それまで飲食や接客をしたことのない人たち。なるべく接客の機会が少なく、調理に関して省力化できるものはと考え、立ち食いそばに至ったのだという。
なるほど、立ち食いそばなら、セルフ形式なので細かな接客は必要ない。天ぷら、ツユを仕込める人がいれば、あとはゆで麺、もしくは冷凍麺を湯がけばいいので、技術的なハードルも低い。再雇用の受け皿として、立ち食いそば店はうってつけだったのだ。
新高島平店は先駆けの店
とはいえ、味のほうは省力化されていない。あえそばもいいけれど、かけそばもなかなかだ。『かつおぶし池田屋』のダシで作られたツユは、バランスよく芯のしっかりした味わい。天ぷらも具材の揚げ具合よく衣の厚さも適切で、ツユなじみがいい。立ち食いそばとしてよくできているのだ。
店長の矢口さんは「キムラ工業株式会社」所属ではない。また、ほかの従業員も今回のオープンに合わせて採用された方々で、今のところ再雇用という形は実現していない。しかし、今後は「キムラ工業株式会社」の本店がある茨城県や支店がある千葉県で2号店、3号店を出店し、そこで再雇用を実現させていく計画があるという。新高島平の店舗はそのための先駆けなのだ。
元々の社員ではないが、新高島平の店では、すでに75歳と65歳のスタッフが働いているという。高齢化社会の受け皿として、ちゃんと機能し始めているのである。今後、間違いなく日本の高齢化は進んでいく。『TGS622』のような形で立ち食いそばが役に立つのなら、そば好きとしてこんなうれしいことはない、と思う。
TGS622(ティージーエス622)
住所:東京都板橋区高島平6-2-2/営業時間:5:00~20:00/定休日:日・祝/アクセス:地下鉄三田線新高島平駅から徒歩1分
取材・撮影・文=本橋隆司
本橋隆司
大衆食ライター
1971年東京生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て2008年にフリーへ。ニュースサイトの編集をしながら、主に立ち食いそば、町パンなど、戦後大衆食の研究、執筆を続けている。