「中目黒はアウトドアファッションの聖地」と言われる由来とは? 90年代後半から続く独自文化を紐解く。
東京でアウトドアファッションを語る上で、欠かせない場所が中目黒。その発信源と言って過言ではないショップがバンブーシュートであり、ディレクターを務める甲斐一彦氏。90年代後半よりこの街を拠点にして、独自の文化を生み出し続けている。
98年、目黒川沿いに バンブーシュートが誕生
東京においてアウトドアの聖地といえば、多くの“山屋”や専門店が立ち並ぶ神田・神保町エリアを思い浮かべる方が多いだろう。しかし、「アウトドアファッション」という文脈で語るのであれば、中目黒を挙げる方が多いはずだ。川は流れているが、山がある訳ではない。なぜ、私たちの心理に中目黒とアウトドアファッションが紐づいているのか、その理由を紐解いていくには、90年代後半にまで遡っていく必要がある。
当時の中目黒は、アパレル店よりも居酒屋が多いような街で、ファッション地政学的に今ほど重要視されるエリアではなかった。そんななか、目黒川沿いに一店のセレクトショップが誕生する。それが98年にオープンした「バンブーシュート」。当時、「ワイルドシングス」や「チャムス」などのアメリカのアウトドアウエアを仕入れていた会社ソーズカンパニーの直営店としてスタートした。会社の黎明期から携わり、ショップの立ち上げにも参画した甲斐さんは、当時の様子をこう語る。
最初は手探りで運営し、古着を並べることも
「中目黒という街を選んだのは、ソーズカンパニー代表の澤野さんが、桜並木が綺麗な目黒川沿いの景色が気に入ったから。それまで自分は渋谷の古着店で働いていたこともあって、正直、最初はあまりピンと来なかったかも。中目黒にはその当時から足を運んではいて、その時はトールフリー(当時中目黒にあったセレクトショップ)とかに通ってたんだよね」。
当時の甲斐さんは20代前半。アメカジの延長でアウトドアウエアを取り入れていたことで、友人を介してソーズカンパニーに合流し、そのままバンブーシュートの店長に就任した。
「最初は手探りだったよ。ソーズカンパニーが扱うブランドのアイテムだけじゃ店が埋まらなくて、アメリカでアウトドアの古着とかヴィンテージのバッグとかを買い付けてきたりしてたんだよね。今も店内にディスプレイされているけどさ(笑)」。
最も影響を受けたのが、アメリカの音楽カルチャー
そうした試行錯誤が功を奏し、バンブーシュートは大手セレクトショップでは手に入らないマニアックなアメリカのアイテムがあると口コミで広がり、わずか数年でファッション業界人も足繁く通う人気ショップへと成長した。その数年後に、同じく目黒川沿いを拠点にするブランド「マウンテンリサーチ」が誕生。山暮らしをテーマにした斬新なプロダクトを展開し、「中目黒=アウトドアファッション」というイメージの一翼を担っていくことになる。
「バンブーシュートは、アウトドア×ファッションというより、アメリカ人のラフなライフスタイルを、そのまま体現するようなお店にしたかった。サーフィンとかスケートとか、いろんなカルチャーがあるけど、実は一番影響を受けたのがアメリカの音楽。それこそジャムバンドからヒップホップまで、いろいろ聴いていたし。それで向こうのアーティストが、ゴアテックスのジャケットを着ていることに衝撃を受けたりして。そういえば、リサーチの小林さん(マウンテンリサーチ代表の小林節正氏)と仲良くなったのも音楽繋がりで、フィッシュというジャムバンドの話で盛り上がったのがキッカケだったからね」。
素材や機能性の進化と共に新たなブランドも開拓
2000年代前半のアウトドアシーンは、ゴアテックスなどのハイテク素材やウエアの機能性が日進月歩で進化していた時代。軽量性を追求するウルトラライトのカルチャーもメインストリームに登場しはじめた頃で、その源流となるブランドの「ゴーライト」も、いち早く日本に持ち込んだ。
「アメリカのおもしろいモノをひたすら探して表現する。それがバンブーシュートのスタンスになっていたから、まだ日本に代理店がないブランドのアイテムもいろいろ扱っていたから。『ゴーライト』に限らず『アークテリクス』のウエアだったり、『ワンスポーツ』のシューズだったり」。
そんな最中で出会ったアイテムのひとつが、『グラミチ』のクライミンパンツであり、そのルーツを掘り下げるうちに、アメリカのディープなクライミングカルチャーに憧れることに。
クライミングにハマり、ウエアの機能美を追求
「自分が好きなアウトドアウエアを売り始めるようになって、実際にフィールドでも使いたい気持ちはずっとあったけど、最初はそこまで登山に興味が持てなくて。そんなときにお客さんに誘ってもらったことをきっかけにハマったのがクライミング。アクティビティとしても面白かったけど、アメリカの写真集に載っていた往年のクライマーたちのスタイルが格好よくて、こんなエッジが効いたアウトドアカルチャーがあったのかって驚いたんだよ」。
当時は20代半ばで、ちょうど夜遊びにも飽きてきた頃。クライミングを楽しむうちに、いつしか登山にも夢中になり、ライフスタイルも激変。気がつけばアウトドアイテムの機能的な魅力も、自身の経験則に基づいて語れる店長になっていた。ちなみに登山は現在まで続くライフワーク的な趣味になっている。
「実際に山に行くようになってから、アイテムのギミックとかを、改めてちゃんと見るようになったっていうか。それをファッションとして面白いっていうと語弊があるのかもしれないけれど、デザイン的にも“機能美”でウエアを選ぶようになってきた」。
中目黒は個人経営の店が好きなことをしている街
2010年代になると「ノンネイティブ」の直営店となる「ベンダー(現・カバーコード ナカメグロ)」が代官山から目黒川沿いに移転してきたり、ミリタリーに特化した古着店ハレルがオープンするなど、アウトドアと親和性の高いショップも目立つようになってくる。いよいよ聖地化とも言えそうだが、そうしたムーブメントの中心に居続け、移ろいゆく街並みを眺めてきた甲斐さんは、中目黒という街をもう少し俯瞰して見ている。
「中目黒は個人経営のお店がいっぱいあって、それぞれが独自のスタイルで、多種多様なことを発信している街。もちろん時代によって顔ぶれも変わるけれど、昔から実用的な服を作っていたり、扱っているお店が多いんだよ。しかも街中を散歩しながらハシゴできるから、例えばマウンテンリサーチやカバードコードでウエアを買って、その流れで、ウチでバッグやシューズを買ってくれたり。そうやって中目黒を徘徊して買い物を楽しむ人たちのスタイルのなかにアウトドアアイテムが入り込んでいくことによって、中目黒でよく買い物をする人は自然とアウトドアファッションをするようになっていくんだと思う。別に、自分たちがそう言った訳でもないし、そう仕掛けたりもしていないけど」。
好きなカルチャーありきで楽しむアイテム作りを追求
今年で26年目を迎えるバンブーシュートは、今も変わらず機能的で面白いアウトドアアイテムを仕入れているが、同時に数年前から展開しているのが、ショップのオリジナルとは異なる、独立したブランドとしてのモノづくり。それは甲斐さんが今までに影響を受けてきたカルチャーを改めてアーカイブ化する作業であり、新しいアウトプットのカタチでもある。
「自分的には、ファッションが好きで何かを作るのではなく、まず好きなカルチャーがあって、そこに精通するファッションを探して、それらを自分の中で消化してからアイテムを作っていく流れがある。でもそれはウチに限らず、中目黒にあるお店に共通している部分な気がする。ファッションの根っこや、源流みたいなモノが混じり合うお店やブランドが多いっていうか。そうした土壌のなかで、どんどん新しい表現を考えている人が居るから今も活気があるし、遊びに来る人も多いんじゃないかな」。
アウトドアに限らず、なにか新しいモノに出会いたいなら、中目黒を訪れるべきだ。