シャトー・カントナック・ブラウン:伝統と革新の融合
マルゴーの中心、カントナックの台地に建つシャトー・カントナック・ブラウンは、チューダー様式の城館をもつマルゴー第3級シャトーとして知られている。2019年にこのシャトーを取得したル・ルー家が昨年完成させた醸造所は、環境への配慮と最新の醸造技術を融合させた画期的な新しい施設として注目を集めている。
歴史と新たな船出
1806年にスコットランド出身のジョン・ルイス・ブラウンが、母国への郷愁からチューダー様式の城館を建てたことがシャトー・カントナック・ブラウンの始まりだ。
転機が訪れたのは2019年12月。フランスの大手ヘルスケア企業ウルゴ・グループを率いるル・ルー家の当主、トリスタン・ル・ルー氏が、この由緒あるシャトーを取得してからだ。農業技師であり、ワインに深い情熱を持つトリスタン・ル・ルー氏は次のように語る。
「初めてここを訪れた時の感動は忘れられません。早朝、マルゴーから車で向かうと、まずカントナック台地に広がるブドウ畑の海が見え、その向こうに、朝靄の中に浮かび上がるようにこの素晴らしいチューダー様式の城館が現れたのです。寒い夜の後に現れる、あの柔らかなヴェールのような霧がかかっていました。その瞬間に、ここが特別な場所だと確信しました」
ル・ルー家が目指したのは、カントナック・ブラウンが持つ素晴らしいテロワールと、200年以上にわたって守られてきた豊かな生物多様性を尊重し、さらに高みへと引き上げることだった。
「私たちは自然からの恵みと、それが我々のテロワールにとっていかに重要かを認識しています。この遺産を尊重することは私たちの責任です。私たちの取り組み全体が、妥協のない環境配慮の哲学に基づいています」とトリスタン氏は強調する。
この野心的なプロジェクトの実現のため、白羽の矢が立てられたのは、建築家フィリップ・マデック氏だった。環境配慮型建築のパイオニアとして世界的に知られるマデック氏は“豊かな簡素さ”(frugalité heureuse)という哲学を提唱する。それは、最小限の資源で最大限の豊かさを生み出すという考え方だ。
“より少ないもので、より良く作る”この思想は、トリスタン氏が求める“絶対的なものの探求”と深く共鳴した。
トリスタン氏がマデック氏に投げかけた問いは「21世紀の今日、地球を破壊する素材であるセメントを一切使わずに、6,000平方メートルの建物を建てることは可能か?」という極めて難解なものだった。マデック氏はこの課題を挑戦として受け止め、前例のない自然素材のみを用いた醸造所の設計に取り掛かった。
革新的な環境配慮型建築
新醸造所の建設にはセメントを一切使用せず、アキテーヌ地方産の無垢の木材と「生土(なまつち)」という大地そのものを主原料とすることに決めた。そして「ゼロ・カーボン」を目指すという明確な目標に基づき、建物は既存の施設群の中に完全に統合され、景観を損なうことなく、新たな土地の利用をせずに設計した。
壁の建設にはシャトーから約100キロメートル離れた場所で採取された粘土と砂の生土のみが使用されている。そして、すべて建設現場で混ぜ合わせ、直接、型枠の中で突き固めて壁を築き上げる、「版築(はんちく)」という古代から伝わる工法が採用された。この版築壁は厚さ55センチメートルにも及び、醸造所の外壁を形成する。さらに内側には、断熱材として25センチメートルのコルク層、5センチメートルの空気層、そして15センチメートルの圧縮生土煉瓦(粘土ブロック)の層が設けられ、壁全体の厚さは実に1メートルに達する。外壁は、大地とワインの結びつきを象徴し、シャトーの壁の色調に呼応する黄土色と赤色の帯で彩られた。
この生土壁は、驚異的な断熱性能(慣性熱)を発揮するため、年間を通じてセラー内は自然に15度前後の安定した温度に保たれる。さらに、土が持つ自然な調湿能力により、ワインの熟成に理想的な湿度が維持される。結果として、冷暖房や加湿・除湿のための空調設備が一切不要となり、大幅なエネルギー削減と環境負荷の低減を実現した。これは、将来的な気候変動にも適応しうる、持続可能な建築モデルとして高い評価を得ている。
建築におけるもう一つのハイライトは、樽熟成庫の天井だ。ここには、版築と同様に、地元の無垢の木材を使って組み立てられた壮大なアーチ型天井が架けられている。古代ペルシャのクテシフォン宮殿やインドのオーロヴィルなどで過去に例があるものの、カントナック・ブラウンのように木造の屋根を版築の壁で支える構造は世界で唯一の存在であり、まさに建築史に残る偉業だという。
逆さにした船の竜骨を思わせる木造の屋根構造は樽熟成庫を荘厳な「神殿」のような空間に仕立てていて圧巻だ。最初にこの空間を利用したスタッフが特に驚いたのは、その静寂さだったという。
醸造責任者を務めるジョゼ・サンファン氏は、1989年に研修生としてカントナック・ブラウンでのキャリアをスタートさせ、以来30年以上ものヴィンテージを手がけてきた。
「フレッシュさとテンションを併せ持ち、肉付きがよくベルベットのような滑らかさと、引き締まったフィニッシュ」と評される現在のカントナック・ブラウンのスタイルは、彼の長年の経験と情熱の賜物といってよい。サンファン氏の環境に対する哲学と、長年のキャリアの経験に基づき、ワイン造りのために最新設備が導入された。
最新鋭の醸造技術と品質へのこだわり
4基のリフトタンクを備えた新しい醸造所は、ブドウの受け入れから発酵、樽詰めまで、すべての工程でポンプを使わない完全なグラヴィティ・フロー(重力式)を実現している。これにより、ブドウや果汁、ワインへの物理的ストレスを最小限に抑え、より繊細でピュアな味わいを引き出すことが可能になった。
また、温度管理機能付きの円錐台形発酵タンクの容量は50ヘクトリットルから120ヘクトリットルまでとさまざまで、従来の33基から70基へと大幅に増設された。これにより、区画ごとのテロワールの個性をより精密に表現するための区画別醸造が可能となり、最終的なブレンドの精度も格段に向上することになった。また、醸造所はガラス張りで、屋根のひだ状の構造と庇(ひさし)の設計により、奥まで自然光が豊かに降り注ぐ明るい空間となっている。
ワイン造りの品質向上だけでなく、このプロジェクトでは“人”への配慮も重視された。特に、収穫ブドウを受け入れるレセプションホールは、ボルドーでも最大級の広さを誇り、近年ますます厳しくなる夏の暑さから作業者を守るように設計されている。また、醸造所全体のレイアウトも、作業者の動線を考慮したコンパクトな設計で、効率性と快適性を両立させた。
「シャトー・カントナック・ブラウンの新しい醸造所は、単なる醸造施設ではない。それは、テロワールへの深い敬意、未来の環境への責任、そして最高品質のワインを追求する情熱が見事に結晶した、新時代の象徴といってよい」
2000年以降、メドックでは毎年新しい醸造所の建設が話題になってきたが、多くのメディアがこの新しい醸造設備を、自然との調和を最も尊重したものとして絶賛している。
シャトー・カントナック・ブラウンのワインは、輝きがあり、力強く、ベルベットのような舌触り、そして長期熟成のポテンシャルを兼ね備えていることで知られている。さらに、フレッシュな果実味、凝縮感、そしてきめ細かいタンニンが特徴であり、最高のヴィンテージは、赤や黒の果実のエレガントなブーケ、豊満さとフィニッシュの緊張感、そしてスパイシーなニュアンスを表現している。また、セカンドワインであるブリオ・ド・カントナック・ブラウンや、白ワイン、アルト・ド・カントナック・ブラウンも生産しており、多様なワイン造りに取り組んでいる。