ボート釣り歴30年の釣りライターが感じる【釣り場に通い続けることの大切さ】
ボート釣り歴30年の私にとって、釣り場に通い続けることが上達の鍵だ。山口県の播磨灘北部を中心に、明石沖、高砂沖、家島諸島の3エリアで季節ごとに魚を狙って釣りを楽しんでいる。この記事では、プロのアドバイスや自分の経験から得た、釣り場に通うことの重要性とその成果について紹介する。
釣り場に通い続けることで得るもの
プロへら師の伊藤さとしさんが、「釣りの上達に必要なのは、テクニックでも何でもなく、釣り場に通うこと。釣り場に精通するまで、釣れなくてもめげずに何度も足を運べば、自ずと目が養われ情報も入手できる。サオを出す回数が多いほど、魚に出会えるチャンスが増える。(要約)」と、言われていた。
おっしゃる通りで、ボート釣りでも通っていると、どんな潮の時にボートをどう流すのかが、おぼろげながら解り始め、それで釣れれば、自分のノウハウ蓄積になる。どんな狙いものでも初めての釣り場は、まさに不安の塊。しかし、自分の実績がある場所だと、例えボーズでも何かを得られる。
逆に久しぶりの釣り場は、少しよそよそしさを感じることがあり、それでも再び通い込むと匂いを思い出し、「いける日!」「今日は帰るか……」というような気を感じるようになるから不思議だ。
場数を重ねることで覚える
晩春のマダコから夏へは、並行して尺鰺を狙いに明石沖に行く。この場は、昨年以来になるので馴染むまで時間がかかる。
尺アジやらライトジギングが明石沖でのスタートで、毎年何回も通っていながらもどんな風だったかな……だ。ここでも、通い直し、メモを見ながらああでもないこうでもないと、2〜3回失敗しながら思い出す。
今日はあそこでたくさん釣れた!と言ってくれる人があり、過去何回か真に受けて翌日行っても釣れたことがない。まあ真偽は別にして、釣りは自身の感覚的なことがものを言うので、場を重ねて自分で慣れ親しまない限り釣れない。だから、最近は竹輪の耳にしている。
潮の具合から風向きなど、自然の要素と自分の技量やタックルに仕掛け、これは積み重ねていることだから、通わないとそれを覚えず発揮しない。この潮が、斜めに流れると時合いが来るというようなものも、失敗を重ねながら覚えたことで、やはり場数だ。
通って覚えたことが釣りの財産
「いい道具を使うに越したことはないけど、それが大物釣りに必要でもない。釣り場に通ってほしい。」と先の氏は言われていた。
この製品を使えば釣れるのような広告塔のプロが少なくないのに、こういう話をして頂けると合点がいくものだ。今日は、狙いを定めて思った潮で釣ったら、釣れた。時合いが読めて、その時合いで何匹か釣れれば、この上ない楽しさだ。数釣りではなく、読みが当たるおもしろさだ。
そして、釣れると思って行ったらまったく釣れない。あることだが、同じ場所でも釣れた日とは違う何かに気づいたら、その日は儲けだ。どういうことが失敗だったかわかれば、これは価値がる。だが、失敗のノウハウ集めばかりが私かもしれない。
<丸山明/TSURINEWSライター>