角界の名門「雷部屋」の名が62年ぶりに復活。親方・元小結垣添のアツい思いに密着!
起源をたどれば、江戸時代までさかのぼる角界の名門「雷(いかづち)部屋」。1961年に閉鎖されて以来、62年ぶりにその名が復活した。走り出してから約1年。雷親方(元小結・垣添)のアツい思いに密着だ!
「走り出したら止まらない」。雷親方の思い
「与野、いいところですね。のんびりしていて、人々が大らかで」と、雷親方。すると「東京より物価が安い気がします。力士たちの食べる量が多いから、実は重要ポイントで」と、女将の栄美さんが笑う。
雷親方は現役時代、「垣添」の四股名で活躍。スピードを生かした相撲で一時は小結まで昇進した。引退後、十七代・雷に。入間川部屋を継承するため、2020年に武蔵川部屋から移籍。部屋付き親方を務め、準備を進めることとなる。
「相撲を通じて得たことを、次の世代に伝えていきたい!」と、意気込む雷親方。
しかし当初、栄美さんは部屋を継ぐことを反対していた。
「自分たちも2人の子供を育てている中、他の家庭のお子さんを預かることになる。不安だったんです」
でも、最終的に決意を固めた理由を聞くと「夫が走り出したら止まらないの、分かっていたんで」と、微笑む。
こうして2023年2月、部屋を継承した雷親方。「雷部屋」の看板を掲げ、栄美さんと7人の力士とともに、一歩を踏み出したのだった。
稽古に宿す厳しさと、生活に宿る優しさと
稽古は四股から始まる。土俵を囲む力士たちが、掛け声とともにゆっくり足を上げ、どっしと地を踏み、腰を落とす。この日は、実に150回。その後、股割り、腕立て、すり足といった基礎稽古を経て、ぶつかり稽古に移る。
受け手の力士が腰を落とし、「エイ!」と気合を発した瞬間、攻め手の力士が突進。パァンと爆(は)ぜるような音が響き、土俵に電車道のごとき跡が描かれた。「もっと早く」「そこは残すんだ」と、雷親方の指導にも熱が入る。
一方、土俵の外でも各々が四股を踏んだり、筋トレをしたりと鍛錬に余念がない。ひたすら力をその身に蓄える。その姿を見れば、彼らが「力士」と呼ばれる所以がよく分かるというものだ。
最後は全員で力士の心得を唱和し、稽古が終了。皆、髷(まげ)が乱れ、全身砂だらけ。でも、表情は精悍(せいかん)そのものだ。
カッコイイぜ……。
「今日は稽古初日なので、短め。普段は取り組みなどもやるのですが、怪我させたくないですし」
そう語る雷親方の表情は、稽古中と打って変わって、柔和そのもの。力士たちに気さくに声をかけ、談笑している。
「最初の1年くらいは、打ち解けるのが大変だったんですよ」とは、栄美さん。「入間川部屋の頃の力士もいて、私たちが輪の中に入っていく形だった。積極的に声をかけて、ようやくなじんできたかな」。
そこへ、「ママ」と声をかけてきたのは力士の獅司(しし)。角界初のウクライナ出身の力士で、番付は十両。期待のホープだ。
「獅司、パパ(雷親方)より卓球強いもんね〜」と、オフの様子を語る栄美さん。「その話はしたくない」と口を尖らせる親方。2人を見て無邪気に笑う獅司。ああ、この光景、家族そのものだ。
「相撲って、辛いことも多いんですよ」と、雷親方。「でも、一生懸命頑張れば必ず報われる。私も相撲を通じてたくさんのご縁や経験に恵まれました。『頑張れば、倍になって返ってくる。それを信じてほしい』と、部屋のみんなに伝えています」。
きっと、各界に轟く雷鳴となる! 今後の活躍、とくと見よ!
『雷部屋』
餅つきや豆まきなど、近隣住民との交流も盛んに行っている。それにしても、なかなかモダンでしゃれたいでたちの部屋だ。
●埼玉県さいたま市中央区八王子3-32-12
HP:ikazuchibeya.com
取材・文=どてらい堂 撮影=山出高士
『散歩の達人』2024年5月号より
どてらい堂
熱血物書き
インタビュー記事を得意とするが、街頭調査やルポルタージュなど、体当たりな企画はより嬉々として勤しむ1984年生まれのB型男。主に『散歩の達人』で執筆。漫画・アニメ・格闘技オタクで、少年漫画脳な気質が文章にちらほら。たこ焼きの腕だけはプロ以上。