『江戸時代の寛政三美人』蔦重が見出し、喜多川歌麿が世に送った3人の美女とは
現代ではテレビ、新聞、雑誌といった「マス広告」に加え、インターネットやSNSも広く使われていますが、江戸時代にはもちろん、そうしたメディアはありませんでした。
代わりに、派手な引札(宣伝用チラシ)、絵看板、浮世絵などが広告手段として大活躍しました。
前回の記事では、美人で評判だった茶屋娘・笠森お仙が、人気絵師・鈴木春信のモデルとなり、江戸中のアイドルとなったエピソードを紹介しました。
江戸時代に「会いに行けるアイドル」がいた!美人番付No.1 茶屋娘・笠森お仙とは
https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/105877/
今回は、前回触れた「寛政の三美人」についてのお話です。
美しい女性を描いた「美人画」が浮世絵の人気ジャンルに
「美人」という存在は、いつの時代も老若男女の関心を集めます。
古代から現代まで、美人で有名な女性の肖像画を見ると、時代ごとに「美人の基準」が変化してきたことがわかります。
たとえば、ポーラ文化研究所の『日本の化粧文化史』によると、江戸時代の美人の条件は「白肌」が最も重要だったとされます。
当時の美容書『都風俗化粧伝』には、「色の白きを第一とす。色のしろきは七難かくすと、諺にいえり」と記されています。
江戸時代、美しい女性を主題にした「美人画」は、浮世絵の人気ジャンルとして前期から親しまれ、鈴木春信をはじめ、菱川師宣、喜多川歌麿、磯田湖龍斎、鳥居清長、渓斎英泉らが活躍しました。
中でも「美人画に革新をもたらした」と評されるのが喜多川歌麿。
その代表作が、寛政5年(1793)頃に描かれたとされる「寛政の三美人」(当時三美人)です。
喜多川歌麿が描いた「当時三美人」(寛政の三美人)
浮世絵はそれほど興味がないという人でも、この三人の美女が並んだ絵には、どこかで見覚えがあるのではないでしょうか。
この「当時三美人」(寛政の三美人)は、喜多川歌麿が大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の主人公・蔦屋重三郎と組んで、世にデビューさせた作品です。
「三美人」とは、寛政期に実在した評判の美人娘で、富本豊雛・難波屋おきた・高島屋おひさの三人になります。
富本豊雛は、富本節(三味線音楽のひとつで浄瑠璃の一種)の吉原芸者。
高島おひさは、江薬研堀の水茶屋高島屋の看板娘で、お煎餅屋の父・髙島屋長兵衛が兼業する茶店で働いていました。
難波屋おきたは、浅草随身門脇の水茶屋で働く娘でした。
※江戸芝神明前の水茶屋の娘・菊本おはんも、高島屋おひさ、難波屋おきたとともに寛政の三美人といわれ、喜多川歌麿の浮世絵にも描かれたという説もあります。
彼女たちに共通しているのは、色白・細面の瓜実顔・吊り上がった切れ長の目などでしょう。
三美人それぞれ「紋」の違いや表情の違い
「美人は似る」と言われることがありますが、「寛政の三美人」である富本豊雛、高島屋おひさ、難波屋おきたは、たしかに一見するとよく似ています。
しかし、実はそれぞれを見分けるための家紋が描かれており、高島おひさは着物と簪に桐の紋、難波屋おきたは柏の紋が入った団扇、富本豊雛は桜草の紋があしらわれています。
ちなみに、大河ドラマ『べらぼう』では、蔦屋重三郎が富本豊志太夫(演:寛一郎)の舞台を見に行く場面で、太夫の裃にも桜草の紋が描かれており、出待ちのファンたちも同じ紋の団扇を手にしていました。
また、よく見ると眉の形、目の形、鼻の形、頬の輪郭などが微妙に異なり、それぞれの個性が表現されています。
歌麿は「大首絵」(※)の技法を用い、わずかな体の傾きや仕草で女性の魅力を繊細に描き出しています。
この表現は当時、大変な評判を呼びました。
※大首絵:江戸時代に描かれた浮世絵の様式のひとつ。歌舞伎役者や遊女、評判の町娘などを半身像や胸像として捉えて描いた浮世絵版画で、役者の演じる表情や遊女の美貌を間近で鑑賞したいという要求から生まれたとされる。
当時の美人画は、全身像や風景の中の人物が主流で、バストアップの構図は珍しかったのです。
歌麿が美人大首の構図で発表された最初の作品は「婦人相学十躰」(ふじんそうがくじゅったい)と「婦女人相十品」(ふじょにんそうじっぽん)というもので、喜多川歌麿の最盛期の傑作のひとつといわれています。
これらの作品は背景を描かず、女性の顔の細部や表情、しぐさを繊細に描き出しており、雲母(うんも)の粉を使った雲母摺りによる光沢のある仕上がりが特徴です。
どちらの作品も、版元は蔦屋でした。
天明7年(1787年)に松平定信が老中に就任して以降、戯作や浮世絵は「風紀を乱す」として厳しく規制されるようになり、寛政3年(1791年)には、蔦屋が刊行した洒落本も処罰の対象となりました。
財産の半分を没収される「身代半減」の処分を受けた蔦屋重三郎にとって、歌麿の絵はまさに起死回生をかけた勝負作だったのです。
三美人それぞれ「紋」の違いや表情の違い
「艶っぽい美女を描かせたら右に出る者はいない」と評された歌麿は、もともと老舗版元の西村屋で挿絵を手がけていましたが、なかなか注目されずにいました。
そんな中、蔦屋重三郎に才能を見出されたことで、一気に名を上げることになります。
浮世絵に描かれた美人たちは、現代でいうグラビアアイドルのような存在ともいわれますが、同時にファッションリーダーでもありました。
彼女たちの着物の柄や髪型、小物などは、当時の女性たちの間で大いに注目を集めていたのです。
たとえば、切手の図柄にもなった有名な「ビードロを吹く娘」。
彼女が身につけていた市松模様の振袖や、江戸では物珍しかったビードロ(ガラスの玩具)は人気になったとか。
浮世絵の美人画は「皆顔が似ている」と言われることもありますが、表情や顔のパーツ、身につける小物や髪型の違いをじっくり鑑賞すると、彼女たちの感情や個性が伝わってくるようです。
他の絵師の美人画も、その描き方や個性を比較しながら楽しむと、新たな発見があるかもしれません。
参考:
『日本の化粧文化史』ポーラ文化研究所
『蔦屋重三郎の浮世絵』 なゆた出版
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部