入居審査を通すコツは?SDN48から宅建士に転身した私に、芸能人から家探し依頼が殺到する理由
もともと“ギャルサーの総長”だったなちゅさんは、芸能人御用達の不動産仲介人として活躍している変わったキャリアの持ち主です。ギャルの良さを広めたいという思いで恋愛トークバラエティ番組『恋のから騒ぎ』に出演し、ギャル芸人として芸能界デビュー。SDN48やギャル書道家として活動したのち、あるきっかけで不動産業界に入りました。口コミで次々に芸能人が指名する人気の不動産仲介人になったなちゅさんに、ゼロからのスタートで新しい仕事に挑戦し、自分のポジションをつくる方法を伺います。
黒縁眼鏡のいじめられっ子がギャルサーの総長に
―ギャルになった理由は?
ギャルの友達を好きになったからです。中学校に入ったばかりの私は黒縁眼鏡の地味なルックスで、入学してすぐにいじめられるようになってしまい、どうしようと思いながらしぶしぶ学校に通っていました。そんな中、クラスの空気を読まずに「いっしょにお昼ごはん食べようよ!」と誘ってくれたのがクラスメイトのギャル。私の見た目もいじめられていることも気にせず仲良くしてくれました。それから一気にいじめがなくなったんです。
―ギャルの友達に救われたんですね。
それまでは「ギャルって怖い」と思っていたんですけど、実際に関わってみると優しくていい子が多いんですよね。だから「私もギャルになりたい」と思って、中学2年生からギャルになったんです。そのままギャル街道を突っ走って、大学でもギャルサーに入りました。
―それからギャルサーの総長になった経緯は?
ギャルが大好きなので「ギャルの聖地・渋谷でNo.1のギャルサーになって、ギャルの良さをもっと広めたい」って想いがあったんです。先輩の総長が辞めたタイミングで「次の総長はなちゅがいいよ」と推薦してもらって、もう1人のメンバーとW総長を務めました。いくつか有名なギャルサーがあったんですけど、約50人規模にまで増やして、ギャルサーイベントのお立ち台で真ん中に立てるようになりました。大学三年生で引退するまでギャルサーの活動に没頭しましたね。
―ギャルサー卒業後はどうしたんですか?
引退式のあとにすぐ黒髪にするメンバーが多いんですが、私は「渋谷で一生ギャルとして生きていきたい」と思っていたので金髪のままで、大学4年生になっても就活をしませんでした。そしたら知り合いから「『恋のから騒ぎ』のオーディションがあるから受けない?」と誘われて、オーディションを受けることになったんです。ギャル全開で話していたら、最終審査でさんまさんに「おもろいな~」と言われて合格して、大学に通いながら収録に通っていました。
さんまさんと秋元康さんに認められ、芸能界へ
―『恋のから騒ぎ』に出て、どんな変化がありましたか?
大好きなさんまさんと喋れるのが楽しすぎて「自分の生きがいは芸能界にあったんだ!」って思いました。さんまさんとの掛け合いも人前で話すのも最強にうれしくて、芸能界で生きていこうと決めたんです。でも恋のから騒ぎは「1年間で卒業」と決まっていたので、卒業してからはワタナベエンターテインメントの養成所に入り、女性タレントコースに1年間通いました。最後に芸能事務所が100社参加するオーディションを受けて、自らワタナベエンターテインメントを志望して入れてもらったんです。そこで「芸人が向いているんじゃない?」とすすめられました。
―芸人になることに抵抗はありませんでしたか?
「マジで?」と驚きましたけど、青木さやかさんに憧れていたので抵抗はなかったです。しかも芸人をすすめてくれたのは青木さやかさんを育てたマネージャーさんだったので、認めてもらえたのがうれしかったですね。ただ、すぐにはうまくいきませんでした。やまんばギャルでオーディションを受けたものの、ことごとく落ちてしまって……。転機になったのは、25歳で受けたSDN48 のオーディションです。会場にいるのはかわいい子ばかりだったんですが、女芸人の私がなぜか選考に残り続け、合格したときは「何かの間違いじゃないの?」と思いました(笑)
―なぜ選考に残ったんでしょう?
最終オーディションの審査員だった秋元康さんが、やまんばギャルのルックスで演歌『天城越え』を熱唱したら「おもしろい!」って吹き出してくれたんですよ。それでMC要員ってポジションを作ってくれたんです。
―秋元康さんにも認められたんですね!SDN48に入ってみて、どうでしたか?
もともとアイドルに憧れていましたし、大好きなトークもできるから最高に楽しかったですね。人気絶好調のAKB48メンバーとドラマ『マジすか学園』で共演できて、前田敦子さんにもかわいがってもらって……。グループが解散するまでの3年間、本当に楽しい青春を過ごさせてもらいました。
―大変だったことはありませんでしたか?
芸能活動で一番楽しかったのも、一番大変だったのもSDN48です。パラパラしか踊ったことがないギャル芸人がアイドルのステージに立つのって、やっぱり大変でした。最初の3週間のレッスンはマジで何もできなくて、体力的に地獄でしたね。キャラ的には問題なかったのですが、瘦せたくて20キロ以上落とす過激なダイエットを2回もやりました。SDN48の卒業前は今後のキャリアへの不安も重なって、人生最後のダイエットにしようと思い「死ぬか、痩せるか」みたいな思考に追い込まれてしまって。楽しかったですけど、もう無理なダイエットはしたくないです。
―それは大変でしたね……。SDN48卒業後は何をしましたか?
「ギャル書道家」という肩書で活動しました。芸能界は武器がないと生きていけないので、料理やお琴などいろいろな習い事をやって、唯一続いたのが書道。師範の免許を取って、ギャル書道家として人の体に文字を描く「ボディ書道」パフォーマンスをするようになりました。ハチ公前でも披露して、特に海外の方に喜ばれました。
元芸能人の強みを生かし、芸能人御用達の不動産仲介人に
―そこからなぜ不動産の道に?
不動産業を営んでいる父の体調が悪くなってしまったんです。それまでは継ぐ気がなかったんですが、父はずっと私の活動を応援してくれていたので「次は私が応援する番だ」と思って、初めて継ぎたいと感じました。芸能活動を始めてから約10年経っていて「もうやりたいことはやり切った」と思えたことも大きかったですね。まずは宅建試験を受けて宅地建物取引士の資格を取ろうと思い、独学で勉強しました。1年目はあと1点のところで落ちてしまい、2年目は油断してボロボロの結果になり、3年目は「ちゃんと誰かに習って勉強したい」と反省して通信講座を運営している会社に自ら営業しました。
―自分で自分を売り込んだんですか?
はい。それまでの芸能活動で自分を売り込むことには慣れていましたね。「御社の教材で勉強して宅建試験に受かるので、受かるまでのプロセスをYouTube動画にしてください。PRします」と直談判して、無償で人気の先生の個別指導付きで勉強させてもらいました。その年に無事合格できたのは先生のおかげです。
―合格してから、ご実家を継いだんでしょうか?
いえ、継ぎませんでした。父の体調が良くなって、私が宅建試験に受かったころには元気に社長業ができるくらい回復していたんです。実は、3回目の試験勉強中から四谷の賃貸不動産店でアルバイトを始めていたんですよ。父の病気がショックで飲み歩いていたときに、知り合いが「泣いてないで、俺の友達の不動産屋でもうはたらいちゃえよ」と紹介してくれて。それから芸能界の友達に「引越ししたいんだけど、審査に落ちちゃったんだよね。なちゅ、仲介してくれない?」と相談されることが増えたんです。審査が通るようにサポートしていたら、口コミでいろんな芸能人の方から相談されるようになりました。
―そこで「芸能人御用達の不動産仲介人」というポジションができたんですね。
はい。「そんなに頼まれるなら、芸能人御用達の仲介部署を作ってみたら?」と誘ってもらって、新しい不動産会社に転職して4年ほどはたらきました。いまだにアイドルつながりの方にも相談されますし、ずっと芸能界時代のご縁で部屋探しのお仕事をいただいています。ありがたいことに一度も自分で営業したことはなくて、新しいお客さまは知り合いから紹介される方だけです。また、賃貸だと必ず更新のタイミングがやってくるので、2年ぶりにご連絡をいただくこともあって、時間が空いてもまた頼んでもらえるのがうれしいなと思います。
―芸能人からなちゅさんが信頼されている理由は?
芸能人の気持ちや事情が分かることが強みになっていると思います。アイドルだと内覧で男性の営業スタッフと密室に入るのを怖がる子も多いですし、有名な人は自分の年収や住所などの個人情報を伝えることに抵抗があります。こういう細かいことに配慮できると、お客さま側のストレスが減りますよね。あと「芸人さんだったらこういうアルバイトもしているだろうな」「アイドルだったら事務所からこういうサポートが受けられるかもな」とある程度の生活事情が想定できるので、審査が少しでも通りやすくなるように様々な提案ができるのも私の強みです。
―今後はどんなキャリアを歩んでいきたいですか?
芸能界の方のお部屋探しをお手伝いしつつ、私も芸能活動をしていきたいです。自分が広告塔になれば、もっとたくさんの方のお部屋探しをサポートができると思うんですよね。会社員として学んだ不動産の基礎知識を生かしながら、芸能活動も続けていきたいです。
(文・秋カヲリ、写真提供・なちゅさん)