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戦後80年 戦禍の記憶【2】 麻生区在住 ふじた あさやさん(91) 「手のひら返し」に憤り覚え 「自分事として見つめる体験を」

タウンニュース

インタビューに応えるふじたさん

たった一夜で、家が、人が、まちが、なくなった――。

東京都生まれ。国民学校(小学)5年生だった1944年の初夏から、学童疎開が始まっていたが、体調を崩し伊豆から帰京を余儀なくされていた。東京では、度重なる空襲に怯え、睡眠不足が続く毎日。「皆、段々とまいっていくのが目に見えた」

そんな日々の中、東京大空襲が起こった。1945年3月10日の真夜中。今までは数百m上空を飛んでいた爆撃機が、初めて数十mの超低空から爆弾を落とした。操縦士の顔が見えるほどの近さだった。「何丁目の角から何丁目の間に何発、と正確に落としていく。それはもう正確に」。射程距離が狭まったことで、米軍機は的確に被害を与えていった。

「僕は上野不忍池の方に逃げた。無駄だから、池には焼夷弾を落とさないだろう」。不忍池の周りにあった防空壕に入り、時々顔を出して様子をうかがった。まちが焼けていくだけだった。その光景はまさに火の海。一夜にして9万5千人が亡くなった。「軍事的なものはない場所。人々がこれだけ死ねば音を上げるだろう、というものだったのでは」

凄惨な光景を目の当たりにしてもなお、我が国が勝利を手にする日がやってくると思っていた。なぜか。日本は勝つと「教えられていた」からだ。

それが、負けた。

日本はポツダム宣言を受け入れ、戦争は終わった。

敗戦後、学校では手のひらを返したように、教科書に記された文章を濃くすった墨で塗りつぶすよう指示された。戦意を鼓舞し、軍国主義を賛美する文言ばかりだった。「今消したところは教わらなかったことにしてほしい」。担任の言葉に、激しい憤りを覚えた。「だましやがって。覚えてろ!」。心の中で叫んだ。

当時感じた教育への不信感は、演劇にまい進し、劇作家として活動をする今もなお、自身の表現の根となっている。「教育は信じるものではなく、考え始めるきっかけに過ぎない」。その思いで多くの児童向け作品を手がけてきた。「自分だったらどうしようと考え、自分事として見つめられる。そういう疑似体験をさせる演劇は、本当の意味で教育だ」

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今年で戦後80年。体験者が年々減少し、戦争の記憶が風化しつつある。当事者の記憶を後世に残すとともに平和の意義について考える。不定期で連載。

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