江戸のカルチャーを牽引 ― 「江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」(レポート)
大河ドラマの主役として注目を集める蔦屋重三郎(蔦重)。歌麿や写楽など、名だたる絵師の才能を世に送り出し、浮世絵の発展に大きく貢献した人物です。
その蔦重を軸に、浮世絵の黄金期とその広がりを紹介する展覧会「開館30周年記念 江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」が、千葉市美術館で開催されています。
千葉市美術館「江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」会場入口
展覧会の冒頭では、蔦重が登場する以前、近世初期の風俗画から多色摺「錦絵」の誕生までの流れをたどります。
現世を楽しむ「浮世」の思想が広まる中で、菱川師宣や鈴木春信らが浮世絵の基盤を築いていきました。
千葉市美術館「江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」会場
《衝立のかげ》は、浮世絵の始祖・菱川師宣による枕絵。現在の千葉県鋸南町出身の師宣による、江戸の大火以前に制作されたとされる貴重な一図です。
菱川師宣《衝立のかげ》延宝(1673~81)後期 千葉市美術館蔵
蔦重は吉原生まれ。遊郭のすぐそばで本屋を営みはじめ、のちに吉原細見の出版を独占するなど成功を収めました。吉原の文化的な一面に触れながら育ったことが、彼の出版活動に大きな影響を与えたと考えられます。
葛飾北斎《馬尽轡町》は、午年にちなんだ摺物シリーズの一図で、遊郭を意味する「轡町」にまつわる絵と歌を組み合わせています。吉原細見の包紙や、遊郭を訪れる場面が描かれ、細見が新年の象徴としても扱われていたことがわかります。
葛飾北斎「馬尽轡町」文政5年(1822)千葉市美術館蔵
宮川一笑《吉原風俗図》では、春の吉原で馴染み客を迎え登楼する遊女が描かれています。
身分を隠す武士と、堂々と前を見据えて歩く遊女の姿が対照的で、彼女の誇り高さが印象的です。
宮川一笑《吉原風俗図》元文期(1736~41)千葉市美術館蔵
安永期に版本出版を始めた蔦重は、吉原細見を皮切りに、天明期には本格的な版元としての道を歩み始めます。
天明期は浮世絵の技術と表現が飛躍的に進化した「黄金期」の幕開けでもありました。
千葉市美術館「江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」会場
歌麿《当時三美人》は、評判の美女3人を仏画の三尊像のように構成した美人画の傑作。
配された3人はすべて実在の人物で、それぞれの出自まで特定されています。
喜多川歌麿《当時三美人 富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ》寛政5年(1793)千葉市美術館蔵
写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》は、写楽が登場直後に発表した「役者絵」シリーズの一図。
大判サイズの雲母摺による豪華な錦絵28点を一挙発表したデビューは、異例のスケールでした。
東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》寛政6年(1794)千葉市美術館蔵
天明末期から寛政期にかけては、寛政の改革の影響を受けながらも、錦絵や肉筆画、入銀本といった多様な形式が生まれ、浮世絵はさらに発展します。
歌麿《祭りのあと》は、天明期に描かれた初期の肉筆画で、酔った男を支える娘の情感豊かな姿が印象的。
かつてアンリ・ヴェヴェール・コレクションに所蔵されていたこの作品は、近年になって発見され、本展で初公開となりました。
喜多川歌麿《祭りのあと》天明期 個人蔵 アンリ・ヴェヴェール旧蔵
勝川春章の《婦人風俗十二ヶ月》シリーズからは、《正月》と《雛祭》が展示されています。
前者では正月遊びに興じる娘の晴れやかな姿を、後者では雛祭を迎える女性たちの穏やかな時間が描かれています。春章は似顔絵でも知られますが、美人画の名手でもありました。
(左から)勝川春章《婦人風俗十二ヶ月 正月》寛政元〜4年(1789〜92)頃 千葉市美術館蔵 / 勝川春章《婦人風俗十二ヶ月 雛祭》寛政元〜4年(1789〜92)頃 千葉市美術館蔵
蔦重は寛政9年(1797)に亡くなりましたが、その出版事業は二代目に引き継がれ、北斎や歌麿らの作品は継続して世に出されました。
蔦重がその発展に大きく寄与した浮世絵は、後にジャポニスムの潮流の中で高く評価され、北斎、広重、英泉らの作品は海外でも広く愛されています。
(右手前)葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」天保2〜4年(1831〜33)頃 千葉市美術館蔵
江戸の出版文化を牽引した蔦屋重三郎の眼と手腕が、浮世絵をいかに高みへと導いたのか。本展ではその軌跡とともに、絵師たちの多彩な表現をじっくりと味わうことができます。
浮世絵の背景にあった“プロデュースの力”を、たっぷりと味わってください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年5月29日 ]