「心を奪われない人はいない」「完璧な1作」と絶賛された、注目のインド映画『私たちが光と想うすべて』
インド映画史上初「第77回カンヌ国際映画祭」グランプリを受賞したほか、100を超える世界の映画祭・映画賞にノミネート、25以上の賞を獲得。「夜のムンバイを背景にした孤独なロマンスを、これほど美しくとらえた映画は初めてだ(Variety)」「心を奪われない人はいないはず(BBC)」「完璧な1作(Les Inrockuptibles)」と絶賛が続出し、初長編劇映画にして70か国以上での公開が決定した映画『私たちが光と想うすべて』が、7月25日(金)より公開される。このたび、困難な愛と、その背後にあるインドの現実を、“ドキュメンタリーとフィクション”を交錯させた「ハイブリッド手法」で鮮やかに、わずか100秒で描き出したシーンが解禁となった。
仕事、恋、結婚、ままならない人生に揺れる女性たちの友情
インドのムンバイで看護師をしているプラバと、年下の同僚のアヌ。二人はルームメイトとして一緒に暮らしているが、職場と自宅を往復するだけの真面目なプラバと、何事も楽しみたい陽気なアヌの間には少し心の距離があった。プラバは親が決めた相手と結婚したが、ドイツで仕事を見つけた夫から、もうずっと音沙汰がない。アヌには密かに付き合うイスラム教徒の恋人がいるが、親に知られたら大反対されることはわかっていた。
そんな中、病院の食堂に勤めるパルヴァティが、高層ビル建築のために立ち退きを迫られ、故郷の海辺の村へ帰ることになる。揺れる想いを抱えたプラバとアヌは、一人で生きていくというパルヴァティを村まで見送る旅に出る。神秘的な森や洞窟のある別世界のような村で、二人はそれぞれの人生を変えようと決意させる、ある出来事に遭遇する——。
「村にいた頃、日が暮れるまでサッカーをやってた」「客室乗務員になりたかったの。こっそり受験申請したんだけども、父が怖くて行かなかった」「おかげで僕は君と会えた」「機内で出会ってたかもしれないわ」だがその後、アヌの母親からの電話で現実に引き戻されてしまう—。夜の市場を歩きながら交わされるのはごく普通の恋人たちの美しい時間と、向き合うべき現実とそこからの逃避。このわずかなシーンの中で描かれるのは、インドにおいてなお根深い<異なる宗教間の婚姻>という困難。個人の愛が家族や社会に阻まれる様子を、鮮やかかつ繊細に映し出している。
「『私たちが光と想うすべて』は、前作(※『何も知らない夜』(2024)/ラブストーリーであると同時に学生運動を描いたドキュメンタリー)のように直接的な政治性は持っていません。だけど私はすべてのものには政治と関わりがあると思っています」と語るパヤル・カパーリヤー監督。続けて彼女はこうも言う。「インドにおいて愛は極めて政治的。だから、この映画が政治的要素を持たないとは言いません。誰と結婚できるかだって非常に複雑な問題です」「カーストの問題や宗教の問題は、誰と人生を共にするか、そしてそれがどんな結果をもたらすかに大きな影響を与える。<結ばれることのない愛>はこの映画の主要なテーマの一つで、非常に政治的なものです」と続ける。
ドキュメンタリー経験者でもあるカパーリヤー監督。本作では街中を小さなカメラでゲリラ撮影した映像と録音した環境音をドラマに取り込むという手法を取り入れ、彼女の類稀な感受性を通すことで、詩的でありながら鋭く現実を突きつける唯一無二のアートへと昇華、本作は、その表現の豊かさから「ドキュメンタリーというジャンルの可能性を広げた」と高く評価されている。
カパーリヤー監督は、「ノンフィクション映画を作る時は撮影して編集し、足りない部分を見つけてはまた撮影に行くというプロセスを繰り返す。もちろん完全には難しくても私はフィクション映画を作る際にもそのアプローチがしたい」「例えば、最初の編集作業で、三人の女優の関係は私が思っていたよりもずっと強いものであることに気づきました。だから後編ではもっとそれを描きたかった」「フィクションとドキュメンタリーを共存させることは私にとっては今でもとても重要なことです。私が試みているのは、フィクションをノンフィクション的なアプローチで扱うこと。この二つを共に考えることでノンフィクションはよりフィクションらしく、フィクションはよりノンフィクションらしくなると強く信じています」と語っている。
タイトルが示す通り、全編にわたって、多種多様な光がスクリーンから零れ落ちる本作。繫華街のネオン、スマートフォンのライト、朝の太陽と夕陽、海の水面、そして彼女たちの瞳の輝きと心に灯された希望——世界中に光を届ける新たな傑作が、この夏、日本を照らし出す。
『私たちが光と想うすべて』は7月25日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国ロードショー