【横須賀 観光スポットレポ】安浦町埋地殉難者供養塔-横須賀の発展を支えた功労者を悼む
横須賀市安浦町、「安浦町埋地殉難者供養塔」をご紹介します。京浜急行「県立大学」駅から徒歩5分です。
名曲に刻まれた横須賀の地形
横須賀市出身の山口百恵さんの名曲「横須賀ストーリー」で
急な坂道駆け上ったら
今も海が見えるでしょうか
ここは横須賀
と歌われているように、横須賀市は平地が少なく丘陵地帯が広がっており、坂やトンネルが多い地域である事でも知られます。このため、都市の発展や産業の拡大を図る上で、埋め立てによる土地造成が不可欠とされてきました。横須賀の埋立地としては比較的新しいものとしては平成町が挙げられますが、実はお隣の安浦町も埋め立てによって作られた町になります。
画像出典:湘南人
今回ご紹介する供養塔は画像の聖徳寺坂を下った交差点の先にある安浦公園の敷地内に建てられています。
画像出典:湘南人
明治時代に始まった埋め立て工事の苦難
地域の発展と共に地元の有力者によって始められた埋め立て工事は明治時代から始まりましたが、まだ機械も少なく人力に頼った工事であった為、さまざまな要因で事故が発生しました。これらの事故により、17名の労働者が尊い命を落とす結果となりました。彼らの犠牲は、地域の発展の礎となった一方で、その悲劇は地域社会に深い悲しみをもたらしました。
犠牲者を悼み、後世へ伝える供養塔
画像出典:湘南人
亡くなった労働者たちの冥福を祈り、彼らの努力と犠牲を後世に伝えるため、地元の有志や工事関係者によって1925(大正14)年9月13日、供養塔が建立されました。この供養塔は、単なる慰霊の場としてだけでなく、安全な労働環境の重要性を再認識する場としての役割も果たしています。
画像出典:湘南人
供養塔の前では、毎年定期的に慰霊祭が執り行われています。地域住民や関係者が集い、亡くなった方々の冥福を祈るとともに、過去の教訓を胸に刻み、安全な地域づくりへの決意を新たにしています。これらの活動は、地域の連帯感を強め、歴史を風化させずに次世代へと伝える重要な役割を担っています。
地域発展の陰にあった労働者の足跡をたどる
安浦町の埋め立てによる発展は、多くの労働者の努力と犠牲の上に成り立っています。供養塔は、その歴史を忘れず、未来へと繋げていくための大切な遺産と言えるでしょう。また、供養塔の存在は、現代に生きる私たちに、安全で働きやすい環境の整備の重要性を改めて考えさせる契機ともなっています。
横須賀市全体を見ても、平地の少なさから多くの地域で埋め立てが行われてきました。これらの埋め立て事業は、都市機能の拡充や産業の発展に寄与してきましたが、その背後には数多くの労働者の努力と犠牲が存在していたことを忘れてはなりません。供養塔は、その象徴として、私たちに過去の歴史と向き合い、未来への教訓を伝え続けてくれます。
安浦町埋地殉難者供養塔
アクセス
京浜急行「県立大学」駅から徒歩5分
住所:〒238-0012 神奈川県横須賀市安浦町2丁目
駐車場:なし