来日ロックバンドおもてなし大作戦!ジャーニーが武道館公演を成功させた夜の祝宴は?
来日アーティストと新しい関係を築くきっかけになるカンパニーディナー
来日したアーティストに対し、レコード会社の最もオフィシャルなホスピタリティとして、“カンパニーディナー” というセレモニーがあります。興行だろうがプロモーション来日だろうが、遠来の客をもてなすということでホスピタリティを施すのは当然だと思っています。
食事を一度したくらいで簡単に理解しあえるのか? と思われるかもしれませんが、そこは日本人同士でもそうであるように、外国人でも同じく打ち解けて新しい関係を築くきっかけになるものです。アーティストサイドからしてみれば、日本でアルバムをたくさん売って欲しいわけですから、彼らもまた我々に多少の気遣いはあるのです。
まあ、カンパニーディナーと言っても、ほとんどは気楽でカジュアルなものです。アーティスト側もそれを望みます。そもそもが革ジャン、Tシャツのロックな連中ですから、かしこまった席は苦手です。
洋楽アーティストならではのお店の選び方
実はカンパニーディナーにもランクがあります。売上が高いアーティストと新人では、当然待遇も違います。私が担当したビリー・ジョエル、ボズ・スキャッグス、ジャーニーなどは大成功アーティストですので、基本的には本人たちの希望メニューに応えますし、予算も気にすることなく最高級なお店を選びます。
ステーキなら乃木坂、焼肉なら西麻布、鮨なら六本木などにある高級店を利用します。ただ、 “メニューにないものを作ってくれ” などの外人特有のリクエスト(わがまま?)は覚悟しておく必要があるので、外人の接客に慣れているお店を使っていました。また、いくら高級なところでも、例えば和食会席料理屋など、靴を脱がなければいけない店はできるだけ避けていました。
アメリカのスポーツ界でもショービズの世界でも同じですが、その昔、“成功者はキャデラックに乗れる。そうでないものはフォードに乗れ” と聞いたことがあります。来日前に、“東京に行ったら、こういう美味しい店があるぜ” など、アーティスト仲間から情報をもらってくる場合もありますし、何度も来日しているスタッフなどは東京のお店事情もランクもよく知っています。
新人バンドには “アルバムが売れたら次は案内する” と明言
バンドメンバーから “○○へ行きたい” とリクエストされても、もし、そこが高級な店だった場合は “お前たちはまだ新人バンドで成功してないから、残念ながらそこへはいけない。アルバムが売れたら次は案内する” と、はっきり伝えるようにしていました。
これはマネージャーの教育によるところもありますが、しっかりした考えをもっているグループは納得してくれます。コンサート時なら、さらに分かりやすいはずです。武道館を満員にできるアーティストなら最高級のもてなしを受けますが、そうでなかったら “それなりのところ” で我慢するしかありません。
高級店にいけない新人バンドは、カジュアルですが、小綺麗なしゃぶしゃぶ屋とか、洒落た焼肉屋などでもてなすことが多かったです。もちろん、仮に食べ放題の店だったとしても、そういう情報は伝えませんし、焼肉にしてもレギュラー肉で十分喜んでもらえるものなのです。余談ですが、私がアテンドしたケースで、高級焼き肉屋の最高級ロースやカルビを提供したことがありました。その時 “もったいない!” と叫びたくなるほど肉を焦がして焼いていたアーティストがいます。 “ベーコンか!” ってツッコミたくなるほどに…
来日アーティストたちのイメージする和食屋は、NYやLAの日本料理屋?
実は、意外な不便さがあるのが和食です。バンドメンバーから “和食が食べたい” と言われても、彼らのイメージする和食屋はニューヨークやロサンゼルスなどにある日本料理屋さん、つまり寿司、天ぷら、すき焼きまでなんでも提供するお店です。でも、日本の高級和食の場合は、寿司は寿司屋ですし、天ぷらは天ぷら屋。他のメニューもそれぞれの専門店です。
また、メンバーの中にべジタリアンがいたり、主義や宗教的な理由で食べない食材があるとなると、これもまた面倒です。こういう時こそ、メニューに魚、鶏、豚、牛など何でも揃っている、いわゆる居酒屋やデパートの大食堂的な総合レストランの高級版の登場を長年期待していましたが、無理でしたね…。そもそも、このビジネススタイルが東京で成立するのは難しそうです。
さらに、参加したメンバーが多いとコミュニケーションを図るのに “難あり” なのが、高級な寿司屋や天ぷら屋です。ボズ・スキャッグスが1988年6月『アザー・ロード』のプロモーションで来日した時、彼がリクエストしたのが天ぷら屋でした。カウンターのある寿司屋や天ぷら屋では、職人の真正面が上席です。カウンター席だと横並びですから、隣の席以外とは会話がはずみにくいのです。ボズをアテンドした時は5名ほどだったので会話も成立しましたが、彼はちょっと気難しそうなタイプで、このときばかりは、横並びが正解だったのかも知れません。
渋公での屈辱を武道館で晴らした、ジャーニー「エスケイプ・ツアー」
さて、ここからは同じ “おもてなし” でも、カンパニーディナーではなく、カンパニー主宰の大パーティのお話です。
時代は1982年のジャーニー『エスケイプ・ツアー』での来日時に遡ります。ジャーニーの場合、それまでの数回は、毎回高級ステーキハウスでおもてなしをしていました。メンバーも “お肉大好き” でしたが、スティーヴ・ペリーはいつも欠席でした。スティーヴはステージを降りると、バンドメンバーや我々と行動を共にすることはほとんどなく、当時のガールフレンド、シェリーと2人だけで別行動をとっています。
さて、この年4月、彼らは初めて武道館公演を行うことができました。これを祝ってCBS・ソニー主催で大パーティを催したのです。実は、1979年の初来日時に、ボストンの武道館公演とジャーニーの東京公演最終日である渋谷公会堂がバッティング。武道館は満杯で渋谷公会堂はガラガラでした。我々にしてみれば “屈辱の夜” でした。しかし、この屈辱が彼らのパワーとなり、以降、CBS・ソニー、ウドー音楽事務所、アーティスト・マネージメントの三位一体で『エスケイプ・ツアー』での武道館完売を実現。これを祝したものでした。
武道館ライブ終了後、ホテルの宴会場でカンパニー主宰の大パーティ
武道館ライブ終了後、宿泊ホテルの宴会場にて、バンドを支えてくれた日本のメディア関係者、興行関係者総勢200名近くを集めての大祝賀会です。ステージのバラシを終えたクルーたちも途中から参加。私はMCを担当。さすがにここはスティーヴ・ペリーがいないと話になりません。数日前から根回しをして、参加を渋るスティーヴを部屋から引きずるようにステージに上げ、無事メンバー全員揃って宴はスタートです。
私がメンバーを紹介し、それぞれが集まったゲストに宛てたメッセージを披露。最初は嫌がっていたスティーヴもステージに上がるとそこはプロ。集まった方々に感謝の言葉を述べていました。そしてゲストを代表して音楽評論家の福田一郎先生からもメッセージが。ジャーニーのマネージメント関係者も先生とは懇意にしており、先生もまた長年バンドの応援をしてくれました。
セレモニー的には開始時間も遅かったので、鏡割りのみ。ちなみにこの儀式、参加者全員に枡酒が振舞われるのですが、乾杯が終わると、ほとんどの枡がその辺りに捨て置かれていました。持ち帰りができるようにビニール袋を用意していたのですが、半分以上のゲストは置いて帰ってしまいました。それでも、ドラムのスティーヴ・スミスは、この枡をやたら気に入ったようで、嬉しそうに7〜8個しっかりと握っていました。
個人的には彼のこの姿がとても印象的でしたし、ジャーニーの大パーティと言えば、すぐスティーヴ・スミスにつながるほどです。フィナーレは、グループのオフィシャルフォトグラファー、ヒロ伊藤氏による記念ショット。脚立を宴会場天井近くまで高く上げ、メンバーを真ん中に全員をひとつのフレームに収めました。これは今でも大事な1枚です。
Information
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