【静岡の高校サッカー戦後史Vol.65】藤田俊哉ら擁する清水商業(現清水桜が丘)が1988年度、全国選手権2度目の頂点に!
【清水商⑩】平成初の選手権王者に
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
清水商業、清水東、東海大一の3強時代
1980年代後半、県内の王座を懸けた争いは、清水商、清水東、それに台頭著しい東海大一(現東海大翔洋)の旧清水市内の3強が主導した。中でも清水商と東海大一の競り合いは見応えがあり、清水商が85年(昭和60年)度の全国選手権で初優勝すれば、東海大一が86年度の全国選手権で初優勝、87年度準優勝と続いた。そして88年度、今度は清水商が全国選手権で2度目の頂点に立つ。
清水東との決勝、1年山田隆裕が決勝点
全国選手権2度目のVロードを進む清水商が、県予選決勝で対戦したのは清水東だった。清水東は準決勝で東海大一との接戦を制し、勝ち上がってきた。
試合は、先行を許した清水商が武岡秀樹(本田技研)のシュートで追い付き、1−1で延長にもつれ込んだ。決勝点は延長後半3分、太田貴光(富士常葉大コーチ)のシュートのこぼれを、1年生FWの山田隆裕(J横浜Mなどに所属)がタイミングよく蹴り込んだ。
ユニホームカラーは、ともに正が青、サブが白で、清水商は青で臨んだ。実は、両者の対決は、サブユニホームを着用した方の勝率が高かったことから、清水東が白に強いこだわりをみせたのだった。勝利を収めたのは青の清水商。主将の三浦文丈(横浜Mスタッフ)は「ユニホームの色は気にならなかった」と振り返る。
市船橋を破って全国制覇
3年ぶり5度目の全国選手権。初戦(2回戦)こそ神戸弘陵(兵庫)を3−0と圧倒したが、2戦目からは仙台育英(宮城)に1−0、盛岡商(岩手)に0−0の末、PK勝ち、前橋商(群馬)に2−1と僅差の競り合いをものにして、決勝に駒を進めた。
勝負強さに加え、しぶとい守りも目立った。準決勝まで4試合でわずかに失点1。「しのげば、点を取ってくれると信じていた」と左サイドバックだった山内崇(リベルダージ駿東代表)。
決勝は市船橋(千葉)と顔を合わせた。序盤から守勢に回り、「しのぐしかなかった」と監督の大滝雅良。が、耐え抜いた後半18分、一瞬の隙を逃さず、三浦―山田とつないで決勝点をたたき出した。三浦は「根拠はないけど勝てると思っていた」といい、この大会の戦いぶりを象徴する、1−0での勝利だった。
準決勝当日朝の昭和天皇崩御で、日程が2日延期された。選手たちは急きょ帰省し、コンディションを整え直して元号が改まった“平成決戦”に臨み、2度目の優勝を勝ち取った。(敬称略)
1988年度全国選手権決勝先発メンバー
GK
内藤正記
DF
榊原達貴
岩崎泰之
原彰治
山内崇
MF
太田貴光
三浦文丈
藤田俊哉
FW
山田隆裕
武岡秀樹
古賀正人