「7」に縁がある梶芽衣子、芸能生活60周年記念アルバムはタイトルにこだわる
大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日13時~15時30分)、3月26日の放送に女優・歌手の梶芽衣子が出演。芸能生活60周年記念アルバム『7 rosso(セッテロッソ)』の発売日でもあったこの日、アルバムに込めた思いを語った。
大竹まこと「銀幕の向こう側にいてなかなかお目にかかれない方だと思っておりました」
梶芽衣子「いえいえ。最近は歌を始めまして、こんなに楽しい仕事があったのか、ということに気づいて」
大竹「いつごろ気づいたんですか?」
梶「70歳になってからかな。遅いんですよ。私の場合、映画の主題歌は当たり前のように歌っていて。映画がヒットしたことによって曲もヒットした。歌に関してはそういうことが多かったんです。映画関係なく、歌だけをちゃんとやってみたいな、と思って。そうしたら賛同して下さる方にお目にかかれたので」
大竹「それがこの……」
梶「『7 rosso(セッテロッソ)』。イタリア語なんですよ。イタリア語でセッテが7、ロッソは赤なんですね。日本で60周年というと赤いちゃんちゃんこ。というシャレでロッソになりました」
大竹「すると“赤い7”と」
梶「7が私、割とこだわっている数字でして。生まれたときが西暦1947年、デビューが17歳でした。節々の何かのきっかけに7がついてまわっていて。私のラッキーナンバーにずっとなっていたような気がします。70代のときに何をしようか、と。その前まで『鬼平犯科帳』という作品をさせていただいて。これが28年も続いていたんですね」
大竹「28年! おまさ役で」
梶「それが終わってふと気づいたら『もう70だわ』と思いまして。何かやることがないとダメな人なんですよ。ぼーっとしているというのが苦手で。自分がやりたいものを見つけるというか、無理やりやってしまおう、みたいな。あまり得意とはしていなかったけれど、歌をちゃんと、と。70歳では少しきついかと思ったんですけど」
大竹「それでも好きな77という数字だったら、やってみよう、という気持ちに」
梶「それと“セッテ”にしたことにはもっと理由がありまして。私の母が77歳で亡くなったんです。私が77歳というとき、去年『7(セッテ)』というアルバムをつくったんですよ。母に対して親孝行と思って。母がイタリアにいたものですから」
大竹「いつからいたんですか?」
梶「30年ぐらい前からです。心臓を患いまして、介護に20年ぐらい通っていました。『鬼平』が終わったら介護に。大変でした。イタリアはその土地で亡くなると骨を出せないんですよ。だから母はイタリアで眠っています。本人に確認とって、そのときは元気でしたけど『こういうことなんだよ』と言ったら『私はどこでもいい』と」
大竹「お墓がイタリアじゃ、また大変」
梶「弟が仕事していましたので。弟のそばにいたいという母の希望でそうなっていたんです。弟は仕事があったので、私が行っていました。7にこだわっているということで、マネージャーの方がイタリア語で『セッテ』と言うんだよ、と。だから母に捧げるアルバムで、今年で私が60周年で赤いちゃんちゃんこ、60よりロッソのほうがいいでしょう、ということでシャレてみました」