「お母さん、胸がなくても生きられるんだね」手術を受けた私が母にかけた言葉。それは、私自身を支えることばにもなった【和歌山県和歌山市】
2024年の秋、ふとしたきっかけで受けた検診で乳がんと診断されました。
「先生、うそですよね?」
乳がんと告げられたとき、私はそう口にしていました。信じたくなかった。でも、乳腺外科の先生は静かにこう言いました。
「今なら治るから」「精一杯やるから」
そして看護師さんも、「ショックで病院に来られなくなる人もいるけど、来てくれたら治るから。絶対来てね」と声をかけてくれました。
私は一人で治療に向き合わなければいけないと思い詰めていました。実家は遠く、家族の協力もあまり得られず、不安と孤独の中で迎えた治療の日々。
でも、先生や看護師さんたちの寄り添う言葉に支えられ、そして乳がん患者同士がつながる SNS「ピアリング」で励まし合うことで、私は前を向けるようになりました。
悩みぬいて決断した「右胸全摘」
治療方針が決まるまでの数週間は、本当に長かった。乳がんについて調べ、悩み、考え抜いて出した答えは「右胸全摘」でした。
手術は全身麻酔で約 3 時間。はじめての麻酔に不安もありましたが、「術後に痛くならないような麻酔をかけるからね」との言葉通り、想像よりずっとスムーズで、医療の進歩に驚きました。
けれど、リンパ節に 2つの転移が見つかり、抗がん剤と放射線治療が必要だと告げられました。
術後は胸をしめつけるベルトや、体内にたまった血液や浸出液を体外に排出するためにお腹に入れたドレーン(管)が入っているのがつらかった。
でも、ご飯を食べ、一人でトイレに行けた。自分に、ふとこう思いました。 「胸がなくても、生きていけるんだな」と。
「胸がなくても生きていける」
手術後、数日たって母に電話をかけたとき、自然と出たのがこの言葉でした。「お母さん、胸がなくても生きられるんだね」
離れて暮らす母を安心させたかった。私が元気であること、ちゃんと手も足も動いて、ご 飯も食べられることを、伝えたかった。
今も、右胸がないことがふと寂しくなる日もあります。
でも、下着や洋服も工夫されていて、おしゃれも楽しめる。
そして今は、なくしたものを数えるよりも、「あるものを大切にしたい」と思っています。
命がある。笑える。食べられる。歩ける。
そのひとつひとつが、何よりも大切で、ありがたい。
「胸がなくても生きていける」と感じられたのは乳がんを経験したからこそ。私は自身のその言葉に支えられ“生きている喜び”を、より深く感じられるようになりました。
情報
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