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『マンゴーを拝まなければ粛清』毛沢東の贈り物が生んだ異様な「マンゴー崇拝」とは

草の実堂

画像 : マンゴー崇拝の展示(オレゴン大学付属ジョーダン・シュニッツァー美術館所蔵)wiki © Daderot

突然起こった奇妙な「マンゴー崇拝」

人類の歴史を通じて、さまざまなものが信仰の対象となってきた。

日本では、古くから八百万の神が信仰され、大木や山、川などの自然も神聖視されている。「イワシの頭も信心から」ということわざにもあるように、どんなに些細なものでも信仰の対象となり得る。

中国で1968年に起こった奇妙な「マンゴー崇拝」も、突如として発生し、人々を熱狂させた一例である。

これは文化大革命の最中に誕生し、約1年半にわたって続いた。
当時の中国ではマンゴーは非常に珍しく、北部の人々にとっては未知の果物であった。

その未知の果物が、やがて毛沢東個人崇拝の象徴へと変貌していったのである。

マンゴー崇拝の発端

画像 : マンゴー崇拝の展示(オレゴン大学付属ジョーダン・シュニッツァー美術館所蔵)wiki © Daderot

1968年8月5日、パキスタンの外務大臣ミアン・アルシャッド・フセインが北京を訪問し、当時の最高指導者である毛沢東にシンドリー・マンゴーを贈呈した。

このマンゴーを毛沢東が食べなかったことが、「彼の自己犠牲の象徴」として解釈され、政治的な意味が付与されることとなった。

毛沢東は、贈られたマンゴー約40個を、清華大学に駐留する「毛沢東思想宣伝隊(工宣隊: こうせんたい)」に下賜した。

※工宣隊とは、1968年に毛沢東の指示のもとで組織された労働者(工人)による政治宣伝組織。

画像 : 毛沢東思想宣伝隊(工宣隊)public domain

これは、彼らの尽力を称え、労働者階級が学生よりも優位に立ったかのように示された象徴的な行為となった。

工宣隊はこの贈り物に深く感激し、それぞれの工場へマンゴーを配布することで、毛主席の恩寵を全国へ広めようとした。

文化大革命と清華大学事件

画像 : 天安門広場で毛主席語録を掲げる紅衛兵(1967年) public domain

当時の中国は、文化大革命の真っ只中にあった。

1966年から始まったこの運動は、毛沢東の主導のもと、紅衛兵(こうえいへい)と呼ばれる学生組織が、全国で政治運動を展開していた。

しかし、紅衛兵内部で派閥抗争が激化し、1968年の春には清華大学で「百日大武闘」と呼ばれる激しい衝突が発生した。

毛沢東は清華大学の派閥抗争を鎮めるため、工宣隊を派遣した。しかし、紅衛兵の一派がこれに激しく抵抗し、1968年7月27日には大規模な衝突が発生。結果として5人が死亡し、731人が負傷する事態となった。

この事件を機に、紅衛兵を中心とする学生運動は影響力を失い、毛沢東の指示のもと、労働者階級が政治の主導権を握るようになった。

マンゴー崇拝の広がり

そして、マンゴーが毛沢東からの「聖なる贈り物」として崇拝されるようになった。

全国の工場や労働者たちは、マンゴーをガラスケースに収め、忠字台(毛沢東を祀る祭壇)に供え、恭しく礼拝するようになったのだ。

画像 : 清華市の工宣隊がマンゴーの贈り物を歓迎 リボンには「毛沢東主席の永遠のご長寿を謹んでお祈りします」と書かれている public domain

一部の工場では、マンゴーを長期間保存するためにホルマリンに漬けたり、蝋でコーティングした。

しかし、保存状態が悪かったため腐り始めるものもあった。
そこで、工場の革命委員会はマンゴーの皮を剥き、大鍋で煮込んだ後、その煮汁を労働者に分け与えた。

この行為は「毛主席の恩寵を受ける儀式」とされ、参加者はこの聖水をありがたく口にした。

さらに、マンゴーを模した蝋製やプラスチック製のレプリカが大量に生産され、全国へ配布された。
マンゴーの図柄はポスターや陶磁器、布地などにも使用され、マンゴー香りの石鹸や煙草まで登場している。

1968年10月1日の国慶節のパレードでは、巨大なマンゴーを乗せた山車が登場し、多くの人々がマンゴーの模造品を手に行進した。

マンゴー崇拝の疑問

もちろん、この「マンゴー崇拝」に対し、疑問を抱く者もいた。

しかし、毛主席の贈り物を軽んじる行為は「反革命」とみなされ、厳しく罰せられた。

例えば、四川省の漢源県に住む、ある歯科医は、マンゴーを見て「サツマイモのようなもので、特に価値があるとは思えない」と発言したことで「毛主席への侮辱」とみなされて逮捕・投獄された。その後、1969年頃に「現行反革命」の罪で死刑判決を受けている。

とはいえ、やはり一部の人々はマンゴー崇拝を冷めた目で見ていた。

例えば、毛沢東の主治医・李志綏(り しすい)は、マンゴー崇拝の話を聞いて大笑いしたと回顧録に記している。

マンゴー崇拝の終焉

マンゴー崇拝の熱狂は約1年半続いたが、1970年頃には下火となった。

やがて、蝋製のマンゴーは停電時の蝋燭として使用されるようになり、信仰の対象としての価値を失っていった。

1974年、フィリピンの大統領夫人イメルダ・マルコスが訪中した際、フィリピン産のマンゴーを贈呈した。

毛沢東の妻・江青はこれを利用し、マンゴー崇拝を復活させようとしたが、すでに人々の熱狂は冷めていた。

画像 : 毛沢東と江青 public domain

彼女はプロパガンダ映画『マンゴーの歌』を制作したが、1976年に毛沢東が死去すると、江青も失脚し、映画の上映も中止された。

こうして、マンゴー崇拝は完全に終焉を迎えたのである。

おわりに

マンゴー崇拝は、文化大革命期の異常な政治的熱狂が生んだ奇妙な現象であった。

単なる果物が個人崇拝の象徴へと変貌し、人々がそれを礼拝するという、政治的宗教儀式へと発展したのだ。

今日、中国ではマンゴーは単なる果物に過ぎず、特別な意味を持つことはない。しかし、当時を知る世代にとって、マンゴーは文化大革命の狂乱を象徴する存在として記憶され続けている。

参考 : 『Mao’s Travelling Mangoes』『毛泽东崇拜现象的透视』他
文 / 草の実堂編集部

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