佐野元春デビュー45周年、「YOKOHAMA UNITE音楽祭」とのタッグで創り上げる音楽ライブとアミューズメントの新しい形への指針を語る
今年でデビュー45周年を迎え、3月には“元春クラシックスの再定義”というテーマを掲げたセルフカバーアルバム『HAYABUSA JET Ⅰ』をリリース。7月5日から5か月間に及ぶアニバーサリーツアー開幕と、精力的に活動する佐野元春からさらなるビッグニュースが届いた。12月7日のツアーファイナル、彼にとって思い出の地である横浜に位置する大規模アリーナ・横浜BUNTAIでのスペシャルライブ開催だ。これは横浜市が主催する「YOKOHAMA UNITE音楽祭」とタッグを組み、新たな音楽文化の創造と新時代のライブの形を提示するもの。音楽だけでなく展示やフードなど多彩なアミューズメントを内包するイベントになり、詳細は今後順次発表されてゆく予定だ。デビュー45周年を迎えて「今がクリエイティヴのピーク」と語る佐野元春に、横浜BUNTAIの話題を中心に、45周年にまつわる様々なトピックについて語ってもらった。
――最初に、3月にリリースされたアルバム『HAYABUSA JET Ⅰ』の感想を言わせてください。素晴らしかったです。
ありがとう。良かった。
――聴き馴染んだ曲が、THE COYOTE BANDと共に新しく生まれ変わったことに感激しました。やはりバンドが変わると曲は変わりますね。
今のバンドは20年経っていますから。小さなライブハウスから大きなフェスまで、いろんな経験を僕たちは積んできた。その経験が良い形で、『HAYABUSA JET Ⅰ』のレコーディングに繋がったんだと思います。
――今のバンドは本当に充実しています。どんな強みを持つバンドですか。
THE COYOTE BANDのメンバーは、音楽的なバックグラウンドを言えば、90年代オルタナティヴ以降のミュージシャンたち。自分は70年代オルタナティヴロックで育ちましたから、その両者が出会うことによって、そこにすごくユニークな音楽が生まれたのかなというふうに自分では思ってます。バンドメンバーはみんなロックミュージック、ポップミュージックのヒストリーにいい意味での敬意を持っているし、僕もそう。このくらいで演奏してりゃいいだろう、みたいな甘い気持ちを僕らは持っていない。レコーディングで最高の、そして新しいサウンド作るために細かい作業を積み重ねていって、演奏だけではなく、ミックスやマスタリングに関しても自分が監修して、モダンな今の音を作ることを工夫している。バンドの好調さと、技術的にも良いサウンドを得る技術をどんどん更新しているから、よい良いものになっていってるんだと思う。
――THE COYOTE BANDは20年前、ある種の原点回帰のような形で、佐野さんの音楽を聴いて育った世代のフレッシュなメンバーを集めて結成されました。
その前のバンドが、90年代のTHE HOBO KING BAND。彼らとは、70年代の米国の良きロック音楽のサウンドがリファレンスとしてあった。なので、ウッドストックという町に行って、ザ・バンドをプロデュースしたジョン・サイモンというプロデューサーの力を得て、『THE BARN』というアルバムを作った。そういう、どっちかというとダウン・トゥ・ジ・アースなサウンドを僕は求めたけど、彼らとのコラボレーションが終わって、その次に来たのがTHE COYOTE BANDだった。THE COYOTE BANDは90年代オルタナティヴのロックンロール音楽が大好きだから、僕の70年代オルタナティヴ・ロックンロール魂とうまくスパークした。もう一度ビートミュージックを、佐野元春なりのギターを中心としたビートバンドを目指してみたい、それがTHE COYOTE BANDの始まりです。
――お聞きしたいことがあったんです。佐野さんはバックバンドにバンド名をつけますよね。
うん、付ける。
――ソロ・アーティストで、そういう形でやっている人はあまりいないと思います。しかも音楽性とメンバーを変えながら、バンド名が変わっていくことはとても珍しい。
日本ではね。でも、成り立ちをよく見るとわかってもらえると思うんだけど、僕たちはレコーディングからライブまで全部一貫してやっている。要するに、レコーディングしたミュージシャンたちは、「自分たちが奏でた音楽なんだ」というところで、自信を持ってライブツアーに出るという話なんだよね。でも日本の音楽プロダクツは、全てとは言いませんが、レコーディングは打ち込みで仕上げ、ライブをやる時だけ人を集める、そのような形式も存在する。それは経済的な理由によるのか、クリエイティヴな理由によるのか分からないけども、僕はそうしたところにあまり興味がない。やっぱりレコーディングを共にし、ライブを共にするというところに、1+1が3にも4にもなる理由があると思うから。毎晩毎晩のオーディエンスの喜びを見て、その経験を共有できれば、次にもっとより良いバンドサウンドになるという方式を、僕は45年前からやってきました。
――まさに、そうでした。
80年のTHE HEARTLAND、彼らも素晴らしいバンドだった。90年代のTHE HOBO KING BAND、彼らも素晴らしいバンドだった。THE COYOTE BANDも、それらの先輩バンドと比較すれば、もう彼ら以上の僕とのコラボレーションの時間になっているから、今が一番素晴らしい時だと自信を持ってやることができる。
――バックバンドではなく、佐野元春は常にバンドだったと思います。
僕はそこにすごい誇りを持っている。これまでの3つのバンドは、どの時代の他のバンドに比べてもスーパーだったと思います。
――そして7月5日から、THE COYOTE BANDと共に45周年のアニバーサリーツアーが始まります。どんな内容を考えていますか。
いわゆる周年のライブということであれば、会場に古くからのファンや、新しいファンがみんな集ってくれる。僕とバンドも初期の曲から新しい曲まで満遍なく演奏したいし、いつものライブよりも曲数をたくさん増やして、最高のライブにしたいと思ってます。
――楽しみです。そして、そのツアーファイナルが、12月7日の横浜BUNTAI。これはYOKOHAMA UNITE音楽祭とタッグを組んだ、特別なものになると聞いています。
この横浜BUNTAIのライブは、今回のツアーのファイナルではあるんだけど、他のライブとはちょっと違うライブであると僕は位置づけています。横浜という地で、音楽文化を振興する一環としてのYOKOHAMA UNITE音楽祭があって、そこに我々が出演させていただく。大きな舞台を作っていただいて、そこに僕らが乗っていく、そういう成り立ちですね。
――つまり、それまでの45周年ツアーとは違うものになると。
気持ちは違うと思う。もちろん内容もね。ご存知の通り、僕は横浜でデビューしていますから、45周年目にして凱旋ライブを行うような気持ちになると思う。デビューする前から横浜には縁があって、多感な頃に横浜に僕はいて、そこで見た景色が『BACK TO THE STREET』や『HEARTBEAT』という、初期のアルバムの何曲かに反映しているので、横浜というのは僕にとっては特別な街です。
――横浜BUNTAIのライブには、「横浜フォーエバー」というタイトルが付けられています。これについては?
これは前回の「今、何処TOUR 2023」の横浜でのライブの時に、感極まってポンと出てきたワード。その時に、横浜のオーディエンスのヴァイブスがものすごく良かったんです。僕も良かったんだけど、その両者が相まって、ものすごい場がそこに生まれた。それで感極まって「横浜フォーエバー!」と言ったという話。なので今回、「横浜フォーエバー」がキャッチコピーに使われて、僕はすごく光栄です。
――当日は自分のようなオールドファンも含めて、多様なオーディエンスが来ると思います。どういう景色を思い描いていますか。
新しいファン、古いファンが一堂に会してくれる。僕の曲の場合は、一人一人がどの曲が好きかというのは、みんなバラバラなんです。時代によって違う。それはすごく自然なことだし、だからヒット曲だけじゃなく――もちろんヒット曲はたくさん演奏するけど――それだけじゃなく、アルバムの中の重要曲も演奏していく。そして、できるだけ集まってくれた人たちみんなが満足してくれるような、そういうセットリストを考えています。それまでやってきたツアーのセットリストとは異なる、横浜BUNTAIだけのエクスクルーシブなセットリストにしようかなと思ってる。
――どういう雰囲気になるのか。楽しみです。
また、今回は音楽ライブだけではなく、エキシビションも用意されているし、フードも用意されているし、佐野元春45周年を多角的に楽しんでもらえるような、ファンの人たちに喜んでもらえるような、そういうものにしたいという気持ちがあります。まだ僕も全部わかっていないところがあるけど、おいおい発表されていくと思います。
――懐かしい思い出を抱いたファンと、新しいものとして聴くファンとが共存している。今の佐野元春のコンサートは、様々なオーディエンスが入り乱れて、とても素敵な空間になっていると思います。
僕のライブには今、若い世代もたくさん来てくれていて、それはインターネットのおかげだと僕は思ってる。古い世代は、60年代の音楽はこうで、だから70年代の音楽があり、そして80年代の音楽はこうあるんだというふうに、リニアに音楽ヒストリーを捉えてるけど、新しい世代はポップ音楽の捉え方がノンリニア。50年代の音楽、90年代の音楽、現代の音楽を、アイコンをデスクトップに並べて、無造作に組み合わせることによって新しい何かを作り出そうとしてる。それもクリエイティヴな態度の一つで、僕は面白いなと思う。そういう彼らが僕の音楽をピックアップしてくれるのは、すごく面白い現象だなと思ってます。そして彼らはライブにも来てくれる。ちょっと激しい言葉で言っちゃうと、古い世代の人たちのノスタルジーのためだけに、僕らは演奏しない。僕が現役でこうしてクリエイティヴな活動を続けている限り、僕のライブは未来に繋がるものでありたい。もちろん古いファンが持ってるノスタルジーは、僕は大事にしてる。でも、そこだけに捧げる何かを僕はしないよという話です。
――今年は45周年ですから、何か特別なリリース企画も今後ありそうですか。
そうだね。僕を応援してきてくれた新旧ファンへのプレゼントとして、いくつかのプランが進行中です。そうした諸々の、色々な楽しみが積み重なった上に横浜BUNTAIのライブがあって、最後にすべてがそこに流れ着いてくるような、そんなことを僕はイメージしてます。佐野元春45周年、THE COYOTE BAND結成20年という節目の年で、バンドも僕もクリエイティヴのピークが来ていますから、そのツアーの最終公演となれば、きっとすごいライブになるだろうなと予想してます。新しい時代の新しいアミューズメント、新しい音楽ライブはこんな感じかな?というのを提案したい。僕はそのつもりでいます。
取材・文=宮本英夫