歌手・川嶋あい 施設から養子になり16歳で天涯孤独に それでも歌い続けられた”命のバトン”とは
養子当事者でシンガーソングライターの川嶋あい氏インタビュー第2回。10代で養父母の死、孤独だった彼女を支えた人たちとは。4月4日「養子の日」に考える養子縁組の現在地。全3回
【写真➡】川嶋あい 3歳で施設から養子へ 当時の写真を見る『旅立ちの日に…』『My Love』などのヒット曲で知られるシンガーソングライターの川嶋あいさん。幼いころから歌手としての才能を認められ、今も数多くの人に届く曲を歌い続けています。そんな川嶋さんを音楽の世界に導いてくれたのは3歳から育ててくれた養母でした。
4月4日は「養子の日」です。児童養護施設から養父母に引き取られ育った川嶋あいさんが、歌手をめざし泣きながらも挑み続けた10代について聞きました。
養母が導いた「音楽」との出会い
生みの母が病弱で子育てができず、生後まもなく乳児院に預けられ、その後児童養護施設で3歳まで過ごした川嶋さん。今でも、養護施設で養父母と出会った記憶は鮮明に覚えていると言います。
「あのころの私は、養父母のことを本当の親だと思っていました。だから、施設に遊びに来てくれるととってもうれしかったし、2人が帰るときには、どうして自分を連れて帰ってくれないのだろうと不思議に思っていました。
そのあと3歳で川島家に引き取られたのですが、そのころの私は家でいつも『施設に帰りたい』と泣いていたそうです」
突然の環境の変化についていくことができなかった3歳の川嶋さんを見て、育ての母はどうすれば彼女の心を癒やせるかを考え、その手段のひとつとして音楽教室へ通わせました。
「子ども向けの音楽教室に連れていったら、それまで何をさせても泣いていた私が笑顔で歌っていたみたいなんです。それを見た母は『この子には音楽しかない!』と思ったらしくそこから私の音楽人生がスタートしましたね。
私自身は、童謡を歌ったり、ダンスをしたりするのもとても楽しかったんですけど、それ以上に教室の先生が大好きだったんです。だから、先生に会えると思って楽しく通っていたことは覚えていますね。
そして、だんだんとレッスンが本格的になっていって、演歌を歌うようになって、しばらくしてから着物姿で初舞台に立ちました」
大好きな地元福岡の音楽教室の先生とピアノのレッスン中。5歳のころ。 提供:つばさレコーズ
病床で歌を聞き続けた父
着物姿で初舞台に立つ川嶋さんの姿をみて、父母は対照的な反応を見せたという。
「母は、とても喜んでくれました。父はもちろん喜んでくれてはいたのですが、それ以上に娘が舞台に立って歌っていることが怖くて仕方がなかったようです。『自分のほうがドキドキしてしまって、見ていられん!』って話していました(笑)。
そのあと、発表会やコンクールにも出場していたのですが、父が観に来てくれたことはありませんでした。でも、私が10歳のときに父は病気になって入院してしまいました。それからは、病室で私の歌っているデモテープをずっと聞いて『うまくなったな』と言ってくれていたみたいです」
10歳で父親を亡くしたあとは、母親はますます川嶋さんの音楽活動をサポートするようになりました。しかし、小学生にはその愛情は重くのしかかることもあり……。
「一度、小学6年生のときにプチ家出をしました(笑)。大会に出ても賞を取れない。自分よりも才能がある子はたくさんいるとわかっていて……。
でも母は変わらずに全力で激しいくらいに応援してくる。もう何もかも嫌になってしまって、最初に通った音楽教室の先生のところに逃げ込みました。
そのときに、先生から母がどれだけ私のことを心から応援してくれているか、歌手になる姿を見ることを生きがいにしているか、ということを聞きました。それで落ち着きを取り戻せて、また音楽を頑張ってみようと思えたんです」
4歳、初めての歌の発表会。香西かおりさんの『雨酒場』を歌った。 提供:つばさレコーズ
父と一緒に。7歳の七五三のお祝いのとき。 提供:つばさレコーズ
生みの母が違うと知り壊れそうになった
自分を見守ってくれる存在が親
その後、自身が養子であることを中学生のときに知ることに。大きすぎる愛を与え続けてくれた母親が生みの母ではないと知ったときには、思わず混乱し「どういうこと?」と母親を責めたこともありました。
しかし、それ以上に受けた愛に感謝する心が川嶋さんを支え続けました。
「母が生みの母じゃないと知って、心が壊れそうになって過ごしていた時期もありました。でも、母はそれまでと変わらずに私のことを見守って、想ってくれているということは強く感じていました。
だから、私はこれまで安心して生きてこられたんだって思えたら、血のつながりはさほど気にならなくなりました。
私にとっての親とは“どんなことがあっても見守ってくれている人”だと思っています。漢字の『親』という字のように、木の上に立って見てくれている人。どんなことがあっても、自分を見てくれている人です。
親というのは、ぜひそうであってほしいなってすごく思います」
母の厳しさは深い愛情からということは子ども心にもよく伝わっていたという。 写真:柏原力
上京と路上ライブでの出会い
育ての母親と手を取り合って歌手を目指していた川嶋さん。母親の勧めもあり、高校からは歌手を目指すために、16歳で故郷の福岡を離れて上京しました。
「実は、あのころの我が家は父が亡くなり、経済的にかなり困窮し、母は体調も崩していました。私は福岡を離れたくなかったのですが、『あいが東京に行って歌手になるのが私の夢やけん。あいの歌を聴けるまでがんばるけん』と泣きながら話す母の姿を見て上京を決心しました」
しかし、その後、思うように歌手への道が開けず、東京で最初に所属した芸能事務所は辞めることに。
「一人の東京で、どうしたらいいのかもわからずに毎日泣いてばかりいました。でも、毎日かかってくる母からの電話では元気をよそおっていました。これ以上、心配をかけたくなかったし、母にとっては私が歌手になることが希望のすべてだったので」
そんななか、勇気を振り絞って始めた路上ライブから川嶋さんの運命が少しずつ動き始めます。
「事務所もやめて、オーディションもうまくいかない中でも、路上ライブなら自分の歌を届けることができるのだと知り、怖くて恥ずかしい思いを押しのけて勇気を出して歌い始めました。最初は誰も立ち止まってくれなくて、思わず我慢しきれずに母に電話で泣き言を言ってしまったこともありました。
でも、母は慰めるどころか、『こんなことでへこたれていたらダメだ!』とばかりに怒って(笑)。そんなふうに母にあと押しされながら路上ライブを1000回やり続ける決心をしました。『1000回やればスカウトしてもらえるんだ!』と信じていました」
路上ライブを続ける中で出会ったのが、今の所属事務所のスタッフたち。まだ、大学生だった彼らに「歌手になりたいの? 俺たちでよかったら協力するよ」と声をかけられたのがきっかけです。
この出会いが、シンガーソングライター・川嶋あいが誕生するきっかけとなるのですが、当時高校生だった彼女はそんなことはわかるはずもなく……。
「最初はなんか怖いな、怪しい! こんな人たちは信用しないぞ! って思っていました(笑)。でも、本当にひんぱんに声をかけてくれるようになって、私も少しずつ自分の夢などを話すようになって心を開いていきました」
16歳のころ。渋谷駅のハチ公前にて1000本を目指し、路上ライブをしていました。 提供:つばさレコーズ
16歳で母が急死し…
育ての母の死 天涯孤独の16歳
路上ライブをサポートしてくれるスタッフとの出会いから約半年後の2002年8月20日。育ての母親が病気で急死し、川嶋あいさんは16歳にして天涯孤独となりました。
「母の具合が悪いことは知っていましたが、まさか亡くなるまでとはわかっていませんでした。ほんの2週間前には路上ライブを休んで福岡に帰省し、一緒に過ごしてましたし。
前日までいつものように電話で話していた人が突然いなくなってしまった──。まだ16歳だった私にはどうすればよいかわからず、ただただ泣いていただけでした。
すぐに福岡に帰り、亡くなった母と対面しましたが、とても現実とは思えなくて。私のためにがんばっていた母の姿を知っていたので、自分が母の命を縮めてしまったのかもしれないと後悔ばかりがこみあげてきました」
その後、天涯孤独となった16歳の川嶋さんを支えてくれたのが、路上ライブで声をかけてくれたスタッフたちでした。
「出会ってからまだ時間が経っていなかったこともあり、それほど打ち解けていませんでしたが、いっしょに自主制作CDを作ったり、路上ライブをサポートしてもらっていた時期でもありました。
そんなときに、彼らは天涯孤独になった私を見て、今、この子を絶対1人にしちゃいけないって思ってくれたんだと思います。毎日のように連絡をくれましたし、そばにいてくれました。
育ての父と母以外に、こんなに自分のことを見てくれて、信頼のおける人と出会ったのは初めての体験でした。
正直いうと、母の突然の死から立ち直るには、10年ぐらいはかかりました。でも、その期間もずっと変わらずに支えてくれていたこの人たちの存在があったから、今も活動ができてるのだと思っています。
生みの母、育ての父母とは違う形ではあるかもしれませんが、このスタッフたちが私の“命のバトン”をつないでくれたのかもしれません」
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育ての父母を亡くし、16歳にして天涯孤独となった川嶋さんが次に向き合ったのが、命を授けてくれた生みの母のこと。次回は、音楽に愛された孤独な少女がたどり着いた現在の居場所についてお伝えします。
●川嶋あいPROFILE
2003年にI WiSHのaiとして人気番組の主題歌「明日への扉」でデビュー。2006年からは本格的にソロ活動をスタート。代表曲としては、「My Love」「compass」「大丈夫だよ」「とびら」などがある。特に「旅立ちの日に…」は卒業ソングの定番曲として大人気を誇る一曲となっている。個人のライフワークとしてボランティア活動などにも積極的に参加しており、海外に学校建設を行っている。
取材・文/関口千鶴