サイレント×ストリップで父娘の距離を描く『りりかの星』の舞台挨拶で監督が語った舞台裏と映画祭の真髄
2025年8月6日(水)、映画『りりかの星』の上映後に舞台挨拶が札幌の映画館・サツゲキで実施されました。登壇したのは、監督の塩田時敏さん、出演と編集を務めた長谷川千紗さん、そして元・ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 フェスティバルディレクターの澤田直矢さん。制作の裏側や作品に込めた想いが語られました。
無音の中に宿る表現──35mmとデジタルが交差する舞台
本作の大きな特徴は、セリフのないサイレント映画である点です。無音の表現に驚いた観客も多かったようですが、これは制作初期の予算上の制約から生まれた選択でした。
「プロデューサーから“35mmフィルムで撮ってみては?”と提案され、アフレコが難しい状況になった結果、サイレント映画という形式に至りました」と塩田監督は明かします。
日常のシーンはフィルムで撮影され、劇場に入るとデジタルに切り替わるなど、映像表現の変化にもこだわりが見られます。特に音楽が使われたダンスシーンでは、音の持つ意味が強調され、印象的に仕上がっていました。
映画界の“監督だらけ”の現場
「現場には監督経験者ばかりで、素人は私だけだったかもしれません(笑)」と塩田監督は語ります。
本作の制作には、廣木隆一さん、三池崇史さん、塚本晋也さんといった名だたる映画監督たちが俳優として関わりました。撮影現場はまさに“監督だらけ”。その独特な構成が、作品に独自の深みを加えています。
予告編の編集は長谷川千紗さんが担当。塩田監督からナレーション音声がスマートフォン経由で送られてきたという、現代ならではの制作エピソードも披露されました。
父と娘の対話──長谷川千紗さんが感じる“理想の親子関係”
物語の中心には、父親にストリッパーになりたいと打ち明ける娘の姿が描かれます。セリフのないサイレント映画でありながら、父親の揺さぶられる感情がしっかりと伝わってくる場面です。
長谷川さんは、自身の父親に仕事のことを話したことがなかったと明かしながら、「この映画のような対話ができたら理想的だった」と語りました。
現代ストリップを、俯瞰で描くという挑戦
ストリップを題材にした映画は数多くありますが、塩田監督がこだわったのは“視点”でした。
「現在のストリップは、かつてのイメージとは異なり、アイドルのコンサートのような熱狂に満ちた空間です。その空気感を表現したかった」と語ります。
中でも特に印象的なのが、湾曲したステージを真上から見せる俯瞰ショット。観客には決して見られない視点からの演出が、映画ならではの新鮮さを生んでいました。
コンペのない映画祭は、映画祭じゃない
そして舞台挨拶では、夕張の映画祭についても言及がありました。
澤田さんは、「夕張が財政破綻した際、2008年に市主導ではなく独立体制で映画祭を立ち上げ直した」と振り返ります。大切にしてきたのは、“コンペティションの火を絶やさないこと”でした。
「コンペのない映画祭は、映画祭じゃない。たぶん“上映会”ですよね」
という塩田監督の言葉には、映画祭が持つ本来の意味と使命への強い思いが込められていました。
さらに、塩田監督や澤田さんは舞台挨拶が終わって、そのまま街の屋台裏やスナックに流れていく。映画の話を夜通しできる、そんな空気が良かったと当時の熱気を懐かしそうに語っていました。
映画を観るだけでなく、語り合い、つながり合う。そんな“場”こそが、映画祭という文化の醍醐味なのかもしれません。
なぜ夕張では上映されなかったのか?
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭に長年関わってきた塩田監督による作品でありながら、なぜ夕張での上映がなかったのか。観客からの問いに対して、監督は「元関係者として自分の作品を持ち込むのは気が引けた」としながらも、「他の映画祭で勝負できる手応えはあった」と語っています。実際、ワールドプレミアは韓国の富川(プチョン)国際ファンタスティック映画祭、ジャパンプレミアは大阪アジアン映画祭で行われました。韓国での上映では、父親が階段から落ちる場面で大きな笑いが起きるなど、文化の違いによる反応の差も印象に残ったそうです
静かに燃える、夢の灯を胸に
『りりかの星』は、サイレントという形式を選びながらも、その“無音”の中に、誰もが胸の奥で抱える声にならない想いを響かせてくれます。
夢に向かって歩むこと、親に気持ちを打ち明けること、そして、映画を作り続けるという選択。どれも簡単ではないけれど、それを“語る”ことから始まるのだと、この作品は教えてくれました。
小さな映画館から、かつて賑わった映画祭の街へ。
そして、これから夢を見るすべての人へ──
『りりかの星』は、今も静かに、けれど確かに、夢の灯をともしています。