プロ野球・広島ドラフト6位「日本代表する遊撃手に」神村学園伊賀・西川内野手
「日々努力してきて、夢がかなった。日本を代表する遊撃手になりたい」。日本野球機構(NPB)のドラフト会議で、神村学園高等部伊賀(三重県伊賀市北山)3年の西川篤夢内野手(17)が、広島東洋カープから6位で、伊賀地域の学校に通う現役高校生として初の指名を受けた。小中学生時代の大半は県外のチームでプレーし、「甲子園とプロを目指すなら地元で」と、仲間たちと汗した2年半。目標への一歩を踏み出した。
4人きょうだいの末っ子として生まれ、小学3年から軟式の緑ルーキーズ、同5年から硬式の稲沢中央ボーイズ(愛知県)、伊賀市立緑ヶ丘中1年からは大阪箕面ボーイズでプレー。高校入学までの半年間は、夢道場(奈良県天理市)の中3アカデミーで基礎や所作を改めて学んだ。
神村伊賀では1年夏から公式戦に出場し、三拍子そろった内野手、時に140キロ台の速球を武器に投手としてチームを引っ張り、2年秋からは主将を務めた。右投げ左打ち、身長183センチ、体重77キロ。
神村学園伊賀では、1学年上の寺井広大さん(現・独立リーグ徳島インディゴソックス内野手)を視察したNPB球団のスカウトの目に留まるようになり、2年秋に県選抜チームに入ったころからプロ入りを強く意識し始め、体づくりやトレーニングの意識も変わってきた。主将としての統率力やメンタル面は寺井さんから、守備や打撃などは、ともに二遊間を組んだ1学年上の二塁手、小池峻平さん(現・中京学院大)に教わることが多かったそうだ。
4歳上の兄・勇誠さんは伊賀白鳳高で駅伝に取り組むなど陸上の長距離で活躍し、6歳上の姉・優美さんは卓球をしていたが、父・大輔さん(52)によれば、西川さんの野球の原点は「近所の野球好きの方が練習に誘ってくれたこと」だったといい、走ったりボールを触ったりするのが好きになっていった。「特に次女(優美さん)は、野球用具を買ってあげるなど、一番篤夢の力になってくれている」と大輔さんは目を細める。
「この学校に来て、自分の考え方や取り組み方が変わった。環境や周囲のせいにせず、自分が『この学校を代表する選手になろう』と心に決めた。周囲の人たちから『伊賀の学校からプロになれるわけがない』と言われ、悔しい思いをしてきたことがばねになった」
自身が目標とする、現在広島の遊撃を守る矢野雅哉選手、長年憧れてきた鳥谷敬さん(元阪神)のような遊撃手を目指し、伊賀から羽ばたくのはもうすぐだ。