反逆のカリスマ 尾崎豊が歌った「卒業」はリリースから40年経って色褪せてしまったのか?
リリース40周年。10代のための壮大なバラード「卒業」
尾崎豊をメインストリームに押し上げ、“反逆のカリスマ” として世間に認知させた4枚目のシングル「卒業」がリリース40周年を迎えた。尾崎にとって初のオリコントップ20入りを果たしたこの曲は、青春の焦燥、未来を照らす一筋の光を体現した、まさしく10代のための壮大なバラードだった。
一方、「15の夜」や「十七歳の地図」の歌詞に見られるような若さに任せた激情は、年を重ねて、ともすれば “黒歴史” となってしまうほど小っ恥ずかしいものだったりもする。「15の夜」に登場する「♪盗んだバイクで走り出す」となれば、“けしからん!” となるわけで、そういった10代の刹那的な行動を褒め称えたりでもしたら、想像力の欠落した “ヤバい人” になってしまう。令和の今はそういう時代だ。
ツッパリカルチャーが凋落した1983年に登場した尾崎豊
だけど、その「♪盗んだバイク」や「十七歳の地図」で歌われる「♪くわえ煙草の Seventeen’s map」が自由への憧憬だったことは、僕にだってあった。
尾崎豊が登場した1983年というのは、それまでのツッパリ文化が凋落した時期。この年の大晦日にツッパリの象徴ともいえる横浜銀蝿が解散。実際、都内では多くの暴走族が前年までに解散している。それまでパンチパーマにドカジャンを着ていた東京の不良少年たちは、サーファーカットで歌舞伎町のディスコに通うようになった。もちろん校内暴力も沈静化して、校舎の窓ガラスを叩き割ったり、廊下をバイクで走ったりなんてのは前時代的。そんな時期に尾崎豊は登場した。
そう、尾崎を “反逆のカリスマ” と崇めたファンはツッパリ少年ではなかった。1980年に「♪マンネリ 人並み 世間体 会社も社会も関係ねえぜ」(3・3・3)と叫んだアナーキーは暴走族から圧倒的な支持を得たが、それから3年後、「♪盗んだバイクで走り出す」と歌う尾崎を支持したのは、比較的目立たない、普通の高校生が多かった。
彼らの多くは、スポーツに打ち込むわけでもなく、勉強が抜きん出ているわけでもない。僕がそうであったように、目標を見失いそうな毎日の中、なんとか生きようとしていたティーンエイジャーだ。彼らは閉塞感に苛まれながら日々を生きていたのだ。彼らにとって「♪盗んだバイクで走り出す」というのは自由への憧憬であって、実際にバイクを盗もうと思うわけではない。“ここではない何処か” へと走り出すため、閉塞感から脱却するメタファーとして捉えていた。
ファンタジーとリアリティが共存していた「卒業」
「15の夜」がそうであったように、「卒業」で歌われる「♪夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」というフレーズも多くの聴き手がメタファーとして捉えていたことは想像に難くない。しかし、同曲のクライマックスにあるーー
あがいた日々も 終わる
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業
ーーというフレーズには圧倒的なリアリティがあった。つまり、「卒業」にはファンタジーとリアリティが共存していた。“こうなればいいな” という空想と、その中であがいていた自分に見えた出口。それらが見事に溶け合い、アンセムともいえる世界観が生まれた。
校内暴力をイメージさせるリリックの世界は、2025年の現在、前時代的だと捉えられても仕方がないだろう。あれから40年の時が流れているのだ。しかし、そういった表層的な部分を常識的な視点で捉えても、この曲の本質は理解できないと思う。確かにあの時、尾崎自身はあがいていたし、聴き手だったファン自身もあがいていた。そう、尾崎豊も聴き手も等身大だったのだ。
そんな “10代の焦燥” は決して黒歴史ではなく、恥ずかしいことでもない。尾崎が「卒業」の中で「♪俺達の怒り どこへ向かうべきなのか」という問いは、聴き手それぞれが自分の人生の中で帰結させているはずだ。そんな今、当時の焦燥を振り返りながら、時代の中で、一筋の光を見出したこの曲を改めて聴いて欲しい。その輝きは、40年という時を経た今も決して色褪せてはいない。