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あきらめなかったカイリー・ミノーグ!5つの年代で1位を獲得した唯一の女性シンガー

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2025年03月12日 カイリー・ミノーグの来日公演「Kylie Minogue Tension Tour 2025」開催日(東京:有明アリーナ)

1980年代から歌い続け、現在も世界の第一線で活躍するカイリー・ミノーグ


2025年前半の来日アーティストの中で、久しぶりに日本の地を踏むベテランシンガーといえば、なんと14年ぶり!御年56歳のカイリー・ミノーグが筆頭に挙げられるだろう。芸歴45年を超え、1980年代から歌い続け、現在も世界の第一線で活躍する女性シンガーって、このカイリー・ミノーグとマドンナくらいしか思いつかない。

そして、21世紀以降のカイリーは ”クイーン・オブ・ダンスミュージック” といわれるマドンナのお株をも奪っているような感さえ抱かせる。もちろん ”ダンスミュージック歌姫” のトップはマドンナで異論をはさむ余地はないが、こと21世紀(ここ25年ほど)でいえば、カイリーはマドンナに迫る勢いの “ダンスミュージック・ディーヴァ” っぷりを発揮しているのだ。とりわけ欧州での高め安定ぶりは特筆もの。“強い女・戦う女” というイメージからくる同性からの支持はマドンナを彷彿とさせる。

つまり、カイリー・ミノーグという女性シンガーは、1980〜1990年代(20世紀)と2000年代以降(21世紀)で、ざっくりと2度のピークを迎えた稀有な歌手なのだ。この長く厚く根強いカイリー人気は、当然のことながら一朝一夕で出来上がったものではない。歌手デビューからおよそ40年、決して順風満帆とはいえない、紆余曲折を経た彼女の真摯で努力を伴った活動の賜物であろう。ここで改めて ”歌手カイリー・ミノーグ” の歴史を振り返ってみたい。

1987年、「ラッキー・ラヴ」で世界デビュー


1968年、オーストラリア生まれのカイリー・ミノーグにとって最初のピークは1980年代後半に訪れた。10代になるころから地元オーストラリアでタレント活動を始め、19歳になった1987年に歌手デビュー。

ほどなくしてロンドンに渡り、プロデューサーチーム “ストック・エイトキン・ウォーターマン”(以下:SAW)のもと「ラッキー・ラヴ」で世界デビューを果たす。同チームによる「ロコモーション」も連続ヒットを記録し、世界の人気女性(アイドル)シンガーの仲間入りを果たした。日本でも、アラカン世代なら鮮明に思い出せる方が多いかもしれないが、カイリーの出現は実に鮮烈だった!

世界で活躍するディーヴァ戦線は、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ジャネット・ジャクソンといった3強を中心に群雄割拠の時代。若き女性アイドルシンガーならば、“ティファニーとデビー・ギブソンどちらがかわいい論争” に終止符を打つような、カイリーはそんな存在だった。世界中の男性のハートを打ち抜く女性アイドル歌手出現!とでもいうべき強烈な印象だったのだ。

Winkも「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」をカバー


当時のダンスミュージック界を席巻していたユーロビートの新旗手という打ち出しも吉と出ていた。デッド・オア・アライヴ(男性グループ)、バナナラマ(女性グループ)、リック・アストリー(男性ソロ)で当たりに当たっていたユーロビート・クリエイターのSAWにとっても見目麗しい若き女性ソロを手掛けるのは渡りに船だったろう。もちろんカイリー側にとっても飛ぶ鳥を落とす勢いのSAWによるプロデュースはまたとないチャンス。両者にとってウィンウィンな結果をもたらしたわけだ。

カイリーのファーストアルバム『ラッキー・ラヴ』に収録されていた「愛が止まらない〜Turn it into love〜」を日本の女性アイドルデュオ・Winkがシングルリリースしたのもこの頃。いずれにしろカイリーの歌手としての世界デビューは大成功を収め、1980年代後半(本人が20歳前後のころ)に最初のピークを迎えたのだった。

実際のところ、カイリー本人も受け手側も、歌唱力を問わない “かわいこちゃん系アイドルシンガー” で売り出されていたことは暗黙の了解だったように思われる。1990年代に入るころになるとメインストリームにおけるユーロビート失速に伴い、カイリー作品のヒット規模も徐々に縮小を余儀なくされる。本国オーストラリアでのコンスタントなヒットを軸としながらも、アメリカでのヒットがなくなり、次第にイギリス含む欧州でのヒット感が矮小化していき… いわゆる “低迷期の1990年代後半” に突入していく。

“本格派・実力派シンガー” へとシフトチェンジしたカイリー


アイドルシンガーが必ず直面する問題であろうが、カイリーもいつまでもかわいこちゃん歌手でいられるはずもなく、“本格派・実力派シンガー” へとシフトチェンジしようとする意図が垣間見られていた。もちろん並みのアイドルシンガーならば、このタイミングで人知れず消えていくのであろう。

だが、カイリーはここであきらめなかった。世界的ヒットは輩出せずとも歌手活動をコンスタントに継続、20代後半から30代になるころは、相当の切磋琢磨を自らに強いていたのではないだろうか。出自がユーロビートだったというのもあるが、“ダンスミュージック・ディーヴァ” の自負やプライドは常に忘れずに。

そして、2000年代を迎えカイリーは大復活を遂げる。レーベルを移籍して2000年にリリースされた意欲アルバム『ライト・イヤーズ』および、一連のシングルがイギリスを中心とする欧州でヒット。より力強さを増した歌声とともにカイリー復活の狼煙が上がる。

極めつけは翌2001年のアルバム『フィーバー』からの先行シングル「熱く胸を焦がして」(Can't Get You Out of My Head)の世界的なメガヒット! なんと “ビルボード Hot 100” で1988年の「ロコモーション」以来、約13年ぶりにトップ10入り(7位)し、欧州各国では軒並みナンバーワンを記録。21世紀型フューチャリスティック・ダンスミュージックのディーヴァここにありきを高らかに宣言したのだ。

「パダム・パダム」で20年ぶりのグラミー賞受賞


並行して、乳がんとの闘病宣言、ファッションやLGBTQアイコンといった歌手活動以外のイメージの蓄積も相まって “復活カイリー” は高め安定期へと突入することになる。とりわけ2010年代以降は欧州のダンスミュージックシーンを主戦場に据え、決して供給過多にならずもコンスタントなリリースをキープ。ハイクオリティかつセンス良くコンテンポラリー・ダンスミュージックをけん引し、ブギー・ディスコブームの第一人者的立場を確保している。並々ならぬ見えない努力・葛藤の末に勝ち取ったトップ・ダンスミュージック・ディーヴァの地位は当面盤石だろう。

その後、2020年のアルバム『ディスコ』が全英アルバムチャート1位となり、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代、そして2020年代の5つの年代(5Decades)で1位を獲得した唯一の女性シンガーとなったカイリー・ミノーグ。2023年のアルバム『テンション』から世界的ヒットとなった「パダム・パダム」で20年ぶりのグラミー賞受賞を果たし、自身最大規模のワールドツアーを敢行している(2025年2月現在)。第2のピークを継続するカイリーは、現在わが世の春を謳歌しているに違いない。

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