世界最古の「物語」の発見と衝撃──平藤喜久子さんとたどる、私たちの「神話」【宗教のきほん】#2
私たちはどこから来たのか、何者なのか、そしてどこへ行くのか──。このような問いへの答えとして、世界各地に伝わる「神話」。
國學院大學教授で神話学者の平藤喜久子さんが、日本と世界のさまざまな神話を取り上げ、その多彩な物語の背景と私たち人間に共通する思考をたどっていく『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』が発売となりました。
「知りたい」に手が届く、NHK出版「宗教のきほん」シリーズ最新刊の本書、序章より、神話の伝承と『ギルガメシュ叙事詩』についての解説を公開します。
神話はどう伝わったのか
「はじめに」で、世界中で神話を持たなかった民族や文化はない、神話は人類にとって普遍的なものだ、と述べました。そうであるならば、神話は、人が人の心を持つようになり、自分やそれを取り巻く世界という存在について考え始めたとき──、すなわち人類のはじまりのときからあったと考えることができます。
しかし、人類のはじまりからあったといっても、その神話が何らかのかたちで残されていなければ、それがどのような物語であったのかを、現代の私たちが知ることはできません。
古い時代の神話は、まずは語られることで伝えられたのでしょう。しかし人は次第に、さまざまなかたちで「残す」ようになります。もしかすると、古い時代の神話は、洞窟に描かれた壁画、あるいは「〜のヴィーナス」と呼ばれる石や象牙による造形物などとして残されたのかもしれません。
現在までに見つかっているそれらのものは、古い時代の神話を知るための、一つの手がかりにはなると思います。しかし、そこからまとまったかたちの物語を読み取ることは難しいでしょう。ある世界観を持つ物語を知るには、やはり文字で綴られていることが鍵になります。つまり、私たちが神話について知るうえでの最も重要な資料は、文字史料ということになります。
そこで本章では、まずは文字として残されているものに注目しながら、神話について考える際の基礎知識として、神話の伝承の歴史を見ていきたいと思います。「文字で残された神話」にもさまざまなバリエーションがあり、その形式自体が、神話のあり方に多大な影響を及ぼしているのです。
最古の物語『ギルガメシュ叙事詩』の発見
現在、文字史料として見つかっている最も古い神話と言われているものは、メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』です。神話としては最古とされるものですが、史料として「発見」されたのは比較的新しく、いまから百七十年ほど前のことでした。
なぜ十九世紀に、世界最古の神話が発見されたのか。当時のヨーロッパでは、自分たちの文化の源流はヨーロッパではなく、古代オリエントの地域にあるのではないか、という認識が広がっていました。そのため、ヨーロッパの人びとによって、エジプトやメソポタミアでの発掘作業が盛んに行われていたのです。
一八五四年、発掘を行っていたイギリス隊が、古代メソポタミアのアッシリアの都市ニネヴェ(現在のイラク北部)の遺跡で、大量の粘土板を発見します。そこに刻まれた楔形文字を解読していくと、そのなかに驚くべき内容のものがありました。一八七二年のことです。それは、自分たちがよく知っている『ヘブライ語聖書(旧約聖書)』の「大洪水(ノアの方舟)の物語」とそっくりの物語だったのです。
さらに周辺の発掘調査を続けると、それは全部で十二枚の書板から成る、ギルガメシュという英雄の物語であることがわかりました。その書板の研究が進められたことで、ギルガメシュとは紀元前二六〇〇年頃に実在した王であり、その物語は、彼の行いや活躍をさまざまな神々との関わりのなかで描いたものであることがわかってきました。そのため、厳密には、最古の神話というよりも、最古の物語と言ったほうがいいかもしれません。しかし、神々との交流も描かれているので、神話を伝える史料ということができます。
最古の物語の存在は、当時のヨーロッパの人びとに衝撃を与えました。『ヘブライ語聖書』のノアの方舟の話に酷似した洪水の物語が、古代メソポタミアの粘土板のなかに見つかった。その粘土板は、『ヘブライ語聖書』の成立より数百〜千年単位で古いものです。つまり、自分たちが当たり前のように知っている物語が、実は思っていた以上に古い起源を持ち、しかも思いもよらぬ場所で、自分たちの宗教(ユダヤ・キリスト教)とは異なる文化圏において語られてきたものだった──。そんなことが見えてきたのです。これはヨーロッパの人びとの精神文化の起源にも関わる大きな発見でした。
『ギルガメシュ叙事詩』の発見は、人類にとって「私たちの物語」のルーツを知る手がかりが見つかった、すなわち「我々はどこから来たのか」という問いへの新たな答えを得る可能性があることを意味しているのです。
本書『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』では、「神話を知るために」「神について考える」「神話が伝えていること」「神話と歴史はどう関わるのか」「神話から何が学べるのか」という章構成で、愉快で深い「私たちの起源」を探っていきます。
著者
平藤喜久子(ひらふじ・きくこ)
山形県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(日本語日本文学)。専門は神話学、宗教学。現在、國學院大學神道文化学部教授。NHK Eテレ「趣味どきっ!」の「ニッポン神社めぐり」シリーズで講師を務める。著書に『神話学と日本の神々』(弘文堂)、『日本の神様 解剖図鑑』『世界の神様 解剖図鑑』『物語をつくる神話 解剖図鑑』(いずれもエクスナレッジ)、『「神話」の歩き方』(集英社)、共編著に『神の文化史事典』(白水社)、『〈聖なるもの〉を撮る 宗教学者と写真家による共創と対話』(山川出版社)など多数。
※刊行時の情報です。
■『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』(平藤喜久子 著)より抜粋
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