老老介護の果てに…94歳元エリート会社員は何故 妻に手をかけたのか 〝人に頼れなかった〟悲劇【裁判傍聴記】
7月17日、札幌地裁。男は弁護人とともに法廷に姿を現した。ジャケットの下はチェックのシャツ。きちんとアイロンをかけているような、清潔感のある服装だった。そして男はしっかりとした足取りで歩み、着席した。
“老老介護”の末…無理心中をしようと89歳の妻を殺害
去年11月、札幌市豊平区の自宅で、89歳の妻を殺害したとして94歳の男が逮捕され、その後、殺人の罪で起訴された。
逮捕から8カ月…札幌地裁で開かれた裁判員裁判の初公判。94歳の男は起訴内容について争うことなく「間違いありません」と認めた。
検察は「認知症の妻と心中しようとして、失敗して自首をしている」と指摘。
弁護側は「殺害した事実は争わないが、情状や量刑を争う」としていた。
法廷に立った94歳の被告 「大罪を犯した…」
初公判の翌日に開かれた被告人質問は、現在被告が入所する施設の経営者の証人尋問の後に行われた。耳が遠くなっているという被告のために、簡易スピーカーも設置された。被告はじっと目を閉じて裁判が始まるのを待っていた。
そして、弁護側から質問は始まった―。
弁護「いまの施設での生活はいかがですか?」
被告「私の年齢でいうと終のすみかとなるだろう、いいところだなと思いました。自宅にあったロッキングチェアを持ち込んだんですが、十分に置くスペースがあってありがたいことでした」
被告は質問に対し、少しせき込みながら丁寧に答えていく。
弁護「介護認定は受けられましたか?」
被告「要介護1級を施設に入居してからいただきました」
弁護「訪問医療は受けられていますか?」
被告「はい、2週間ごとに医師さんがいらして私の話も聞いてくれますしありがたいと思っております」
弁護「どんな思いで裁判に臨んでいますか?」
被告「刑法上一番罪深い行為をしてしまったので釈明のしようがない大罪を犯したと思って、裁判に臨んでおります。〝屠所(としょ)にひかれる羊〟〝まな板の鯉〟でありたいと念願しております」
「屠所にひかれる羊」…意味が分かるまで時間を要するような言葉を用いて、自らを表現した被告。傍聴した人たちは、エリート会社員だったころの被告の様子を思い浮かべたに違いない。
被告はその後も聞き取りにくい質問については何度も聞き直しながら、丁寧に答えていった。
「ギリギリまで自分でやる…」人に頼ることをよしとしなかったエリート
北海道大学を卒業し、大手製紙会社で支社長を務めていた被告。成人した子どもとは同居せず、妻と二人で暮らしていた。妻が認知症を患っても、施設に入所させることはなく、たまに訪問介護を受ける以外は男が自ら、妻の介護を担ってきた。しかし、介護は激務。年齢を重ねた被告の体に、確実に疲労は蓄積されていった。
……………
被告「正直なところ、当初介護にはそう負担は感じてなかった。『こんなもんで』という、やるだけのことをやるだけと思っていました。でも体調が悪化し、物事の考え方が変わり、やることなすこと重荷になり、負担感も強くなりました。自信を喪失してしまった気がします。その日その日を過ごすことが大変になりました」
介護を続けていく自信をなくしてしまったと話す被告。しかし、誰かに頼ることは最初から念頭にはなかった。
被告「相談する気持ちは頭の中に無かったと思います。相談をしようという冷静な判断ができなかった」
誰にも頼ることなく問題を抱え込んでいた被告…検察官と裁判官は事件後、その心境が変わったかどうかを被告にたずねた。被告は少しだけ考える様子を見せたが、それほど時間をかけず次のように答えていた。
検察「息子さんへの遠慮があるんじゃないですか?」
被告「遠慮という心理ではない。広い意味で迷惑をかけたくないということです」
検察「自分だけで抱え込まなくてもよいということを理解できましたか?」
被告「どういう局面かわかりませんが、いまの心情は、ギリギリまで自分1人で対処して、いよいよになったらお世話になると思います」
裁判官「自分の中で『ギリギリ』とはどう判断していきますか?」
被告「いろいろなことが頭をよぎるのですが、気持ちとしては自分でやれることはやるという気持ちは今も変わらないと思います」
精神鑑定でも…専門家が指摘する「人に頼れない性格」
この日の午後の証人尋問では、被告の精神鑑定を行った医師が証言台に立った。
医師は犯行の動機について「うつ病が相当程度重要な影響を与えたとは考えられるが、それだけでは説明できない部分もあり、本人の元々あった完璧主義の傾向や周囲に頼ることをしない性格の部分も無視できないものだった」などと話した。
……………
このときの裁判から5日後、判決の日を迎えた。
被告は紺色のジャケット姿。杖を持っていたが、必要ないくらいしっかりとした足取りで入廷してきた。
そして、裁判長が判決を言い渡した。
「懲役3年 執行猶予5年」
裁判長が最後にかけた言葉に被告は…
被告はまっすぐに裁判長の方を向いて判決を聞いていた。
判決を言い渡した後、裁判長は被告に語りかけた。
「…さん(妻)は認知症ではありましたが、まだまだ幸せな老後を送ることができたはず。あなたには妻を殺めてしまったことの罪の重さを銘記して、今後…さんの供養に努めて生活を送ってほしい。それから、今後は限界になるまで1人で物事を解決しようとするのではなく、困ったことがあれば周囲に相談してほしい」
被告は裁判長の言葉が終わると、「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。
……………
「限界まで一人で物事を解決しようとせず相談を…」裁判長のこの言葉が被告の心にどこまで届いたのかはわからない。被告と同じような感覚で、だれにも相談できずにいる高齢者はきっとほかにもいるに違いない。自分から助けを求められない人たちのために、何が出来るのか。課題は残されたままだ。