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『銀河鉄道999』『幻魔大戦』などを手掛けた大御所・りんたろう監督の自伝漫画『1秒24コマのぼくの人生』がおもしろい

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SBSラジオ「TOROアニメーション総研」のイチオシコーナー、人気アニメ評論家の藤津さんが語る『藤津亮太のアニメラボ』。今回はりんたろう監督の自伝漫画についてお話をききました。※以下語り、藤津亮太さん

フランスでも人気の高いりんたろう監督の自伝漫画

『銀河鉄道999』『幻魔大戦』『メトロポリス』などを手がけた大御所のりんたろう監督が、自伝をバンド・デシネ(フランス語圏内における漫画)として出版しました。一説には日本語に翻訳されないという噂があったのですが、先日『1秒24コマのぼくの人生』というタイトルで日本語版が出たので、今回はこちらをご紹介しましょう。

なぜ日本のアニメ監督がバンド・デシネを描いたのかというと、元々はフランスのアニメプロダクションがりん監督の人生を3DCGでアニメにするという企画を持ってきたようなんです。

りん監督の『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978年)がフランスで人気が高いため、監督の名前は非常によく知られていて、リスペクトされていました。ところが、その映画企画は予算も含めて難しく、宙に浮いてしまいました。

そのとき日仏をつなぐコーディネーターの高橋晶子さんがバンド・デシネで描いたらどうだろうかと提案し、ベルギーの出版社と、日本の漫画をフランスで出しているKANA社の共同出版という形で企画を取りまとめ、りん監督が漫画を描き、出版に至ったというわけです。

だから本の中身は横書きです。フランス語で出版されることが前提になっているので、漫画の開きも逆です。

作品のキーポイントは「お父さん」。監督の人生ですから後半にはアニメ制作の話なども出てくるのですが、やはり全体を貫いてるのはお父さんとの関係性でした。

2000年にりん監督は『メトロポリス』という手塚治虫の漫画を原作にした長編アニメーションを作るのですが、そのオールラッシュ(すべてのシーンをざっと繋いだもの)を見終わるところから漫画が始まります。そこでりん監督は、前年に亡くなったお父さんが、自分が幼い頃一緒に映画を見に行ったときに、「映画にとって一番大切なのは光と影だ」と言ったことを思い出すシーンがあり、その後回想が続きます。

このお父さんというのがユニークな人で。理髪店をやっているのですが、かなり映画に憧れていて、若い頃には家業の理髪店を継ぐのが嫌で家出して京都の撮影所まで行ったりもしていたようです。息子と映画を見に行ってもあまり子ども扱いせずに芸術論を語るような人でした。

ところが離婚してお母さんが出ていってしまいます。すると長男だったりん監督はお父さんから影響を受けているという自覚と、なぜそんなことになったんだろうという気持ちがないまぜになってくるんです。そんなお父さんへの相反する気持ちが自伝全体の奥底からうかがえ、漫画としてもストーリーテリングが面白くて楽しめますよ。

りん監督は1941年生まれ。小学校の頃に映画というものを知り、幻灯機(スライド)を作って絵を描いてお話を展開した少年でした。成長していくにつれアニメーションに興味を持ち、TCJ(現エイケン、サザエさんを作っている会社の前進)などでコマーシャルなどを手がけます。

そして1958年に17歳で東映動画に入社。演出をやりたかったようなのですが、当時の東映動画にはある種の身分制があって、大学卒でないと監督になれないという決まりがありました。それと前後して、漫画家の手塚治虫が虫プロダクションを作ったので誘われる形でそちらに行き、そこで演出になります。

そして監督になった後、フリーの監督として東映動画に戻り『アローエンブレム グランプリの鷹』(1977年)、『宇宙海賊キャプテンハーロック』を作ります。

また、当時の東映動画の今田智憲社長が宇宙海賊キャプテンハーロックの第1話を気に入り、社運を賭けた『銀河鉄道999』(1979年)を作る際にりん監督を指名します。外様の監督なので非常に風当たりが強かったようですが、完成した映画を見てスタッフが皆スタンディングオベーションしてくれたという話は漫画にも描かれています。このエピソードは、僕も取材でうかがったことがあります。

ひとりの監督の青春記であり、日本アニメの黎明期の記録であり、大変おもしろい作品ですのでぜひ読んでいただければと思います。

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