香港の『自由』はこうして終わった ~国安法から5年で中国化、次は台湾か?
2020年6月に施行された香港国家安全維持法(国安法)は、香港の政治的・社会的な風景を一変させた。
施行から5年が経過した2025年6月、香港はかつての自由で活気ある都市から、中国政府の強固な統制下にある地域へと変貌を遂げた。
2019年に繰り広げられた大規模な抗議デモや市民と当局の激しい衝突は、今や遠い記憶となり、香港社会には諦めと絶望感が広がっている。
民主派の政治団体は次々と解散に追い込まれ、香港の「中国化」が完成した。
この状況は、中国政府が台湾統一のモデルケースとして、香港を位置づけていることを示唆している。
2019年の抗議デモ:抵抗の最盛期
2019年、香港では逃亡犯条例改正案をきっかけに、市民による大規模な抗議デモが巻き起こった。
数百万人が参加したデモは、香港の自治と自由を守るための抵抗運動として世界的な注目を集めた。
学生や若者を中心に、「五大要求」を掲げ、民主的な選挙制度や警察の暴力に対する独立調査などを求めた。
しかし、香港政府と背後の中国政府は強硬な姿勢を崩さず、デモは時に暴力的な衝突へと発展。
催涙ガスやゴム弾が飛び交い、逮捕者は1万人を超えた。
この時期、香港市民は「抵抗」を合言葉に、自由と自治を守る決意を世界に示した。
国安法の衝撃:自由の終焉
しかし2020年の国安法施行は、香港の民主化運動に壊滅的な打撃を与えた。
この法律は、国家分裂、政権転覆、テロ活動、外国勢力との結託を禁じるもので、違反者には最高で終身刑が科される。
曖昧な条文は、当局による広範な解釈を可能とし、言論の自由や集会の自由が事実上封じられた。
民主派の政治家、活動家、ジャーナリストが次々と逮捕され、海外に逃亡する者も続出した。
主要な民主派団体は資金凍結や法的圧力を受けて解散を余儀なくされ、2025年にはさらに複数の団体が活動停止を発表。
かつての民主派の勢力は壊滅状態にあり、政治の場から締め出された。
国安法は社会全体にも深い影響を及ぼした。
メディアは自主検閲を強いられ、かつて香港の誇りだった報道の自由は大幅に後退。
学校教育では「愛国教育」が強化され、若者たちは中国への忠誠を求められるようになった。
市民の間では、SNSでの発言や抗議活動への参加が当局の監視対象となる恐れから、自己規制が常態化。
2019年の「抵抗」の精神は、「諦め」と「無力感」に取って代わられた。
香港の中国化:統治の完成
国安法の下、香港の政治制度は中国本土と同質化が進んだ。
2021年の選挙制度改革により、立法会の選挙は「愛国者」による統治が原則とされ、民主派候補は事実上排除された。
行政長官選挙も同様に、中国政府の意向を反映する仕組みが強化され、香港の自治は名ばかりとなった。
経済面でも、中国本土との一体化が進み、香港の国際金融ハブとしての地位は揺らぎつつある。
多くの外資企業がシンガポールなどへ移転し、香港市民の海外移住も加速。
2020年以降、数十万人が英国やカナダ、オーストラリアへと渡った。
この「中国化」のプロセスは、香港社会のアイデンティティを根本から変えた。
かつて「香港人」としての誇りを持っていた市民は、中国の一部としてのアイデンティティを強いられ、抵抗する術を失いつつある。
街角では、広東語よりも標準中国語が聞かれる機会が増え、文化的な独自性も薄れつつあるのが現状だ。
台湾への示唆:中国の野望
香港の状況は、中国政府が描く台湾統一の青写真とも言える。
中国は「一国二制度」を台湾にも適用する方針を示しているが、香港の現状は台湾にとって警鐘だ。
香港の自由が失われた姿は、台湾が中国の統治下に入った場合の未来を予見させる。
台湾では、香港の状況を注視しつつ、独自の民主主義と自由を守るための議論が活発化している。
中国政府は香港を「成功例」として台湾に圧力をかけるが、香港市民の失望と無力感は、台湾の人々に抵抗の重要性を改めて認識させている。
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部