カーペンターズのトップ40ヒット!カレンの歌声こそ人類の至宝以外のなにものでもない
2月4日はカレン・カーペンターの命日
今年もカレン・カーペンターの命日2月4日がやってきた。今から42年前、1983年に心不全で亡くなったのが享年32…。存命ならば今年2025年で75歳というのだから、重ね重ね若すぎる死だったと言わざるを得ない。
カレンといえば米国の兄妹グループ、カーペンターズのメインシンガー。カーペンターズといえば本国アメリカはもとより、世界が誇る大衆音楽史上不世出のデュオとして知られている。我が国の英語の教科書に彼らの作品が掲載されていることからも分かるように、国境を超えた老若男女が安心して耳にできる普遍的な ”愛の歌”、しかもアメリカ人いわく “完璧な発音を伴った歌唱法によるやはり完璧な歌声” を聴くことができる。
そう、その作品群こそが未来永劫永遠に歌い、聴き、語り継がれるべき、20世紀に誕生した音楽の筆頭に挙げられるだろう。カーペンターズが色褪せない楽曲たちを世に送り出していたのは、主に1970年代なのでおよそ半世紀が経過しようとしている。前述のとおりカレン没後42年、兄のリチャード・カーペンターは今年2025年で79歳となるが、ここでは改めて本国アメリカでトップ40ヒットとなったカーペンターズの20作品を記してみたい。
*月日、順位はビルボード「Hot 100」にエントリーした年月、及び同週間チャートの最高位
トップ40ヒットとなったカーペンターズ作品を紹介
1.(They Long To Be)Close To You(遥かなる影)1970年6月 / 1位
カーペンターズにとって、記念すべき初の大ヒットにして全米ナンバーワンソング。バート・バカラックとハル・デヴィッドという黄金コンビの作品で、リチャード・チャンバーレイン、ディオンヌ・ワーウィック、ダスティ・スプリングフィールドらが録音していたが、カーペンターズでようやくヒットした。
2. We’ve Only Just Begun(愛のプレリュード)1970年9月 / 2位
ロジャー・二コルスとポール・ウィリアムスのペンによる作品。編曲家としてのリチャードの手腕が最大限発揮された逸品で、リチャードいわく “カーペンターズ最高の代表曲”。作者であるポール・ウィリアムスのバージョンも、カーペンターズのヒットからほどなくしてリリースされている。
3. For All We Know(ふたりの誓い)1971年2月 / 3位
1970年のアメリカ映画『Lovers And Other Strangers(ふたりの誓い)』の挿入歌をカーペンターズがカバー。イントロのホルンは、当初ホセ・フェリシアーノのギターで録音されたという逸話が存在している。
4. Rainy Days And Mondays(雨の日と月曜日は)1971年5月 / 2位
いまだに “雨の日の月曜日” には頻繁にラジオなどで耳にするカーペンターズの人気レパートリー。「愛のプレリュード」同様、ロジャー・ニコルスとポール・ウィリアムスの作品。“雨の日と月曜日はいつも落ち込む” は誰もが一度は共感したことある歌詞なのでは。
5. Superstar(スーパースター)1971年9月 / 2位
ボニー・ブラムレット(デラニー&ボニー)とレオン・ラッセルが作詞作曲したデラニー&ボニーの作品をカバー。ロックバンドのギタリストを追うグルーピーのことを歌った曲で、カレンの歌声にはいつになく哀愁味が帯びている。B面「Bless The Beasts And Children」も小ヒットを記録。
カーペンターズ最大の代表曲、イエスタデイ・ワンス・モア
6. Hurting Each Other(ハーティング・イーチ・アザー)1972年1月 / 2位
オリジナルは1965年のジミー・クラントンで、以降も多くのアーティストが録音していたがヒットに至らず、カーペンターズが初めてヒットさせた作品。「遥かなる影」以来、6作連続でトップ3内に入るヒットを記録したシングル曲。
7. It’s Going To Take Some Time(小さな愛の願い)1972年4月/ 12位
キャロル・キングとトニ・スターンの作品で、キャロルの1971年のアルバムに収録されたものがオリジナル。カーペンターズはキャロル作品をカバーした形で、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』(1972年)に収録されている。
8. Goodbye To Love(愛にさよならを)1972年7月 / 7位
リチャード・カーペンターとジョン・べティスが作詞作曲。リチャードが作った初のカーペンターズのヒットシングル。ファズギターがフィーチャーされたことによって、パワー・バラッドのハシりと言われている楽曲。
9. Sing(シング)1973年2月 /3位
子供番組『セサミストリート』から誕生した楽曲で、カーペンターズがヒットさせたことによって世界的に有名になった作品。バーブラ・ストライサンドのバージョン(1972年)を聴いて、カバーすることを決めたといわれている。世界各国の言葉で歌われたバージョンが存在している。
10. Yesterday Once More(イエスタデイ・ワンス・モア)1973年6月 / 2位
カーペンターズ最大の代表曲ともいえる、いわば名刺代わりのような楽曲。ラジオから聴こえていた古き佳きオールディーズ賛歌は、リチャード・カーペンターとジョン・べティスの作詞作曲による入魂の奇跡的作品。日本における最大ヒットソング。
普遍的かつエバーグリーンな年齢・国境を越えた名曲トップ・オブ・ザ・ワールド
11. Top Of The World(トップ・オブ・ザ・ワールド)1973年10月 / 1位
カーペンターズにとって「遥かなる影」以来、2曲目の全米ナンバーワンヒット。「イエスタデイ・ワンス・モア」に続いてリチャード・カーペンターとジョン・べティスが作詞作曲。2作連続で普遍的、かつエバーグリーンな年齢・国境を越えた名曲誕生といったところ。
12. I Won’t Last A Day Without You(愛は夢の中に)1974年4月 / 11位
「愛のプレリュード」「雨の日と月曜日は」に続く、ロジャー・ニコルスとポール・ウィリアムスのペンによるヒットシングル。アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』収録曲に、新たなアレンジを加えてシングル発売したもの。カーペンターズのヒット以降、多くのカバーが存在する。
13. Please Mr. Postman(プリーズ・ミスター・ポストマン)1974年11月 / 1位
マーヴェレッツによるモータウン初の全米1位曲(1961年)をカバーし、再度全米ナンバーワンとなった稀有な例。カーペンターズのロックンロール~オールディーズ志向が強く出た作品で、グループ最後のビルボード1位曲(通算3曲)となっている。
14. Only Yesterday(オンリー・イエスタデイ)1975年3月 / 4位
リチャード・カーペンターとジョン・べティスの作品。カーペンターズにとって最後のトップ10ヒットながら、11曲目のアダルト・コンテンポラリー(AC)チャート1位曲。アルバム『緑の地平線~ホライゾン』(1975年)に収録。
最後のトップ40ヒットは「タッチ・ミー」
15. Solitaire(ソリテアー)1975年8月 / 17位
ニール・セダカとフィル・コディが作詞作曲。ニール本人も録音しているが、やはりカーペンターズがヒットさせて有名になった楽曲。ソリテアーというゲームにかけて、人生は孤独なゲームみたいなものと歌う深遠なテーマを、カレンの女性目線で歌った佳曲。
16. There’s A Kind Of Hush(All Over The World(見つめあう恋)1976年2月 / 12位)
1966年のニュー・ヴォードヴィル・バンドがオリジナル。英国のグループ、ハーマンズ・ハーミッツのヒットで知られる楽曲のカバー。リチャードは “オリジナルが素晴らしすぎる、カバーすべきではなかった” と述べているが、全くそんなことはないでしょう。
17. I Need To Be In Love(青春の輝き)1976年6月 / 25位
リチャード・カーペンターとジョン・べティスのコンビに加え、アルバート・ハモンドも曲作りに参画した作品。本国アメリカ以上に日本でのヒット感が強かった楽曲で、後にTBSのドラマ『未成年』(1995年)のエンディングテーマで使用され、さらなるヒットを記録している。
18. All You Get From Love Is A Love Song(ふたりのラヴ・ソング)1977年5月 / 35位
1975年のライチャス・ブラザーズがオリジナル。やはりカーペンターズのカバーが最も大きなヒットとなっている。「青春の輝き」同様、アメリカ以上に日本でのヒット感が強い。レイディオでデビュー直前のレイ・パーカー・ジュニアがギターで参加している。
19. Calling Occupants Of Interplanetary Craft(星空に愛を)1977年10月 / 32位
カナダのロックバンド、クラトゥの楽曲(1976年)をカバーしたもので、カーペンターズのバージョンがイギリスとカナダ等でトップ10入りを果たしている。“惑星間を飛行する宇宙船の乗務員に告ぐ!” という、不思議で幻想的な内容で、ラジオDJのリクエストショーから始まるという技ありな楽曲。
20. Touch Me When We’re Dancing(タッチ・ミー)1981年6月 / 16位
カーペンターズにとって、1980年代以降唯一のヒットにして最後のトップ40ヒット。米国のバンド、バマがオリジナルとなる楽曲で(1979年)、カーペンターズのカバーだけがトップ40ヒットを記録している。B面はカレンの結婚式演奏曲だった「Because We Are In Love(The Wedding Song)」
ここにパッケージされたカレンの歌声はおおよそ1970年代、彼女が20代だった頃のものである。何度耳にしても新鮮で色褪せないものだし、これらを色褪せさせないのは我々の義務なのではないだろうか。カレンの歌声こそ、人類の至宝以外のなにものでもないのだから。