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DJ・ヒロ寺平が振り返る! オリコンチャートを左右するほどの影響力を持った、1995年のFM802『OSAKAN HOT 100』

Dig-it[ディグ・イット]

J-POP全盛期の1995年。ヒット曲をFM802独自の視点でチャート化した『OSAKAN HOT 100』は、若者たちが音楽の魅力に触れるメインコンテンツでもあった。当時、同番組のDJを務めたヒロ寺平に、当時の音楽状況や大物アーティストの発掘秘話を語ってもらった。

ヒロ寺平/ひろてらだいら|FM802のラジオDJにして関西FM界の顔。『OSAKAN HOT 100』に加え、毎週金曜日に6:00 ~19:00の生放送『FRIDAY AMUSIC ISLANDS』をワンマンDJで担当。毎週1回レギュラーでの、最長13時間にも及ぶオンエア放送が高く評価される。aiko、押尾コータロー、森山直太朗をはじめ、数々のミュージシャンを発掘したことでもおなじみ。2019年9月にラジオDJとしての活動に終止符を打った。

95年のヒット曲は時代を越えても彩り豊かな温度感で魅了してくれる

1989年に関西のミュージックステーションとして開局したFМ802。時流に流されない独自の選曲と“ヘビーローテーション”を駆使し、新しいアーティストをいち早く発掘するなど、90年代の音楽シーンをけん引したラジオ局としてもお馴染みだ。

そんなFМ802が毎週日曜日の12時〜16時(現在は15時まで)に放送する『OSAKAN HOT 100』は、J-POP最盛期の95年当時、関西のレコード店の売上はもとより、オリコンチャートを左右するほど多大な影響力をもっていた。

『OSAKAN HOT 100』とは、FM802が作成したオリジナルチャートのこと。同局でのオンエア回数をもとにしたオンエアポイント、シングルのセールスポイント、リクエストポイントの3つを総合的に点数化して作成される。この3つのなかでも、オンエアポイントの比重が最も高く、Mr.Childrenやスピッツ、槇原敬之など、“ヘビーローテーション”でお馴染みのアーティストがこぞってランクインした。

「当時、ランキングの常連だったアーティストは、今でこそトップアーティストという立ち位置ですが、当時は、混沌とした中から這い上がってきた“若手アーティストの一人”にすぎませんでした。だってその頃、Mr.Childrenの桜井(和寿)くんやDREAMS COME TRUEの(吉田)美和ちゃんなんかは、当局で『ミュージックガンボ』のパーソナリティを担当してくれていましたから」

90年代のアーティストはこぞってハイレベルだった

そのように当時を回想するのは、1991年から2001年のJ-POP黄金期に『OSAKAN HOT 100』のDJを担当していたヒロ寺平。彼が同番組に抜擢された91年は、邦楽のレベルがめきめきと上がった変革期で、洋楽をメインストリームで取り扱っていたFМ802でも、邦楽をフィーチャーして一大ムーブメントを巻き起こそうとしていた。

「80年代の音楽シーンはユーミン(松任谷由実)や山下達郎さん、サザンオールスターズのような別格の天才はいましたけど、それ以外は歌謡曲がオリコンチャートの大半を占めていた時代でした。対して90年代は、新しくデビューするアーティストがそろいもそろって、高水準な楽曲を生み出してくるわけですよ。メロディラインはもちろん、歌詞のよさは目を見張る物がありました。斉藤(和義)くんやスガシカオのような、琴線に触れる歌詞を書くシンガーソングライターが登場したのもこの時期です。言葉とラジオの親和性は高く、歌詞の魅力がリスナーにもダイレクトに伝わるので、ラジオ業界が盛り上がる要因にもなった気がします」

『OSAKAN HOT 100』はFМ802の独自算出基準によるオリジナルのチャート。そのため、演歌やアイドル、そして当時全盛期だった小室ファミリーの楽曲はランクインしていない。実はこれによりFМ802は、一時期は聴取率が減じる苦境に追いやられたが、「どの局でも同じ曲をかけるようでは音楽シーンによくない」と方針を変えることはなかった。

「当時、どの周波数に合わせて耳を傾けても、小室さんプロデュースの作品が流れていました。それだけメジャーだったからこそ、リスナーから『なぜ小室さんの曲を流さないのか』という問い合わせが入ることもあったんです。でも、FМ802が目指していたのは“マスメディア”ではなく“クラスメディア”。小室さんのデジタルサウンドが時代にフィットしたのは前提として、それよりも手作り感のある音楽を届けることが最優先だったんです。そのため『OSAKAN HOT 100』でも、小室さんの曲が流れることはほとんどありませんでした」

体温を伝えてくれるアナログ音源の魅力

寺平の視点で95年のチャートを振り返ってもらうと、“あったかい音楽シーン”という印象が強かったという。

「あらためて当時のチャートを見ても、この頃の音楽は30年近く経った今でも、口ずさめるものばかり。つまり、この時代に生きた人たちの記憶に残る、温度感のある音楽が生み出されていたんです。僕は2019年にDJを引退したので、今は皆さんと同じアウトサイダー側の人間として音楽を楽しんでいますが、これからの音楽シーンには少し危機感を抱いています」

その危機感とは、アナログからデジタルサウンドに切り替わり、近い将来、デジタルオンリーの時代がやってきた時に、リリースされる音楽にどれだけの体温が感じられるか、というものだ。

「2023年の年間チャートがあるとします。それを28年後の世界で振り返った時に、今を生きている人たちが95年のチャートと遜色なく愛情をもてると思いますか? 残念ながら、僕はダウトだと感じます。それだけ95年の音楽は今でも僕たちに、体温を伝えてくれるんです」

“OSAKAN=大阪の”を冠した『OSAKAN HOT100』では、シャ乱Qやウルフルズといった関西出身アーティストの人気が高かったり、DREAMS COME TRUEの『大阪LOVER』、ウルフルズの『ええねん』『サムライソウル』のような関西弁を用いた楽曲が1位を獲得したりと、“クラスメディア”ならではの特徴も垣間見えた。しかしながら、リスナーが彼らの力量以上の肩入れをすることはなく、むしろ実力どおりの順当なランキングだったと寺平は考える。

さらに、関西出身ではなくとも、FМ802がきっかけでブレイクしたアーティストは山ほど存在する。ムーブメントは西から東に発信、拡散されるといっても過言ではない。

「Mr.Childrenも、スピッツも、槇原敬之も、間違いなくFМ802をきっかけにブレイクしたアーティスト。斉藤(和義)くんは渋谷公会堂でライブをしていた頃に関西では大阪城ホールを満員にするほど、東西でメジャーになった時期にギャップがあります」

実は、斉藤和義のブレイクの仕掛け人は、寺平本人。出会いは90年代半ばに放送されていた関西ローカルの音楽番組で、寺平がMC、斉藤がゲストで出演した時に意気投合し、親睦を深めたという。

またaikoも、寺平が発掘したアーティストの一人だ。彼女は他局でレギュラー番組をもっていたことから、FМ802が主体となってメインストリームで取り上げることはなかった。にも関わらず、イチ押しのラジオパーソナリティとして寺平の名前を挙げるのは、寺平本人が信頼関係を築いていたからと言って間違いない。

「FМ802が企業としてアーティストと関わるなら、僕はそれとは違った向き合い方をしています。これまでずっと大切にしてきたことは、1対1でぶつかり合うこと。これに尽きます。僕がDJの番組に出演してもらう時は、マネージャーやレコード会社の人間を頑なにスタジオに入れなかった。まさに『徹子の部屋』みたいなイメージで、マンツーマンで話せる時間を作ったんです」

新譜のプロモーションは、新譜のこだわりをアーティスト視点で告知するような着地点が決められているケースが多い。すると、プロモーションのために全国行脚し、お約束のやり取りを続けたアーティストたちは、徐々に辟易していく。

「そこで、不意なひと言を言うわけですよ。アーティストの新譜が発表されるのはわかりきったこと。そこをフィーチャーするよりも、アーティストの人となりが垣間見えた方が、楽曲の魅力がよりリスナーに伝わると考えたわけです」

FM802は新人をどこよりも早くリスナーに届けることを心がけてきた。インディーズ時代から親交を深めるため「802のおかげで売れた」と感謝されることも多い。真ん中のポスターはaikoからの直筆メッセージが入っている

物を持たないDJが販売するものは?

これは、寺平がラジオDJになる以前に、楽器店でギターの販売をしていたことが大きく影響しているという。

「ギターの買い手になった気持ちで考えてみてください。ギターのスペックを語られるよりも、手に取って弾いて、自分の耳で音色を感じた方が、購買意欲が上がると思いませんか? それは音楽も一緒。楽曲のクオリティさえ高ければ、それは自ずとリスナーに伝わるので、アーティストの人柄が垣間見えた方が興味をもってもらえるんです。たとえば、ウルフルズが出演してくれた時に、僕が『お待たせしました! GLAYの皆さんです〜』と紹介するでしょう。そしたらトータス(松本)なんかはツッコミを入れてくれて、現場は爆笑の渦に包まれるわけですよ。このやり取りがそのままオンエアに乗るから、リスナーには和気藹々とした空気感がダイレクトに伝わるんです」

ギターの販売経験は、リスナーと信頼関係を築くうえでも活かされている。

「物売りの仕事は、原価80円の商材に20円の利益を乗せて、100円で販売するのがスタンダードです。これは目に見えるもの。僕は“実業”と呼んでいます。一方でDJは、販売する商品を持っていないんです」。

アーティストたちはCDを作ってきてくれる。DJはそれを電波に乗せて、リスナーたちに広める役割がある。では、何を、どのように伝えたらいいのか?常にそれを考えてオンエアに臨む必要があった。

「誤解を恐れずに言うとDJという仕事は虚業なんです。販売する商品がない、つまり、実の生業がないわけです。でも、その“虚”のなかにも体温のある関係を作ることが大事だと思ってやってきました。僕は、何十万、何百万のリスナーのことを“皆さん”と言いません。“あなた”と呼びかけます。それは、アーティストと同様に、1対1で向き合いたいというこだわりからなんですね。もちろん、新人の時にそれはできなかった。

でもDJをやっているうちに、リスナーたちともっと親交を深めたいと考えるようになり、“君”“あなた”と話しかけるようになったんです」。

『OSAKAN HOT100』においても、リスナーと温度感のあるやり取りを繰り広げた。それが、同番組が人気を博した理由とも言える。

「当時、番組の放送時間は、日曜日の12〜16時。となると、だいたいの人がドライブの時に聴いていて、圧倒的なエンタメ番組である必要があったんですね。となると、100曲を工夫もなく流すだけではおもしろくもなんともない。それを制作陣がなんとかしようとして、リスナーと電話をつないで話したり、僕とクイズやゲームを繰り広げたりして、エンタメ性をもたせました。僕も番組を担当している以上、本気で臨みますから(笑)。リスナーも心から喜んでくれたんです」

また、楽曲のオンエア方法にも工夫を凝らした。通常、FМ802では一曲をフルサイズでオンエアすることをモットーとしている。それが4分30秒の楽曲であれば、4分30秒の尺でオンエアする。サビが終わったから次の曲へ…というようなショートカットは決してしなかった。ところが『OSAKAN HOT100』は4時間番組。一曲の時間が3分だったとしても300分。単純計算しても、5時間の尺が必要なわけだ。

「そのため異例として、曲の一部をフラッシュで流すこともありました。でも、一曲をフルサイズで流すことを是としてやっていたからこそ、ランク落ちしたものをまとめてオンエアするなど、味を出すための工夫を行ったんです」

2012年に“ FM802を聴いて年齢を重ねてきた人に向けたステーション”という位置づけで、40代以上をターゲットにしたFM COCOLOと二波体制に。それに伴い、ベテランのDJや制作陣がFM COCOLOに異動し、局全体の若返りにも成功した。現在、FM802の番組は20 ~30代の若いスタッフがフレッシュな感覚で制作している。

※この記事は「昭和50年男 2023年11月号 Vol.025」を再編集したものです。完全版は誌面でご覧いただけます。

(出典/「昭和50年男 2023年11月号 Vol.025」)

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