『田舎暮らしに殺されない法』フィジカルはメンタルを後押しする。/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(64)【千葉県八街市】
2025年。昭和なら100年。昭和22年1月生まれは78歳になったのである。
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平成あたりの若い人は、なんだ、書いてるのはジイサンかい……。そうつぶやくかな。
でもちょっと待ってね。
若さ自慢じゃない。アナタがイメージするトシヨリとは少し違うということを示したい。78歳の老人は毎朝ランニングする(30代サブスリーのマラソンランナー)。仕事を終えた夕暮れに腹筋100と懸垂30。畑仕事に機械なし。スコップ1本で9時間の作業……。世間の78歳とは「ちょっと違うカモジイサン」……。そう言いたいわけ。
加えて言いたいこと。
田舎暮らしというエネルギッシュな生活形態は心と体、ふたつの若さでもって成り立つ。両方若ければ長く深く楽しめる。
仕事を終えたらヤマモモの木で懸垂する。常に前屈みの百姓仕事は腰が曲がる。その腰を伸ばす役目もこの懸垂は兼ねている。
『田舎暮らしに殺されない法』フィジカルはメンタルを後押しする。
「田暮らし」という今アナタが向けている意識の世界、この老人は10歳の頃からそこに向かってきた。現在も“老朽化せぬ田舎暮らし精神”を維持している。
新年を迎えた今、新たな豊富を抱え、凍り付いた畑にヨッシャと立つ。年末からずっと夏ミカンとデコポンの収穫をやっているが、去年買ったバナナ、丸ごと食べられる甘いレモン、そんな苗木を厳寒から守ろうとしている。
夕刻に布とビニールを巻き、朝ほどいて光に当てる。10本あるから手間も時間もかかる。その苦労が面白い。ふんわり甘い魅力に心ときめかせる……。
誰にもあること。名店のケーキでもラブソングでもテレビに溢れるCMでもなく、知らぬ他国への移住・田舎暮らしは生涯の大項目だ。これにチャレンジするには準備しておくべきことがある。老人がつれづれ書くことは若いアナタの人生チョイスの参考になるはず。
去年、梅、プラム、アンズ、バラ科の果樹は壊滅だった。対して柑橘類はよくできた。糖度も高い。✕印があれば〇印もある。
ニワトリへの憧れから始まった、自然との出会い
10歳の頃ニワトリが飼いたかったが土のない家に育った少年には不可能。せめてもの疑似体験、そこらで掘ったミミズを持って、他人の鳥小屋に行き、鶏たちが喜び騒ぐ姿を眺めていた。
男の子は中学になると野球部が柔道部かバレー部に入る。僕はどれにも入らず放課後は野山を歩き回った。キャベツ畑で青虫を集めて部屋の中で蝶にした。ドショウや蟻を大きな瓶で飼い、タツノオトシゴはたらいで飼った。池で蛙釣りもやった。釣り上げた蛙の脚をもぎ取り茹でて食べた。中3で東京に転校、環境は一変したが自然志向の精神は引き継がれた。
ニワトリの頭の良さを日々実感する。さあ牛乳だぞという僕の声で遠くから一目散。さらに、かなり奥深い場所で仕事している僕をすぐに見つける。
結婚して住むこととなった我孫子市湖北台団地は100棟ある広大な公団住宅で、良く言えば自然豊か、悪く言えばスーパーマーケットが1軒きり、東京方面への国鉄は単線という「ド田舎」だった。休日の朝は手賀沼方向にランニングした。田と畑のありふれた風景が少年時代の自分を思い出させた。
畑をやりたい……。
「畑を売ってください」というチラシを作って新聞に挟み込んだ。素人は農地を買えないということを知らなかった。
しかしチラシを見た農家から、うちの畑を使っていいとの朗報が舞い込み毎週日曜日に通って土に触れた。
若き日の過ちから学んだこと
ソローの理想と現実のギャップ
いつか田舎暮らしをと願うアナタ。
ヘンリー・D・ソロー著『森の生活』を読んだことがあるだろうか。あるいは。まだ読んでいないがその本は知っている、だろうか。
20代終わり、僕は『森の生活に』心を縛られた。今こうして書いている自分の精神の原型はソローの本にある、僕の人生を決定づけたのは森の中で2年余り自給自足で暮らしたヘンリー・ソローかもしれない。
思えばあれも若さゆえの勇み足だった。長野に山を買った。名目は1000坪だが、白樺が生い茂る急斜面。水は山からの湧き水。そこに手製の小屋を建てた。30分歩くと県道。松本方面へのバスに乗って仕事に向かう……。“森の生活”をイメージした。
今なら分かる。
若い勢いだけの行動だったなと。
電気なし、熊が出てもおかしくない山中に妻と就学前の子ふたりを置いて仕事に出て行くなんて……。
山小屋での暮らしは断念。でもいつか田舎暮らしを。ニワトリを飼い、野菜や果物を作って生きるという望みは捨てなかった。
最初の田舎暮らしは33歳、次は39歳。通算45年を僕は土に接しながら暮らしてきた。田舎暮らしというのはほぼ自動的に人体の老化を遅らせ、体力向上に働く。会社で終日パソコンに向かう仕事を1とするなら、「何でも屋」になって生活万般、自助に励む田舎暮らしは10のエネルギーを要する。よって骨や筋肉はおのずと強くなる。されど、それに任せておくと全身のバランスに偏りが生じる。僕が毎朝ラニングし、腹筋や懸垂とともに入念にストレッチをするのは腰や膝や足首の動きを滑らかにしておくためである。
そこでアナタへのアドバイス。田舎暮らしという夢が生じたら物件情報に目を凝らすと同時に運動習慣を定着させること。
また読書。
田舎での新生活を実現した先輩たちが書いたものを数多く読むこと。これを実行しておけば、夢が実現した後に待ち受けている古い家屋の補修だとか、水回りの整備とか、さまざまな肉体労働を乗り切れる。また野菜や果物の栽培、その保存法、ニワトリや山羊の飼育など、不明なことが発生した時、先輩たちが記した記録は役に立つ。
GWを過ぎた頃の風景である。正月の今、僕はまず立春を待ち望む。次は桜の開花。そして緑あふれる五月の空に期待を寄せる。
厳しい自然と共存する
田舎暮らしの試練
僕は今、酒井順子著『老いを読む 老いを書く』を読んでいる。高齢化が進む現在、どのように生きるか、生活費はどうするか、著名な作家たちは晩年をどう生きたか。豊富な資料を背景に老いを論じたものだが、そこに「移住・田舎暮らし」の項目がある。
酒井氏はイントロ部分で1987年創刊の『田舎暮らしの本』についても触れている。もう記憶が薄れかけているが、その創刊時、40歳の僕は編集部の招きで新宿での会合に出た。会議の担当責任者は女性だったと思う。
酒井氏は第一次田舎暮らしブームの具体例として玉村豊雄氏と丸山健二氏を引く。両者の作品を僕は愛読してきたが、若い頃ヨーロッパを放浪した玉村氏は長野に移住、ブドウ栽培を始め、やがて本格的なワイン醸造に進む。『田舎暮らしができる人、できない人』は農業の大変さや経済的な難しさを記した本だ。
一方、芥川賞作家の丸山氏は少しへそ曲がりで孤高の人。『田舎暮らしに殺されない法』というタイトルからもへそ曲がり具合が分かるだろう。
その丸山健二氏の言葉を酒井氏は紹介する。「自然が美しいとは生活環境が厳しいと同義である……」。
僕も思う、そうかもしれないと。
ホテルに1泊2泊しての鑑賞なら美しさを丸ごと自分のものにできる。365日生活するとなれば話は別。折しも新聞・テレビは北国の寒さや豪雪を伝えている。田舎暮らしとは今日も明日もそこで生活することである。長い冬の寒さを薪ストーブでしのぐなら大量の薪を作っておく必要があろう。切断した大木を運ぶのも斧で割るのも骨と筋肉の作業。僕が上に書いた“田舎暮らしは心と体、ふたつの若さで成り立ち、かつ楽しめる”という具体例である。
枯れ木ではあるが、この長さとなれば力とバランス感覚を要する。腕、腰、足。長い人生を支える3要素であろうか。
さらに酒井氏は丸山氏の別な言葉も引く。「移住したはいいが、イメージした通りの田舎暮らしとは異なり、ほとんど無一文状態となってすごすごと都会に帰る人々をたくさん見てきた……」。
いかにもへそ曲がりの丸山氏らしい厳しい表現だが。そこにはボクシングをやり、大型犬とともに野山を駆ける孤高の作家らしき厳格な眼が感じ取れる。僕の推測だが、“すごすごと”都会に帰った人は体力気力が不足していたのでないか。イメージした甘く美しい田舎暮らし、それを支えるだけのフィジカルな基盤が脆弱だったのではないか。フィジカルとメンタルは相互補完する。両者五分五分ではなくフィジカルな強さがメンタルの強さを生み出す。田舎暮らしに失敗した人を「それみたことか」と揶揄する声もあるが、なあに心配無用だ。自然も人間関係も身辺行事も都会と違う土地に移り住めば戸惑うのは当然。それを跳ねのけるのがフィジカル。弱気になりかかった自分の心にカツを入れるのが体力なのだ。
憧れの田舎暮らしを叶えるために
田舎暮らしを夢見たら
畑に出る。日々たくましく働く。ランニングで出会った村人には明るい声で挨拶する。さすれば、おおっ、コイツただの甘い憧れモノ、ひ弱な都会人なんかじゃねえな、オレとどっこいの強さだな……。これでもう立派な村人の一員だ。
日本選手の大リーグ移籍に例えればよく分かる。異国のグラウンドに立つ選手にとってチームメイトとの和、親睦は大切である。
しかし彼らはライバルでもある。彼らと同格の成績を残すか上回るかしないと出場枠には入れない。新しいグラウンド(移住地)に立ち、チームメイト(村人)に、コイツやるじゃないか……。そう思わせることができたらOK、“すごすごと”都会に帰る必要なぞあるはずもない。
田舎暮らしを夢見たらすぐさま日々の運動習慣を定着させよう、骨や筋肉を鍛えておこう。必ず朝の挨拶をしよう。僕のアドバイスはそれゆえである。
1.8×8メートルのトンネルを仕立てて人参をまく。スコップと鍬で深く起こし、ゴロ土は丁寧に手でほぐす。
新しい年の初め、新しい行動を起こす。元日も僕は毎年ふだん通り働く。手始めはビニールトンネルに人参をまき、ジャガイモを植える。キャベツやブロッコリーの苗を部屋の中で作る。電気カーペットを敷く。その上にベビーバスみたいな箱を置く。中にタネを落としたポットを並べ毛布を掛ける。電気を通すのは夕刻から翌朝9時頃まで。庭に運び出して光に当て、3日に1回くらい水やりする。発芽して2センチほどになったら土増しして成長を促す。これでもってキャベツは4月収穫が可能だ。人参、ジャガイモも収穫開始はキャベツとほぼ同じ頃。あれこれの工夫。手間はかなり、でも面白い、飽きることなし。
田舎暮らしとは“美しいが厳しい”自然環境の中で365日、飽きずに楽しく、マイペースで生活すること。経験を積めば多くの食料も自給できる。その豊かな食べ物と少々ハードな日々の労働、それが心と体の若さを約束してくれる。年の初め、理想の物件に出会えるアナタの幸運を祈りたい。