不安で大泣き…産後のうつ状態を乗り越えた、私の体験記
女子力が高めな娘のママで、カメラが大好きなちーママです。私は、産後の体の変化に戸惑い、子どもを愛することができなかった「産後うつ」の時期がありました。今回は、私がネガティブな自分から克服するまでの経験をお伝えします。
予想外の妊娠に夫婦でびっくり!
私たち夫婦は結婚自体が遅く、年齢もお互い35歳を超えていたことから、子どもは「できたらいいね」と、軽い気持ちで毎日を過ごしていました。
新婚旅行を終えた3週間後のある日、生理が来ないことから妊娠検査薬で確認してみることに。チェッカーに現れた陽性の線が「これでもか」と私たちにハッキリと妊娠を主張しているのを見て、夫婦で大騒ぎしたのが37歳の時でした。
当時の私は、自分が妊娠して母親になることを想像していなかったため、嬉しさの中に、「私が母親になれるのだろうか?」という動揺が入り混じっていたのを覚えています。
完璧に描きすぎていた理想の出産
妊娠発覚時に感じた“少しの動揺”をかき消すほどの勢いで、妊娠の洗礼かのように“つわり”が襲ってきました。しかし、症状は軽く、短期間で落ち着いたので、その後は、人生初めてのマタニティライフを満喫。ベビー用品を探したり、マタニティビクスに通ったり、「たまひよ」で気になる情報を収集したり…。
この頃の私は、「絶対、素敵なお母さんになるんだ!」と根拠のない自信で満ち溢れていたのです。怖いもの知らずの初心者なので、理想のお産や育児を頭の中で描き、楽観的に構えていました。
前向きに考えるのは決して悪いことではないと思うのですが、育児の大変さに関する情報収集が足りなかったことを今では反省しています。
さぁ、出産! でも、体も心もボロボロ
実家が遠方ということもあり、産後のことも考え、里帰りで出産に臨みました。予定日よりも一週間程早い出産となり、陣痛の激しい痛みに、早く赤ちゃんに会いたいというより、「早く出てくれ~!」と願っていました。そのため、生まれた時は、感動よりも「やっと終わった」という気持ちが強かったことを覚えています。
産後は、むくみや貧血、高血圧、会陰の痛みなど、さまざまな違和感が私の体を襲いました。疲労困ぱいなのに眠れない日々、安定しない授乳に四苦八苦。
思い描いていた理想のママとはかけ離れた現実に戸惑い、小さな我が子に、愛しい感情が芽生えないまま退院となりました。
私の身体はどうなっていくのだろう? 私の生活はどうなるの? ザワザワとした不安が自分の心に影を落としたのです。
かわいいと思えない! 大泣きの日々からの出口
退院後、小さな命と向き合うほどに自分の神経がすり減り、夜中に授乳しながら、自分が大泣きする毎日でした。上手に授乳ができない私、なかなか眠ってくれない赤ちゃん。思い通りにできない自分に焦り、頭の中は不安ばかりでした。
ある日、そんな様子に気づいた両親が私の話をじっくりと聞いてくれたのです。これまで心に隠していた不安や自分への憤り、ときには悪口まで言う私を決して責めたり否定せずに、ただ黙って話を聞いてくれました。
すると、そのことを機に心が軽くなり、両親の手伝いもあって子育てにほんの少し余裕ができました。
産後1ヶ月の産婦健診で受けたメンタルチェックでは「要観察」の結果が出ました。そして、相談できる窓口や乳児サークルを助産師から紹介してもらいました。誰かに話を聞いてもらうことが、不安や悲しみの中で子育てをしていた自分を変える大きなポイントだったと思います。
そして、出産から3ヶ月後、娘を抱きしめて心から「かわいい」と、ようやく思えるようになりました。
きっと、お産も赤ちゃんも十人十色なのだと思います。思い描いていたようにならないと自分を責めずに、頑張っている自分を褒めてあげることが大切だと感じました。そして誰かに「助けてほしい」と伝える勇気も必要なのではないかと実感しました。人に話を聞いてもらうことで気持ちが軽くなり、人とのつながりもできたのです。今でも、そのつながりは継続中で、よくママ友と育児談義をしています。そして、娘と私の関係ですが…、おかげさまで順風満帆。これでもかと力いっぱい抱きしめて、笑顔で「大好き!」と言い合っています。
[ちーママ*プロフィール]
娘と夫の3人家族。娘の成長記録として一眼レフカメラで撮影する楽しさを知りました。一瞬の表情を逃すまいと、いつでもどこでも娘にファインダーを向けています。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。