槙田紗子&阿久津健太郎[対談]青春の軌跡が描く絆、PASSPO☆から続く音楽と物語「本気でバンドに取り組んでいる姿を見て、アイドルってけっこうガチなんだって思ったし、いい関係が築けたんだと思う」
元PASSPO☆で、現在はバズを生む人気振付師として活躍している槙田紗子がプロデューサーを務めるアイドルグループ・Hey!Mommy!が、結成3周年のタイミングで新曲「DIAMOND JET」を発表する。同曲を手がけたのは、PASSPO☆のサウンドプロデューサーであった阿久津健太郎。いつかは阿久津にHey!Mommy!の楽曲制作をしてもらいたいと考えていた槙田の願いが、ついに実現されたのだ。今回、Pop’n’Rollでは、槙田紗子と阿久津健太郎の対談を全2回にわたってお届けする。前編では、PASSPO☆時代を振り返ってもらった。
編集協力:竹内伸一
今さらながら、ありがとうございます(槙田)
――まずはおふたりの“なれ初め”を教えてください。
阿久津:
“なれ初め”は、PASSPO☆ですね。
槙田:
PASSPO☆のサウンドプロデューサーがあっくんだった……あ、あっくんって呼ばない方がいいのかな。機長(当時はペンネとアラビアータ機長と名乗ってサウンドプロデュースを担当していた)かな。
阿久津:
いや、今さら機長はおかしいよ。もうPASSPO☆は解散しているのに、お前はまだ機長を名乗っているのかって、ほかのメンバーに笑われる(笑)。
槙田:
じゃあ、一応、メディアでの対談なので阿久津さんで(笑)。阿久津さんがPASSPO☆のサウンドプロデューサーという立ち位置で、インディーズの頃からほとんどの楽曲を作ってくださったんです。だから初めて会ったのはまだ15歳でした(笑)。六本木の今はなきmorph-tokyoというライブハウスの楽屋に、イケイケな阿久津さんが入ってきたのを覚えてて(笑)。
阿久津:
あの頃はまだすかしていたからね(笑)。
槙田:
赤いチェックのシャツを着てた(笑)。
阿久津:
どことは言わないけど、当時はあるブランドの服しか着なかったんだよ(笑)。変なこだわりがあったんだよね。
槙田:
すごいイケイケな感じだし、音楽を作っている人だし、しかもイケメンなので、私たちは“めっちゃカッコいい人来た!”みたいな感じでざわざわしてたんですよ(笑)。
阿久津:
ははは(笑)。こっちは、メンバーはみんなまだ10代だったんで、当然子どもたちだなって思ってた(笑)。話は飛ぶけど、最初の頃のレコーディングの時、スタジオのロビーがめちゃくちゃうるさくて。でも、歌を録るブースに入ると、みんなこじんまりしちゃって、もう蚊みたいな声しか出さなかった(笑)。
槙田:
はははは(笑)。
阿久津:
自分もアイドルって初めてだったので、“こんなに歌わないんだ”っていうのがすごく印象に残ってる。
槙田:
でも、ホントに酷かったと思います(笑)。
阿久津:
歌えないんじゃないんだよね。歌わないの。声を張るのがまだ恥ずかしいっていう感じだった。だから、PASSPO☆は10年くらい続きましたけど、最初はそんなに長続きする気はしなかった(笑)。楽屋の雰囲気も何だか部活みたいで。
槙田:
そんな感じでしたね。いや、部活以下でしたよ。マック行ってプリ撮ってからライブに行ってましたから(笑)。
阿久津:
今みたいにグループがスタートしてすぐにライブをやりまくって、イベント出まくってって感じじゃなかったからね。そもそもイベントがなかったから。その当時は、自分がバンドをやっていた頃にツアーで回っていたライブハウスに声をかけてライブをやらせてもらったり、フリーライブだったらイオンとかに連絡してやらせてもらったりしてた。俺、“PASSPO☆を出してください”ってブッキングもしていましたから。
――そういうこともしていたんですか!?
阿久津:
当時は自分もアーティストとして所属していた事務所を辞めたばかりだったんです。いわゆる作家だけでやっていけるのか全然わからない状況で。その時にたまたま知り合った人が、男の子のバンドを作るって言ってて、そのバンドのサウンドプロデューサー兼マネージャーみたいなことをやるようになったんです。それで昔お世話になったライブハウスに連絡したりしていたんですよ。
槙田:
ブッキングをしてもらっていたのは知らなかったです。今さらながら、ありがとうございます(笑)。当時はクラブっぽいライブハウスでライブをすることが多かったかも。
阿久津:
それに、当時そんなに忙しかった記憶もなくて。特に制作側としては。思い起こすと、PASSPO☆は最初に作った2曲くらいで1年間過ごしているんだよね。
槙田:
ああ~! そうでした!
阿久津:
今みたいに最初から何曲もレパートリーがあるっていう環境じゃなかった。そんな中で、すごい頑張っていたなって思いますね。
槙田:
でもね、比較対象がいなかったから、それが普通だと思ってましたよ。
阿久津:
はははは(笑)。
メンバーといろいろ話すようになったのは、バンドを始めてからだったのかも(阿久津)
――特に印象的だった出来事はありますか?
阿久津:
自分がPASSPO☆と深く関わるようになったのって、メジャーデビューしてからなんです。それまでは楽曲を作っていましたけど、どっちかというと、男の子のバンドについていることが多くて。
槙田:
確かに、たまにしか会えない人っていう感じでした。
阿久津:
インディーズの頃は、現場のことはもうお任せで、曲だけ作るみたいな関係だったんで、初期の頃はメンバーとはあんまり話していないと思いますね。
槙田:
ライブを生バンドでやるってことになって、The Ground Crewっていうバックバンドと一緒にライブをやらせていただくようになったんですけど、そこからすごく密になりましたよね。
阿久津:
今でもよく覚えていることがあるんだけど、さっきも言ったように、全部が試行錯誤だったので、いわゆる特典会っていうものをやったことがなかったんですよ。自分は事務所を辞めたばかりで、別に前の事務所から何かを言われたわけではなかったんですけど、辞めてすぐに阿久津健太郎としてバリバリやるのもなって、前の事務所にちょっと申し訳ない気持ちもあったんです。だからペンネとアラビアータ機長っていう変名にして。だから初期の頃は、PASSPO☆のファンの方に身バレしてなかったんです。それで特典会をやるようになった時に、普通に写メとか撮っていました(笑)。列の並びとかも自分が整理していました。
槙田:
懐かしい!
――PASSPO☆はロックサウンドでしたけど、当時そういうアイドルグループってあまりいなかったですよね。あえてそこで勝負しようと思ったのは何か理由があるんですか?
阿久津:
もともとロックが得意だったんです。逆に言うと、その後にはprediaとかでダンスものとかもやるようになって、今はいろいろな曲を作っていますけど、自分がアーティストとしてやっていた時は、もうほとんどロックサウンドしか作っていなかったんです。だから、PASSPO☆をそういう方向でやりたいっていう狙いがあったわけではなくて。
槙田:
メンバー全員ギターをもらいました! めっちゃ覚えてます! 私は黄色いちっちゃなギターをもらいました。アンプを繋げなくても電池入れたら音が出るヤツ。
阿久津:
“全員、ギターなの?”って思ったよ(笑)。
槙田:
はははは(笑)。でも、それこそ、そのあとに本当にバンドをやることになって、私はギターだったんで、阿久津さんにめっちゃ教えてもらったんです。で、なんで私がギターにしたかっていうと、ボーカルの次に目立てると思ったから(笑)。バンドってボーカルの次にギターが人気じゃないですか。
阿久津:
そうなんだ(笑)。
槙田:
そんなイメージがあったんですよ(笑)。ボーカルはちょっと苦手意識もあって自分はできないなって思ってて。もりし(森詩織)とかあいぽん(根岸愛)とか、メインボーカルの子が絶対やるだろうなって。
――阿久津さんから見て、当時の槙田さんはどうでした?
阿久津:
頑張っていましたよ。いわゆるバッキングをなおみんがやってくれて、リード的なところを紗子にやってもらって。リードって最初は難しいじゃないですか。だから頑張ってやっていたと思いますよ。
槙田:
もう毎日「WANTED!!」のイントロを弾いてました。今でもあそこなら弾けるかもしれない(笑)。その時は、The Ground Crewのみなさんが、パートごとに教えてくれたんですよね。けっこう練習に付き合ってもらいましたね。
阿久津:
メンバーといろいろ話すようになったのは、ある意味、バンドを始めてからだったのかも。それまではレコーディングスタジオでは話すけど、それ以外で密になって話すことはあんまりなったかもしれないね。
バンドを勉強し始めてから、ライブがすごくなった(槙田紗子)
――ギタリストとしての槙田さんについては、どう見ていましたか?
槙田:
ギタリストなんて名乗れるレベルじゃなかったですよ(笑)。
阿久津:
だったら俺もギタリストではないよ(笑)。別にギターをメインでやっているわけじゃないので。でもね、もったいないと言ったらあれですけど、みんなすごい頑張っていたんです、紗子に限らず。
槙田:
映像を見返すと“うわぁ~! ヘタ!”って思いますよ。もう聴いてられない(笑)。
阿久津:
だから続けていれば、もっとウマくなったんだって。
槙田:
ギター、もうまったく触ってない(笑)。でも、当時はESP(日本の楽器メーカー)さんがギターを貸してくださったりとか、そもそもThe Ground Crewのみなさんがめちゃめちゃ豪華なメンツじゃないですか。そんな人たちにサポートしていただけて、環境はすごくよかったんですよね。だから、もうやらざるを得ないという感じでした。
阿久津:
初披露するのがZeppだったりして、そんな環境、なかなかないですよね。
槙田:
逃げられないみたいな感じでした。でも、誰もやりたくないとは思ってなかったので、頑張れたんでしょうね。対バンライブとか撮影とか、ギターを背負って行っていました。傍から見たらガールズバンドの子たちなのかな?っていう感じで歩いていましたね。
――バンドをやったことで、アイドルとしてのパフォーマンスに影響はありましたか?
槙田:
ありました!
阿久津:
普段はセトリを考えたりはしていなくて、すべてお任せしていたんですけど、バンドって楽器の持ち替えとかあるし、曲調の流れとかあるじゃないですか。だからThe Ground Crewが入る時と、PASSPO☆がバンドでやる時のセトリは自分も入って作っていましたね。バンドにはバンドっぽい演出があるので、そういうのは振り付けとは違うから、そこで曲の雰囲気はどうしようかとか繋ぎはどうしようかって、紗子とかに相談するようになったんです。その時に、この子はちょっと演出のセンスがあるなって思いました。
槙田:
嬉しい! でも確かにそうですね。私は昔のこと、ホントに忘れちゃうタイプなんですけど、話を聞いていて思い出してきました(笑)。自分たちでバンドをやることになってから、みんなでいろいろなバンドのライブを観に行くようになったんですよ。やっぱりまだみんな若かったし、アイドルじゃないライブっていうだけで、過剰に刺激を受けていましたね。みんな“バンド、カッコいい~!”みたいになっていました(笑)。もうまんまと影響を受けて、“MCの時はここで語り始めて、この曲に繋がるようにウマいこと言って、ここでタイトルコールしようよ”みたいな、それこそバンドっぽいセトリを組んでもらったりとかしている流れで、そういうことを意識するようになりました。もともとノリがお客さんに対して“盛り上がっていくぞ!”みたいな感じのグループだったんですけど、それがより強化された気がします。メジャーデビューして3年くらいまでは“ライブが盛り上がらないな”って悩んだりもしたんですよ。こっちが50の熱量で言ったら、30ぐらいで返ってくるというか、そういう掛け合いみたいなことがウマくできなくて、“なんでこんなに反応が悪いんだろう?”って、そんな話をしたりもしていたんです。だけど、バンドを勉強し始めてから、空気の作り方とかお客さんの乗せ方みたいなことが、なんとなくできるようになってきて、最終的にはけっこうすごかったんですよね。お客さんもカオスっていう感じになって。PASSPO☆のライブでしか感じられない快感を得に来ている人たちみたいな感じでした(笑)。
阿久津:
確かに客層はちょっと変わりましたよね。ロック寄りになったのは感じました。
槙田:
それこそ、メタリカのTシャツ着た人たちがライブに来るようになりました。
――横山さんはUNITEDで、HIMAWARIさんは元SEX MACHINEGUNSのメンバーなので、メタル寄りでしたよね。でも、当時メタル界隈のメンバーでバンドセットをやっているグループって、ほとんどいなかったですよね?
槙田:
いなかったと思います。The Ground Crewは、見た目はガチものの怖い人たちでしたから。あの時にそういう人たちと接していたので、今、そういう人たちに会っても何も思わないです(笑)。そういうは、実は優しいってことを知っているので。
阿久津:
でも、結局本人たちの努力なんですよ。上辺でバンドをやるような子たちだったらたぶん長続きしなかっただろうし、本気で取り組んでいる姿を見て、アイドルってけっこうガチなんだってThe Ground Crewのみんなも感じたと思うんです。だからいい関係が築けたんだと思います。
【インフォメーション】 Hey!Mommy!3周年記念ワンマンライブ<3rd Anniversary Live Hey!Mommy! SUPER JET!! とよすに超ぶーん>
日時:11月28日(木)開場18:00/開演19:00
会場:SHIBUYA DIVE
料金:各チケット + 1ドリンク
◾️チケット券種
[前売]
・自治会(ファンクラブ)前方チケット ¥3,000
・前方チケット ¥3,000
・一般チケット ¥1,000
[当日]
・一般チケット ¥2,000
※12歳未満無料(保護者同伴)
ご本人さまの身分証のご提示をいただく場合がございます。