今も変わらぬ人の温かさ 葉山町一色在住 秋元シズさん
民間不動産会社が発表した「住み続けたい街ランキング」3年連続日本一に輝いた葉山町。この町に100年住み続けている秋元シズさん(一色在住)に、今と昔で暮らしぶりは変わったのか、葉山の魅力とは何なのかを聞いてみた。
秋元さんは1925年1月20日生まれで、まもなく100歳の誕生日を迎える。漁師の家に6人きょうだいの長女として生まれた。
当時は高等女学校などに進学する児童はクラスに何人もおらず「勉強しなさい」と言われるようなこともあまりなく、「空き地でよく『天神様』などして遊んでいた」と懐かしむ。運動は嫌いだったが泳ぐのは好きで、夏休みなどは毎日海に通い、背中の皮がむけるくらいに日焼けしていたという。弟の鈴木繁實さん(81)は、「昭和天皇が葉山の御用邸に来られて海洋生物の研究で海に出ているときに、子どもたちが泳いでいると、遠くから帽子をとってあいさつをしてくれた」と当時を振り返る。
葉山小学校の遠足は1年が森戸海岸、2年が逗子海岸、3年は神武寺、4年は追浜の飛行場、5年は鎌倉、6年が東京見物だったと抜群の記憶力を発揮。丁度国会議事堂を建設中で、今でもテレビで国会議事堂を見ると当時を思い出すという。
秋元さんに葉山の好きなところを尋ねると、「海と山、今日も富士山と江の島、大島も見えた。この景色がやっぱり好き」と語った。「昔、親類に頼まれて埼玉とかに手伝いに行ったことがあったけど、やっぱり私は海のないところは嫌だった」とも。
「昭和一桁の時代から突然今の時代にやってきたら魔法の国に来たと思うわね」と。当時は電話は商店か役所か大きな別荘とかにしかなかった。今は風呂はスイッチを押せば丁度よく入れるけど、昔は井戸から水を汲んできて風呂桶に入れ、山から薪を持ってきて燃やしていたと暮らしぶりの変化を話す。
変らないところは「人が穏やかで人情深いところ」と語る。近所では土地の生え抜きの家はもう3、4軒くらいだが、新しく越してくる人も穏やかでいい人が多いと実感している。
そんな秋元さん、10年ほど前から俳句を趣味としている。
NHK俳句に投書して、「直すところなし」と褒められたという自信の1句を紹介。「カンナ燃ゆネアンデルタールの血を少し」