最初は恥ずかしかった「一人カラオケ」。懐かしい曲を歌ううち、忙しい日々に欠かせない気分転換になった
忙しい日々の中で「自分の時間を持つこと」や「趣味を楽しむこと」はなかなか難しいものです。
文筆家の土門蘭さんも、仕事や男児2人の子育てに追われ続けて、自分がやりたいことを思いつかないほど消耗していたそう。そんな中、あるきっかけで「一人カラオケ」を始め、最初は恥ずかしい気持ちがあったものの、今ではいい気分転換になっているといいます。
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今年の初め、大きな仕事が入った。
ものを作ったり、人前で話したり、チームで動いたり、事務作業をしたりと、頭をフル回転させるプロジェクトだった。
とてもいい結果に終わってホッとしたのだが、その翌日からうまく眠れなくなってしまった。それをきっかけに、ガクンと心身の不調が起きた。
多分、がんばり過ぎたのだと思う。慣れない業務が多い中で緊張状態が続いたのか、プロジェクトが終わっても、その緊張をうまく緩めることができなかった。
疲れているのに眠れない。うとうとしてもすぐ目が覚める。頭の中で、ずっと考え事がぐるぐる回っている。
真っ暗な部屋の中、ベッドに仰向けになったまま「眠るって、どうやるんだっけ?」と困惑した。
忙しさから離れて「一人カラオケ」に行ってみることに
💡POINT
•忙しくて休めていないときは、自分が純粋に「やりたい」と思うことを考えてみる
•やりたいことが思いつかないなら「子どもの頃に好きだったこと」をするのがおすすめ
私はここ5年ほど、2週間に1度の頻度でオンラインカウンセリングを受けている。
この時もちょうどカウンセリングの予約を入れていたので、セッション中に、最近うまく眠れていないことを話した。最近忙しかったこと、その緊張がなかなか取れないこと……。
そんな話をするとカウンセラーさんに「一日の中で、休む時間はありますか?」と尋ねられた。
「休む」
あらためて考えてみると、最近忙しくなってからは特に、ずっと何かしら働いている。日中は仕事があるし、それ以外の朝と夜は家事と育児があるし。
ちょっとでも時間ができると「メール返さなきゃ」「生協の注文をしなきゃ」「布団のシーツを洗わなきゃ」などと、明日やればいいことを今日やろうとしてしまう。
だって、明日は明日でやることが湧いてくるから、少しでも先に進めておかなければ。ここ最近は特にそんな感じだった。
「今土門さんは『〜すべき』という理性が優位になっているんでしょうね。一方で『〜したい』という感情が後回しにされている。まずは仕事や子育てなどに関係なく、純粋に『〜したい』と思うことをやってみてはいかがでしょう。それが『休む』につながるかもしれませんよ」
そう言われてちょっと考えてみたが、自分が今したいことが全然思い浮かばなかった。
「あの本を読みたい」「あの展示を観たい」と思いついても、そのどれもが仕事に絡んでいることばかりだ。私が純粋にしたいことって、何だろう?
「自分が何をしたいのか、ちょっと分からないですね……」
そう言いながら、情けない気持ちになった。一番自分のことを理解すべきなのは自分なのに、何も分かっていない。感情を無視して自分を働かせ過ぎたことに、申し訳なくなった。
「そういう時のおすすめは、子どもの頃に好きだったことをやることです。子どもの頃、何が好きでしたか? あるいは、将来なりたかったものとか。」
私は「うーん」と唸りながら、子どもの頃を思い出す。
「マンガを読むのが好きでした。あと、時々自分でノートにマンガを描いてもいましたね。あとは、歌謡曲の番組を見るのも好きで……歌を歌うのも好きでした」
「歌、いいじゃないですか。例えば一人でカラオケに行ってみるとか、どうですか?私は週一くらいでやっているんですが、楽しいですよ」
カラオケなら、うちから10分ほど自転車で走ったところに一軒ある。若い頃は飲み会の後など、たまに友人と歌いに行っていたが、そういえば最近はほとんど行っていないし、一人カラオケもしたことがない。
一人カラオケかぁ、と思いながら予定を見てみると、さっそく今日、夕方に1時間くらい時間を作れそうだった。そう思うと、なんだかワクワクしてきた。こんな気持ちになるのは、本当に久しぶりだった。
椎名林檎にaiko。あの頃の曲たちを歌いながら、好きなものを愛でる楽しさを思い出した
💡POINT
•一人カラオケの魅力は、他の人を気にせず、自分の思うままに選曲して歌えること
•昔好きだった曲たちをどんどん歌ううち、若返るような気持ちに
夕方、一人でカラオケボックスへ向かった。
インターネットで調べたところ、予約ができるとのことだったので、1時間のプランで予約してから出かけた。
恐る恐る扉を開け、入り口の端末で慣れない操作をしながら受付を済ませた。部屋に入る前にドリンクバーでメロンソーダをコップに注いでいると、他の部屋から歌声が聴こえる。「こんなふうに、私の歌声も聴こえちゃうのか……」とドキドキしながら、指定された部屋に入った。
一人で来るのは初めてなので、なんだか心細い。とりあえずソファに座り、メロンソーダを一口飲んで、リモコンを手に取った。
「何を歌おうかな……」
独り言を言いながら、自分が歌える曲を思い出す。とりあえず、昔いつもカラオケで歌っていた、椎名林檎の『幸福論』を入れた。
大きな音で曲が始まり、体がビクッとした。テレビ画面に歌詞が浮かび上がり、緊張しながら第一声を出す。
すると、自分の声が部屋に大きく響いて恥ずかしくなった。だけど、始まったからにはちゃんと歌わねば。ギュッとマイクを握りながら、一生懸命歌った。
まず、歌が難しいことにびっくりした。リズムをうまく取れないし、声が思うように出ない。高い音になるとお手上げだ。
こんなに歌って難しかったっけ? そう思いながら、声が出やすいように立ち上がり、リズムを取るために体を揺らした。
するとだんだん楽しくなってきて、一曲目はあっという間に終わった。私はすぐ、リモコンを手に取り二曲目を何にするか考えた。
「えー、何を歌おう!」
独り言の声が、もう楽しそうになっている。
誰かと一緒に来ていたら、みんなが盛り上がる曲を入れないと、などいろいろ考えてしまうのだけど、今日は一人なので自由に歌える。
私は何が歌えるっけ、10代の頃どんな曲が好きだったっけ……あっ、あれにしよう! 次はaikoの『桜の時』にした。
そんなふうにして、1時間はあっという間に過ぎていった。
鬼束ちひろ、DREAMS COME TRUE、竹内まりや、宇多田ヒカル、松田聖子、テレサ・テン……時代なんて関係なく、歌える歌をどんどん歌っていく。
何度も繰り返し聞いたCD、母親が好きだった曲、夢中になっていたテレビドラマの主題歌。歌うたびに記憶がよみがえり、それもまた心地よかった。
ああ、あの頃は本当に自由に、好きなものを好きだと言って愛でていた。私は大人になるうちに、その喜びを後回しにしてしまっていたんだなと思った。
カラオケボックスを出ると、そこにはいつも通りの風景が広がっていた。
よく買い物に行くドラッグストアやコンビニ、子どもが好きなファミリーレストラン。だけど、私の心は確実に変化していた。子どもの頃のワクワクがよみがえり、なんだか少し若返っているような気がするほどに。
「ああ、楽しかった」
私はまた独り言をつぶやき、鼻歌を歌いながら自転車に乗った。その日の夜は、久々によく眠れた。
「自分のため」だけに歌う時間を持つようになって、ご機嫌な時間が増えた
💡POINT
•一人カラオケを始めて、歌が気分転換になることや、歌そのものの素晴らしさに気付いた
•一人カラオケに行くことが、仕事を早く終わらせるモチベーションにもなった
それ以来、時々一人でカラオケボックスへ行っている。
仕事終わりに1時間しっかり歌うこともあるし、気分転換に30分だけサッと歌ってまた仕事する、なんてこともある。気軽に楽しめる趣味があるというのは、とてもいいものだ。
カラオケに行き始めて、気が付いたことがたくさんある。
歌は体を思い切り使うスポーツでもあるのだということ。大声を出すとスッキリするということ。歌い終わると、心も体も軽くなっているということ。
そして何より、歌の素晴らしさをより知ることができた。今までは聴いてばかりいたが、自分も声に出して歌ってみることで、歌詞やリズムにより感動するようになったのだ。
「今までぼんやり聴いていたけど、本当はこんなに切ない歌だったんだなぁ」などと、歌いながらつい涙ぐんでしまうこともある。
また、家でもよく歌を歌うようになった。
私は音楽を聴く際にApple Musicを利用していて、そこにカラオケ機能(Apple Music Sing ※1)が付いていることに気が付いたのだ。早速使ってみると、これがまた楽しい。
お気に入りのミュージシャンの新曲なんかは、まずはこちらで歌って練習してみて「今度、カラオケボックスでも歌ってみようかな」と考えるのが、楽しみの一つになっている。
そんな姿を見た息子たちが「お母さん、最近ご機嫌やな」と言った。
確かに今までは、仏頂面であくせく働いてばかりいたから、鼻歌まじりに家事をするようになるなんて大きな変化だろう。
「何かあったん?」と聞かれて「趣味が増えたのよ」と答える。
「趣味って何?」
「一人カラオケ」
誰のためでも、何のためでもない。ただ自分のためだけに、好きな歌を歌う。その喜びを思い出させてくれたのは、自分が子どもの頃好きだったものたちだった。
「よし、今日は仕事を早く終わらせてカラオケに行こう」
そう決めると、とたんに私の中の子どもの部分が喜び始める。ああ、休むってこういうことだったんだ。役割なんて関係なく、純粋に好きなことをするってことだったんだ。その威力はすさまじい。
だってあんなに疲れていたはずの自分が、楽しみな予定を立てるだけで、すでに生き返っている気がする。
「今日は何を歌う?」
「今日は何して遊ぶ?」
私は子どもの頃の自分に声をかける。そんなふうに、これからも自分を喜ばせる方法を増やしていきたい。
(※1)Apple Musicのカラオケ機能。追加料金なしで楽曲のボーカル音量を調整できるほか、歌詞が音節ごとにハイライトされ、リズムに合わせてスクロールする。
Apple Music Sing
編集:はてな編集部
著者:土門蘭
作家・ライターとして働きながら、会社員の夫と一緒に中学2年生の長男(13歳)、小学3年生の次男(8歳)を育てる。
著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』(京都文鳥社)、インタビュー集『経営者の孤独。』(ポプラ社)、小説『戦争と五人の女』(京都文鳥社)、エッセイ集『死ぬまで生きる日記』(生きのびるブックス)などがある。