【倉敷市】坂本織物有限会社 ~ 世界でもっとも細い織物「真田紐」の伝統を継承していく、児島で唯一の真田紐づくり
繊維のまちとして、国内外からファッションやハンドメイドのファンが集まる児島。
デニムや学生服、畳縁(たたみべり)など、多種多様な繊維製品が盛んに作り出されています。
なかでも「真田紐」は、児島の繊維製品でもっとも古い歴史を持つ織物です。しかし、一時は職人がほとんどいなくなり、児島での生産者がごくわずかという状況が続いていました。
そのような貴重な真田紐を継承しようと、2011年から製造を始めたのが坂本織物有限会社(以下、「坂本織物」と記載)です。
現在、児島で真田紐を作っているのは坂本織物だけです。なぜ真田紐を継承し、どのように受け継いでいくのか、その想いを取材しました。
「真田紐」とは
真田紐は、縦糸と横糸から作られる日本の伝統的な織物です。
幅は約3mmから12mmほどで、「世界でもっとも細い織物」とも呼ばれています。
歴史は古く、「戦国武将の真田幸村(さなだゆ きむら)が考案したことから真田紐と名付けられた」という説が伝えられていますが、真田紐の歴史にはいまだに謎が多いそうです。
真田紐の最大の特長は、重いものを吊り下げても伸びないほどの丈夫さです。荷紐や着物の帯締めなど、庶民の暮らしのなかで幅広く使われていました。
また、その頑丈さから、かつては武士の甲冑(かっちゅう)をつなぐための防具や、刀の下げ紐、滑り止めとしても使われていました。誰の刀かを見分けるための目印として、家紋の代わりに真田紐が巻かれることもあったそうです。
児島における真田紐
真田紐が児島に伝わった経緯については明確な記録がありませんが、児島青年会議所が制作した資料には、1789年に田之口村で初めて真田紐が作られたという記録が残っています。
江戸時代半ば、岡山の由加山と香川の金毘羅山の両参りをする参拝客のお土産品として、真田紐は人気を得ました。由加大権現へ向かう道中には庄屋が立ち並び、美しい真田紐がずらりと飾られていたそうです。真田紐で彩られた由加参道は、さぞ賑やかだったことでしょう。
旅人の間で「児島の真田紐は、美しくて安く、丈夫だ」と評判になり、全国的にも有名になりました。
この真田紐の功績が、児島が繊維のまちとして発展する基盤を作ったということで、由加山には真田幸村を称える頌徳碑(しょうとくひ)が設置されています。
江戸時代から児島で盛んに作られていた真田紐でしたが、時代の変化によって生業(なりわい)として続けることが難しくなり、しだいに織る人は減っていきました。2025年現在、織っているのは「坂本織物」だけです。
真田紐は、倉敷市の日本遺産構成文化財にも認定されており、坂本織物が真田紐の伝統文化を守り続けています。
坂本織物有限会社について
坂本織物は児島の唐琴にある織物会社です。
真田紐を中心に、細幅織物の製造や商品の企画・開発をおこなっています。
もともと坂本織物では真田紐を作っておらず、手芸用の紐やシートベルトなどの細幅織物を作っていました。しかし、専務取締役の坂本早苗(さかもと さなえ)さんの手によって、2011年から真田紐の生産が始まりました。
現在は坂本織物を代表する織物として、真田紐の魅力を伝えるさまざまなアイテムを製造しています。
坂本さんは「真田紐を織れることになったのは、数々のタイミングが重なったから」と語ります。
国内の繊維業が衰退してくなかで、「児島でしか作れないものを作りたい」と考えていた坂本さん。その後、真田紐に出会い、その魅力に感動して、真田紐を織りたいと思うようになります。
そのような時期に、坂本さんの師匠である石原浩一(いしはら こういち)さんが、地元で唯一の真田紐職人だったことが判明。石原さんから真田紐を継承することになりました。
「石原さんは、真田紐を残したいけれど後継者がいない。私は真田紐を織りたい。そんな奇跡的なご縁があって、数少ない貴重な力織機(りきしょっき)を譲っていただきました」と、坂本さんは振り返ります。
真田紐を織るのに欠かせない力織機は10台を譲り受け、真田紐用に改造・改良を重ねたそうです。
細い織物のなかで表現される繊細な柄や色合い。そして、昔ながらの力織機だからこそ生まれる完璧すぎない揺らぎは、唯一無二の美しさだと思います。
伝統的な真田紐を織るまでに、どのような背景や想いがあったのか、専務取締役の坂本早苗さんに話を聞きました。
坂本早苗さんに真田紐への想いをインタビュー
坂本織物有限会社 専務取締役の坂本早苗(さかもと さなえ)さんに、真田紐への想いについて話を聞きました。
──真田紐を織ることになったきっかけについて教えてください。
坂本(敬称略)──
「ここで途絶えたら真田紐が本当に消えてしまう」と思ったのが一番のきっかけでした。
私の父の代が織っていたのは、シートベルトや手芸用の紐といった細幅織物です。しかし、時代が進むにつれて繊維製品は海外生産が増えて、当時は弊社も厳しい状況になりました。困っている父を間近で見ていたこともあり、「児島でしか作れないものを作りたい」と強く思うようになりました。
その後、京都で真田紐に初めて出会って、その美しさに衝撃を受けました。当時はまだ真田紐が児島の特産品だとは知らず、後から郷土史で児島の真田紐の歴史を知ってびっくりしたんです。しかし、地域の歴史の起点でもある真田紐は、すでに消えかかっていました。
真田紐を織りたいと思っていたタイミングでわかったのが、私の師匠だった石原浩一(いしはら こういち)さんが、真田紐の職人だったということです。
石原さんから織りかたと力織機を引き継がせていただいて、坂本織物で真田紐を織れるようになりました。
──坂本さんが引き継いでいなければ、真田紐はもう児島になかったかもしれないのですね。
坂本──
ぎりぎりの状況だったと思います。力織機を引き継いでから、販売できる真田紐を織れるようになるまで、半年ほどかかりました。力織機自体が古いので、調子を見ながら機械を扱えるようになるまではかなり苦労しましたね。
仕事として成り立つかどうかも不安でしたし、本当にやりたいという強い気持ちがなければ、続けられなかっただろうなと思います。
真田紐そのものはもちろん、織りかたや力織機、歴史背景を含めて、地域が残してきた財産だと思うので、途絶えないように頑張っていきたいと思います。
──よく見かける組紐と、真田紐の違いはなんでしょうか。
坂本──
一番違うのは製法です。
組紐は斜めに編んで作られていますが、真田紐は織物なので、縦糸と横糸を直角に織って作られます。なので、組紐には伸縮性があり、真田紐はまったく伸びない丈夫な作りになっているんです。
──坂本さんが考える真田紐の魅力は何ですか?
坂本──
いろいろと思い浮かぶのですが、やはり一番は、真田紐が倉敷の歴史に紐づく存在であり続けていることです。真田紐は、児島が繊維のまちになったきっかけでもあるので、このまちには欠かせない繊維製品だと思います。地域の歴史を振り返ると、必ず真田紐の存在があるんですよね。
また、昔ながらの力織機だからこそ生まれる、不ぞろいさも魅力です。最新の機械を使えばとてもきれいに織れると思うのですが、この不ぞろいさが揺らぎとなって、真田紐ならではの味わいが生まれるのだと思います。
以前、フランスのルーブル美術館の近くにあるショップで、真田紐を委託販売していただいたことがあります。その時に購入してくださった海外のかたが「この紐だけで日本の和の心を感じる」とおっしゃってくださって……国境を越えても、そのように感じてくださることが非常にうれしかったです。本当に日本でしか作れないものだと強く実感した出来事でした。
──非常に細い織物なので、色や柄を組み合わせて表現するのが難しいと思うのですが、どのように考えているのですか?
坂本──
私が以前住んでいた京都の景色があまりにも美しく、五感で感じた美しさを表現したいと思うようになりました。色の組み合わせなどは非常にこだわっていますよ。
また、人の想いを表現したデザインもあります。
たとえば、ジュエリー会社様からのご依頼では「絆のようにつないでいくようすを表現したい」というご要望があり、真田紐の伝統的な柄である線路柄を使用しました。線路柄がチェーンのように見えるので、それで絆を表現しようと思ったんです。
非常に細い紐という限られた条件のなかで、印象に残った思い出や、忘れられない美しい景色、人の想いなど、さまざまなものを表現できるのが楽しいです。
──真田紐を継承するうえで悩んだことは?
坂本──
坂本織物の真田紐はカラフルで、若い女性にも人気のあるかわいらしいデザインも織っていますが、実はそれはかなりの挑戦でした。これまでの真田紐は、渋い色合いのものが主流だったので……。
私たちが真田紐を継承していくためには、商売と掛け合わせていく必要がありますが、伝統的な真田紐を変えることには不安がありました。しかし、お客様から「色はこれだけですか?」と言われることがあり、思い切って赤やピンクなどの色でも織ってみたんです。
当時は「誰かに怒られるかも」と思いましたが、多くのかたが手に取りやすいものにすれば、結果的に真田紐の文化を守り続けられると考えました。
私の代で終わってしまっては意味がないので、会社として利益が得られるものに育てつつ、伝統技術を継承していく方法も同時に考えないといけないですね。
大変そうに思われるかもしれませんが、それを考えるのが楽しいんです。私は真田紐が大好きですから。
──坂本織物で使われている力織機は貴重なものだと思いますが、メンテナンスなどの管理も大変なのではないでしょうか
坂本──
そうですね。現在でも稼働している力織機は珍しいらしく、豊田自動織機の社員さんが見学に来られたこともありました。
児島の唐琴には、今でも力織機をメンテナンスしてくださる職人さんがひとりだけいらっしゃいます。そのかたは昔、力織機を製造されていたそうで、力織機の不具合を連絡すると、すぐに電話越しに「そこの爪を引っ張ってみて」とアドバイスをくださるんです。
ただその職人さんもご高齢で、「いつまでこの仕事ができるかわからないから、もし修理する機械があれば早めに言ってほしい」と言われました。真田紐だけでなく、力織機をメンテナンスする職人の後継者も不足しているのだなと実感しています。
──坂本織物の真田紐の特長はありますか?
坂本──
一番の強みは、小ロットからオーダーメイドの真田紐を作れることです。
これは坂本織物の力織機だからこそできることで、1mという短い長さから織れるように力織機を改造しています。
真田紐を引き継ぐ際、私自身が女性ということもあって、「自分だけの柄の真田紐を作れる」という価値は女性にとってニーズがあるのではないかと考えました。同じ柄を大量生産するほうがもちろん効率が良いんですけど、小ロットで多種多様な柄が織れるほうがより多くのかたに真田紐をお届けできると思いました。
現在はありがたいことに、企業だけでなく、作家さんやデザイナーさんからもご依頼をいただいております。
──今後の展望について教えてください。
坂本──
県外・海外のかたに向けて、真田紐の存在をしっかりとPRしていきたいです。
将来的には、海外のかたにも使っていただけるような真田紐のアイテムを作りたいと思っています。既存のアイテムで喜んでいただけることもありますが、もうひと頑張りしたいなというところです。
より多くのかたに真田紐をお届けできるように、私自身はもちろん、後継者である息子も一緒に頑張りたいと思います。
おわりに
坂本さんから熱い想いを聞き、作り手が一番のファンであることを実感した取材でした。取材後、私も真田紐をより好きになったように感じます。
真田紐を第一に考えているからこそ、坂本織物は伝統を大切にしながら、新たなアイテムづくりに挑戦できるのだと思いました。
伝統的なプロダクトを残すためには、作り手側が長く活動できるように、商売としても成立させていかなければなりません。その渦中で生まれる葛藤も、好きだからこそ乗り越えられるのだと思いました。
今後も坂本織物が作る真田紐を応援するべく、真田紐を見かけたら手に取ってみたいと思います。