本上まなみ「『助けて』『できない』が言えない子どもだった」
著名人の子どもだったころを振り返る大人気連載「わたしが子どもだったころ」が復活! Season2の第1弾はすみっコぐらしナレーションでもお馴染みの本上まなみさんが登場です。本上さんの子ども時代、芸能界に入ったきっかけ、子育てにおいて大切にしていることなど必見です。
【▶画像】わたしが子どもだったころSeason2:Vol1.本上まなみさん「あの人は、子どものころ、どんな子どもだったんだろう」
「この人の親って、どんな人なんだろう」
「この人は、どんなふうに育ってきたんだろう」
今現在、活躍する著名人たちの、自身の幼少期~子ども時代の思い出や、子ども時代に印象に残っていること、そして、幼少期に「育児された側」として親へはどんな思いを持っていたのか、ひとかどの人物の親とは、いったいどんな存在なのか……。
そんな著名人の子ども時代や、親との関わり方、育ち方などを思い出とともにインタビューする連載です。
今回は、女優、エッセイスト、コメンテーターとして幅広く活躍されている本上まなみさん。2025年10月31日(金)より公開の『映画 すみっコぐらし 空の王国とふたりのコ』の優しく温かいナレーションも話題です!
毎夏の祖母の家での経験が私のルーツ
私の子ども時代といえば、普段は両親と妹の4人で大阪で暮らしていたんですけど、夏になるといつも、母の祖父母がいる山形の庄内に子どもたちだけ送り込まれていたんです。そこにいとこたちが総勢14人集まって、団子みたいにかたまって過ごして。とにかく毎夏の体験が強烈で、その思い出が積み重なって、私の人格も形成されていったという感じです。
山形では、合宿のような生活をしていますから、朝ご飯は毎朝取り合い。それで何とかお腹を満たしたら、昼は毎日海や山に連れていってもらって。祖父母の家は商売をしていて、子どもたちがいると邪魔になるので、そうやって自然の中に放牧されていたわけです(笑)。そこで散々遊んで駆けずり回って、疲れ果てて、帰ったらごはんをガツガツ食べてコテンと寝る。そんな野生児のような生活があまりに楽しかったので、正直言うと、日常の学校生活のほうはあまり記憶にないんですよね。
おかげで山形の親戚とはいまだに結束が強くて。今年も仙台にいるおじ、おばを訪ねたのですが、それをいとこたちが聞きつけて、みんな集結。総勢15人で岩手の中尊寺金色堂や、日本三景の一つである松島を訪れて、とても楽しかったです。
親戚の中では最年長。わりと聞き分けのいい子でした
私はその夏の生活で、ケンカも、みんなで力を合わせて何かをやることも、全部学びました。家の掃除も命じられますから、それこそ一休さんの世界みたいに、みんなで一斉にダーッとぞうきんがけをしたり。
遊びも、おこづかいをたくさんもらえるような環境でもありませんでしたから、毎日、あるもので工夫して楽しんでいました。木切れや段ボールを集めて何かを作ったり、魚を捕まえたり貝を拾い集めたり。本当にみんなキャラクターが違っていて、そのバラバラの子たちがいつも固まって仲良くゴソゴソ動いていた。今、私は『映画 すみっコぐらし』のナレーションを務めさせてもらっているんですけど、まさに山形での私たちはすみっコそっくりでしたね。
そのいとこたちの中で、私は一番年上だったんです。だから一応「自分がリーダーだ」と思っていたら、だんだん下の子たちがしっかりしてきて。「ああ、そんな意見もあるんだな」などと尊重しながら、時にみんなをまとめたり、悪さをしないよう監視したり、小さい子の面倒も見たり。大人にとっては、わりと聞き分けのいい子だったんじゃないかと思います。
一方で、私はおばあちゃん子でもあったので、祖母のお手伝いもよくしていました。一緒にご飯を作ることも多かったんですけど、実家では見たことがないような大きいすり鉢でごまを擦ったり、大鍋でお味噌汁を作ったり。私が台所仕事が好きになったのは、間違いなく祖母の影響だと思います。
日常にも“ハレ”を求めて本を読んでいた
そんなふうに山形での生活があまりにキラキラしていたので、“ハレとケ”と言いますか、日常との差がすごくて。“ケ”の日をどう過ごすか、という壁に直面して、本に冒険やワクワク感を求めていたところもあったと思います。
読書はもともと大好きで。幼稚園が、教室の後ろに絵本がたくさん置かれているというところだったので、いつもそれを読んでいましたね。あとは山形の祖母が遊びに来るたびに、絵本をお土産に持ってきてくれて。自分だけの本というのが嬉しくて嬉しくて、宝物にして何度も読んでいました。
両親はというと、とくに私たちに読書を推奨していたわけではなかったんです。母は保育士の資格を持っていて、子どもと一緒に遊ぶのは天才的に上手かったんですけど、絵本を読むのはそんなに好きでもなかったようで。私がせがむと、よく作り話をしてくれたんですけど、それがワンパターンで……。明らかに気が入っていなくて、つまらなくて、「ならば自分で読むしかない」と読書に励むようになったのです。
釣り、わらび穫り…、正直子どもには面白くなかった(笑)
私の両親はとにかくマイペースでした。父は仕事が忙しくてあまり家にいなかったんですけど、たまに時間があると、私たち姉妹をよく釣りに連れていってくれました。でも、釣りってほとんどの時間は竿を落として魚が食いつくのを待っているだけじゃないですか。父は、その釣れない時間こそが醍醐味だと思っていたようなんですけど、子どもには退屈でしかない。すぐに飽きて、妹とトランプを始めたりしていたのですが、父は楽しそうでしたね。
ただ、釣りのときはよくカップラーメンを買っていって、海を見ながら食べていたんです。普段、カップラーメンを食べさせてもらえることがなかったので、その時間だけは特別な感じがして大好きでした。
一方の母は、私たち姉妹を連れてあちこち遊びに行くのが好きな人でした。でもそれが、わらび穫りとかなんです。子どもにはまったく面白くない遊びですよね。「このかごいっぱいにわらびを穫ってきなさい」と、私たちは山の斜面に放たれて。ズリズリ滑りそうになりながら、必死でわらびを収穫したりしていましたね。
今思うと、私の親は、自分が面白いと思うことを子どもたちにも体験してもらいたかったんでしょうね。実際に楽しかったかどうかは別として、そうやって親が楽しんでいる姿を見られたことは、今になってみるといい環境だったんじゃないかと思います。私は親の仕事内容はよく知らなかったんですけど、たまに親の仕事仲間がウチに来て、宴会を開いていたんです。大人たちはみんなお酒を飲んでガハガハ笑っていて。子ども心に、「大人でもこんなにだらしなくなるんだなあ」と思っていましたね(笑)。
それが嫌だったということは全くなくて。何というか、いい意味で大人の完璧すぎない姿を見せてもらっていたと思います。私の親はそんな感じでしたから、勉強も強いられたことがなくて。一応「やりなさい」とは言うんですけど、言うだけ。厳しく管理したりするようなところは一切ありませんでしたね。程よい放任主義だったので、今振り返ると、自主性を育ててもらえたんじゃないかと思います。
ずっと葛藤しながら続けていた芸能界のお仕事
芸能のお仕事を始めたのは高校1年生のときです。スカウトがきっかけだったのですが、そのときちょうど父親が一緒にいて。私は目立ちたいタイプの子ではなかったし、芸能界なんて意識したこともなかったんですけど、「面白い体験ができそうだしやってみれば?」と父のほうが勧めてきて。「じゃあ……」と始めてみたものの、慣れないことばかりで。ずっと「続くんだろうか?」「私はいつやめてしまうんだろうか?」と思っていたのが本当のところです。
ただ私は、人との出会いに恵まれていたと思います。そんなふうに何のスキルもない私に、モデル、俳優、トーク番組など、皆さん、途切れることなくお仕事を振ってくださって。本当に奇跡だと思っています。
その後、私は、大好きな文章を書くお仕事もさせていただくようになりました。これも、自分を表現するのが下手な私を見かねて、編集者の方が「本上さんは読書が好きだし、文章でなら表現できるんじゃない?」と、雑誌で連載する場を設けてくれたんです。その連載をまとめた、初めての自分の本が出版されたのが24歳のころ。それから四半世紀。その後も何冊もエッセイ本を出版させていただくことができて、今でも「なんで自分はこんなにラッキーなんだろう」という思いでいっぱいです。
『映画 すみっコぐらし』のナレーションに込めた想いとは
ただ、だからこそ苦しい思いもずっと抱えていました。長く、これが本当に自分のやりたいことなのか分からない、スキルもない、という状態で歩き続けていたので、「自分は何者でもない」という悩みが貼りついている感じで。私は16歳で仕事を始めたんですけど、27歳で結婚するまでずっと、「自分には何ができて、何ができないのか」という試行錯誤と闘い続けていた。そのストレスは、相当なものがありましたね。
10月31日から公開の『映画 すみっコぐらし 空の王国とふたりのコ』では、“ひとりで頑張りすぎてしまう子”がテーマとなっていますが、私も当時は「助けて」「できない」という弱音が吐けなかった。私のまわりはみんな、その仕事がやりたくてたまらなくてこの世界に入った、という人ばかりでしたから。本当に苦しかったですね。
©2025 日本すみっコぐらし協会映画部
だから、物語に登場する空の王国の「おうじ」の孤独に、すごく共感してしまいました。父親である「おうさま」の力になりたいんだけど、何をどうしたらいいのか分からない。スキルもない。それでも頑張りたくて、必死に一歩踏み出そうとする姿は、過去の自分を見ているようで、心に染みて染みて。だけど「助けて」と言っていいんだよ、「できない」と言っていいんだよ、そして助けてくれる人はきっといるから。そんな切なる思いを込めながら、ナレーションを吹き込ませてもらいました。
子どもたちには“好き”を追求する力を蓄えてほしい
でもそうやってもがきながらも、さまざまなお仕事を経験させてもらっていくうちに、自分は何が得意で何が苦手なのか知っていくことができたと思います。私の場合は幸運にも、“なりたい自分”が見つかる前から、そうなっていける機会を与えてもらえた。だけどこれはかなり特殊なことで自分の子どもたちには当てはまりません。皆、日常の暮らしの中で、自力で、自分の得意なこと、苦手なものを発見していかなければならない。だからこそ子どもたちにはそれをつかみ取れる人になってほしい、そう思いながら子育てしています。お母さんの人生は参考にならないので、「いろいろな人から話を聞いてごらん」と伝えているんです。
そのうえで、「好きなことはどんどんやってみればいい」とも言っています。もちろん苦手なことも、ある程度はできるようになったほうがいい。でもそれ以上に、“好き”を追求する力を蓄えるほうが大事だと私は思っていて。そのほうが、これからの時代を生きていくうえで絶対に強いと思うんですよね。
©2025 日本すみっコぐらし協会映画部
子どもたちは今、上の娘は大学1年、下の息子は中学1年になりました。娘はもう大人なので、自分の好きなものがしっかりと分かっている。そのうえで「この勉強がしたい」と大学は自分で選びましたし、趣味も持っていて、そこにまい進もしています。算数が苦手で、今でも数字に弱いところはありますが、好きなもの、得意なものが分かっているので、「私はこういう人間だから」と自己承認できているといいますか。のんびり屋さんですけど、自分の芯をしっかり持っているようなので、親としては「良かった」とちょっとホッとしている次第です。
一方、息子はまだ中学生で、思春期らしい繊細なところもあって。もうしばらく成長を見守りながら、慎重にサポートの声がけをしていけたらなと思っています。息子が小学校1年のとき、一緒に河川敷を散歩していたら、地元のサッカーチームが練習をしていたんですね。それをジィーッと見ていたので、「入ってみない?」と声をかけてみたところ、息子は「うん」とうなずいて、その後6年間ずっと続けたんです。そのチームは中学生になると卒業になるのですが、今でも同級生仲間とときどき顔を出して練習しているほど。そうやって、自分なりに自分の居場所を作っているよう。そこからまた世界を広げていってくれたらなと、そっと願っています。
本上まなみ
1975年5月1日生まれ。東京都出身、大阪府育ち。俳優として多数の映画、テレビ、CMなどで活動。近年の出演作に映画『リバー、流れないでよ』、連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)など。また『newsおかえり』(ABC)では火曜コメンテーターを担当している。エッセイストとして書籍も多数刊行しており、最新刊に『みんな大きくなったよ』(ミシマ社)がある。2002年に結婚、1女1男の母
『映画 すみっコぐらし 空の王国とふたりのコ』 ©2025 日本すみっコぐらし協会映画部
『映画 すみっコぐらし 空の王国とふたりのコ』
2019年に初めて劇場アニメが公開されて以来、2023年に公開されたシリーズ第3弾まで累計観客動員数が300万人を超えるなど、大ヒット映画シリーズに成長。今作では、雨続きのすみっコたちの町に、空から〈おうじ〉と〈おつきのコ〉がやってきて、新たな物語が始まります。深刻な水不足に陥っている王国を救おうと、一人で頑張っているおうじ。すみっコたちが加わって、雲の上の大冒険にいざ出発! ナレーションを務めるのは、今作も井ノ原快彦さんと本上まなみさん。10/31(金)から全国ロードショー。
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HM 笹浦洋子/STY 吉村由美子/衣装 humoresque/アクセサリー SOURCE/カメラマン 柏原力
