短歌が「省略」しているものとは(歌人・川野里子)【NHK短歌】
「NHK短歌」テキストより、短歌の読み解きと魅力の解説をご紹介
2024年度『NHK短歌』の講座「 “私”に出会おう ~2年目の飛躍~」では、昨年度から引き続き川野里子(かわの・さとこ)さんが講師を務めます。
言葉は望遠鏡や顕微鏡のようなもので、これまで見えなかったものを見えるようにし、見慣れた日常を不思議な世界に変えて新しい「私」を発見する力を持つのだ、と川野さんはいいます。初めて短歌に挑戦する方も、これまで短歌に親しんできた方も、楽しみながら飛躍を目指していきましょう。
今回は「短歌が省略しているもの」についての解説と、さまざまな短歌読み解きをご紹介します。
短歌では普通の文章ならば説明すべきところを省略することがあります。短い詩形だからやむなく言葉を節約する、ということではありません。そうではなく、省略は一つの大事な技法なのです。あえて説明すべき部分を省略し、描くべきものを描かないことによって飛躍し、日常を超えた詩的な本質に迫ろうとするのです。早速見てみましょう。
まず、一語を省略している作品です。
「それは灰」と誰かが言へば骨ひろふ箸の先にて祖母くづれたり
梅内美華子( うめない・みかこ)『夏羽』
この作品では「祖母くづれたり」が印象的です。普通の文章では通用しない表現です。祖母の骨がくずれた、というべきところを「の骨が」が省略されています。この省略によって読者は祖母の全てが崩れたように感じます。省略によって目の前の骨を飛び越えて祖母の存在、身体(からだ)、人生、そうしたすべてが思われるのです。こうした一語の省略は、より物事の本質に迫るための技法だと言えるでしょう。
また、物だけを挙げて説明を省略した作品もあります。
灰色のセダンとムラサキハナダイコン ただそれだけの暮らしがしたい
土井礼一郎 (どい・れいいちろう)『義弟全史』
「灰色のセダン」と「ムラサキハナダイコン」だけが示されている上の句が印象的な作品です。物が二つ提示されただけでそれがどうしたのかは書かれません。しかし下の句を読むとそのような物が象徴するような生活がしたいのだと分かります。灰色のセダンは目立たない家族向けの車、そしてムラサキハナダイコンは路傍(ろぼう)に花咲く雑草です。誰の目にも止まる事のない慎ましい生活が思われます。それが作者の願いであり、もっと思いを深めれば人間の生活についての一つの理想なのかもしれません。ここでセダンやムラサキハナダイコンについて説明をしないことはかえって読者の想像力を喚起し、それぞれの物の映像や意味、そして雰囲気を共有することになるのです。
川野里子(かわの・さとこ)
1959年大分県生まれ。「かりん」編集委員。歌集に『王者の道』(若山牧水賞)。『硝子の島』(小野市詩歌文学賞)、『歓待』(讀賣文学賞)など。評論に『幻想の重量-葛原妙子の戦後短歌』(葛原妙子賞)、『七十年の孤独-戦後短歌からの問い』など。
◆『NHK短歌』2024年7月号「“私”に出会おう」より一部抜粋
◆文 川野里子
◆トップ写真 ©Shutterstock(テキストには掲載していません)