ルーツは「府中」にあった!「TM NETWORK・小室哲哉さん」登場!
東京の多摩地域にお住まいの方、出身の方もそれ以外の方にも楽しんでいただきたいという番組。
MCは土屋礼央さん(国分寺市出身)&林家つる子さん(八王子市の大学出身)。
今週のゲストは、「TM NETWORK・小室哲哉さん」(府中市出身)!番組ではこれまでにTM NETWORKから木根尚登さん(2023年4月)と宇都宮隆さん(2023年11月)がご出演。いよいよ御大のご登場とあって土屋&つる子は大興奮!小室さんのなかなか聞けない貴重な話ばかり!必聴です!
音楽のルーツは「府中」にあった!「TM NETWORK・小室哲哉さん」(府中市出身)登場!
念願だった「小室哲哉さん」登場!
土屋:今週のゲストのご紹介です、小室哲哉さんです!よろしくお願いします!
小室さん:はい、よろしくお願いします。小室哲哉です。
土屋:この番組、「木根尚登」さんと「宇都宮隆」さんに来て頂いて。
小室さん:そうみたいですね(笑)。もう来ないわけには行かない(笑)。
つる子:(笑)。
土屋:嬉しい。お二人は何か聞いていましたか?
小室さん:いや、全然聞いてないです。
土屋:特殊な番組でして。音楽の話はもちろんなんですけど、基本、多摩地域のことだけを話すということで。
小室さん:わかります。完全、地元にいる感じで。
つる子:嬉しいです。
土屋:皆さんご存知の通り、「小室哲哉」さんは、「木根尚登」さん、「宇都宮隆」さんと「TM NETWORK」を結成し、1984年にデビュー。TRF、篠原涼子さん、安室奈美恵さん、globeなどなどのプロデューサーとして大ヒットを連発。
つる子:TKサウンドは、私の青春そのものです!踊り狂っておりましたっ!!
小室さん:(笑)。
土屋:みんなが小室さんの音楽を通って大人になっていったという。
小室さん:ほんとに、好き嫌い関係なく無理やり聞かせてましたから(笑)。
つる子:いやいやそんな(笑)。
土屋:街中を歩いていれば聞こえてきましたから。
小室さん:そうですね、そうなんですよね。
小室哲哉さんは「府中市」出身!
土屋:ただ、この番組は音楽番組では無くて、“多摩”の番組なので。確認だけさせてください。小室さんは1958年11月27日生まれで、ご出身はどちらですか?
小室さん:正確に言うと、生まれは世田谷なんですよね、三軒茶屋で。小学生の時に「府中市」に移っちゃったので。小学校から「府中」ですね。
土屋:ということは、記憶としては「府中市」の小学校のからですか?
小室さん:そうですね、「府中第5小学校」なんですけど(笑)。それくらいから記憶がはっきりしてきてますね。
土屋:どこまで聞いていいのか・・・「府中市」のどこらへんですか?
小室さん:JR「南武線」があって、僕らの頃は駅が無かったんですけど、ここ数年で駅が出来たらしいんですよ。そこがいちばん近いですね。「府中」の「分倍河原駅」と「谷保駅」の間がすごく長くて。その間があまりに長いので、新しい駅を作りたいという話が20年以上あったらしくて。今、駅が出来ているらしいですよ(※西府駅)
土屋:なるほど。今は「府中駅」とか栄えていますけど、小室さんがいらっしゃった当時はどんな景色でしたか?
小室さん:うーん、工業都市ですね、完全に。
土屋:そうですか。
小室さん:「NEC」さんがあったり、「東芝」さんがあったり、「サントリー」さん、「キューピー」さんなど、大きな所がたくさんあって。学校の友達も、お父さんがそういうところに勤めていて。
土屋:小室家はどんなご家庭だったんですか?
小室さん:うちの父は普通のサラリーマンで。僕が小学校の時代に有名な「3億円事件」があって。
土屋:「府中刑務所」のあたりだ!
小室さん:それくらいの年恰好のお父さんは全員聞き込みをされているという(笑)。
土屋:うちの父もです!
小室さん:似てる似てない関係なく(笑)。
土屋:みんなに声をかけていて。少しでも可能性があればと。
小室哲哉さんと浦沢直樹さんは府中4中の先輩後輩!「20世紀少年は当時の府中の景色」(小室さん)
土屋:小室さんの当時の遊び場はどこら辺ですか?
小室さん:「府中第5小」「府中4中」もあまり変わらないんですけど。「府中4中」になると、漫画家の「浦沢直樹」くんが「府中4中」の1つ後輩なんですよ。
土屋:そうなんですね!
小室さん:「浦沢直樹」くんの「20世紀少年」という漫画があって、その冒頭の10ページくらいは「府中4中」の僕たちのことが描いてあるんです。
土屋:ええ!?そんな意識で見てなかった!
小室さん:本当に「府中4中」が描いてありまして。僕、放送部だったんですよ、中3の時は放送部長だったんですよ。その放送部長のところに「浦沢直樹」くんが<T・レックスの20世紀少年をかけてください!>って。それは僕は後から知ったんですよ。で、「浦沢直樹」くんも後から<あ、小室さんだったんだ>っていう感じで。
つる子:ええ!?
土屋:漫画の中では20センチュリーボーイをかけていましたよね?
小室さん:そうです、かかったんです。
土屋:本当の話なんですね!!!
小室さん:本当の話です。
土屋:もう1回読もう!
小室さん:読んでもらえれば。そっくりそのまま描かれていますよ。
土屋:じゃあ「浦沢直樹」さんの「20世紀少年」の、あの景色が・・・
小室さん:あの景色が、あの頃の「府中」の景色ですね。
つる子:へえ。
土屋:「20世紀少年」が大阪万博の話が出てくるから、あまり「府中」という意識では読んで無かったです。
小室さん:だから「ボウリング場」が出てきたりするんですけど、そこもよく行ってましたし。
つる子:「20世紀少年」は小室さんからしたら懐かしい光景だったんですね。
小室さん:なによりも写実というか、しっかり描いてくれていて。
土屋:そうなんですね。放送部だったということは、音楽への意識があったということですか?
小室さん:ありました、ありました。放送部だと自分が好きな曲を昼休みにかけられたりとか。
土屋:そういう理由で放送部に。
小室さん:そうです。月曜日に朝礼を休めるとか。
つる子:(笑)。
小室哲哉さん、シンセサイザーとの出会い
土屋:音楽への興味を持ち始めたのは、いつくらいからだったんですか?
小室さん:それはもうずいぶん前ですね。でも、作曲家になろうかなと思ったのは、「府中4中」の2年生の時です。その時の音楽の先生に勧められたんです。
つる子:ええ!?
小室さん:なるべく短く話すと、授業で縦笛の作曲の練習があって。簡単なものですけど全員に書かせて。それを先生が無記名で集めたものをパラパラと見て。で、<1人、すごい子がいるよ!>って。<誰だかわからないけど、この子はすごくなるかもよ>みたいなことを言ってくれたんですよ。
土屋:それで・・・
小室さん:先生が黒板に書いてピアノを弾いて、今日の授業はおしまいって。そうすると、譜面を通してその先生と僕は繋がっていたんですよ。先生は名前は誰だかわからない。
つる子:うわ!!
土屋:あ、そうか。譜面を黒板に書いたから、これは僕だってわかったわけですね。
小室さん:ここは記憶が定かではないんですけど、後で先生を追っかけようかなと思ったかもしれないですね。たぶん、言えなかったと思います。
土屋:そこで、短いながら作曲はしたならば、それまでも作曲的なことはしていたんですか?
小室さん:してましたね。
土屋:それは誰かの影響ですか?
小室さん:うーん、なんだかんだ3歳からヴァイオリンをやっていたんですよ。音楽は好きだったんですね。
土屋:それはご両親の影響ですか?
小室さん:そうですね。
土屋:それでクラシックやヴァイオリンをやっていらっしゃって。でも、小室さんというとシンセサイザーの印象が強いですけども。それはいつ、どこら辺で出会ったんですか?
小室さん:それは「府中第五小」の6年生の時に親にワガママを言って大阪万博に連れて行ってもらって。いまだに「浦沢直樹」くんは<僕は行けなかったんだよねー>って(笑)。
土屋:だから漫画の中で(笑)。
小室さん:「浦沢直樹くん」の方がもっと入り込んでいて行く気満々だったみたいですね。いまだに話はよく出ますね。
土屋:じゃあ、大阪万博で最新の楽器、シンセサイザーに出会って。どうでした?どういう感覚でした?
小室さん:もちろん買えるわけないし、どうやってやったらいいかもわからないので、雰囲気だけ覚えていて。そこから2年くらい経ってからシンセサイザーが発売になったんですよね。高校1年くらいだったかな。
土屋:学生が手を出せる金額ではないですよね?
小室さん:廉価版が出て、その1号機を買ったんですよ。
土屋:それはご両親にお願いしてですか?
小室さん:いや、家にあるモノをテキトーに売っちゃったりとかして。
つる子:(笑)。
土屋:え、自分のモノではなくて、ご家族のを・・・?
小室さん:そうですね。ステレオとか(笑)。
小室さんの多摩の思い出~谷保天満宮、日原鍾乳洞
土屋:ご家族でどこかに出かけるという時はどこら辺でしたか?
小室さん:小学校の頃は、府中の有名な神社「大國魂神社」があって「くらやみ祭り」を経験したと思います。子供ながらにすごく怖かったような、、、。お化け屋敷もあったし。
土屋:そうやって、小室さんは多摩を愛しながら音楽の道に進んで行って。「木根尚登さん」「宇都宮隆さん」と出会うのはいつですか?
小室さん:僕が高2、高3くらいだと思います。
土屋:小室さん、高校はどちらですか?
小室さん:僕は「早稲田実業」です。
土屋:ああ、そうだそうだ。
小室さん:やっと新宿に出れたんです(笑)。「府中」から早稲田まで通っていて。2人とは学校はまったく違って。で、集まる楽器屋さんが「中央線」沿線だったんですよ、「国分寺」とか。あと、「八王子」もあったかな。「三鷹」とか。沿線の楽器屋さんが溜まり場だったんですよ。
土屋:そんな小室さんが番組の事前アンケートにご記入いただいて。“多摩の魅力”の項目に、ご回答が色々とあって。「谷保天満宮」も行かれていたと。
小室さん:そうですね。先ほど話したように、JR「南武線」の「谷保駅」は一応、最寄駅なんですよ。大晦日からみんなで歩いて。鳥居をくぐると崖になっているんですよ。下っていく神社って珍しくて。
土屋:あ、言われてみれば、そうですね!
小室さん:普通、上りますよね。
土屋:「甲州街道」から見えないですもんね。
小室さん:見えないです。その下に「NEC」の工場が広がっていて。そこが、映画「未知との遭遇」みたいで、よくUFOが見える!みたいな話があったんですよ。
土屋:あと、レジャー施設にも行かれていたんですよね?
小室さん:そうですね。ちょっと遠いですけど、「よみうりランド」とかは行きましたし。あとは「サマーランド」とか。ちょっと遠出といえばそこらへんですね(笑)。
つる子:小室さんも行かれていたんですね~。
小室さん:あとは、「日原鍾乳洞」ですね。
土屋:あ、知らない!そういう所があるんですか。
小室さん:ありますよ。JR「青梅線」で終点の「奥多摩湖駅」まで行って。ちょっと冒険みたいな感じで。あとは逆に<新宿まで行っちゃおうか!>って、府中から(笑)。今だったら20分くらいなんですけどね(笑)。でも、冒険ですよ。
小室哲哉記念ホール前の年表を見て「この人、生きてるの?って言われる(笑)」
土屋:小室さんが通われていた早稲田実業が今、「国分寺」に移転されていて。
小室さん:そうですね、2001年くらいですね。
土屋:そこで、「小室哲哉記念ホール」が!
小室さん:そうなんですよね。今、「早稲田実業」は初等部から男女共学で。僕らの頃は信じられないですけど(笑)。詰め襟の学ランで、男子校バリバリだったんで。今は男女共学の初等部からで。記念ホールを建てた時に僕の手のブロンズ像がホールの前に置いてあるんですよ(笑)。そこに年表があって。僕の知り合いのお子さんが<お父さん、この人生きてるのって?>って言われることがあるんですけど(笑)。
つる子:(笑)。
土屋:もう歴史の人みたいですよね。
小室さん:そろそろ年表を新しくして欲しいなって(笑)。
土屋:そして、グラウンドは「王貞治」さんが・・・
小室さん:そうですね。「王貞治」さんは大大大先輩なんですけど、グラウンドを寄贈されていて。僕は講堂、音楽堂を寄贈して。
つる子:すごい!
土屋:そして、「早稲田実業」は小室さんにとって大きな存在ですか?
小室さん:もちろん大きいです。いまだに大きいです。実業界にすごくいろんな方が出ていますし。
(TBSラジオ『東京042~多摩もりあげ宣言~』より抜粋)