【グラマラス・ロック列伝】V系専門誌「Vicious」初代編集長が語る “音楽とメディア”
音楽雑誌は格好の情報提供媒体だった1980年代
シンコーミュージックの雑誌編集者として、『バックステージ・パス』(B-PASS)から離れ『Vicious』を立ち上げるまでの数年、映像関係のスタッフと知り合う機会がありました。1960年代後半の子供の頃、フジテレビ系列で放送されていた洋楽番組『ビートポップス』などでロックに目覚め、ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』やドキュメンタリー映画『ウッドストック / 愛と平和と音楽の三日間』といった音楽と映像の融合を見ていたので、その方向に自然と興味は向かって行きました。
1980年代初頭には、音楽と映像の画期的な出会いとブームを作ったMTVがアメリカで開局し、80年代後半には日本初の音楽専門チャンネルSPACE SHOWER TVやWOWOWといった多チャンネル時代も、その黎明期を迎えます。番組はまずは企画から── となると、音楽雑誌は格好の情報提供媒体ということで、様々な企画雑談の場に呼ばれます。洋楽雑誌のギタリスト人気投票にフォーカスし、20年間を通してのベストギタリストをカウントダウン式に発表する企画。昭和の『勝ち抜きエレキ合戦』の平成版。ラジオ番組の映像化── などなど、音楽と映像を密度の濃い情報で結びつけることで、より立体的に楽しめるようにしたのです。
Gackt、SIAM SHADEらが出演した「Radio Veep」
1993年に『Vicious』がスタートして数年後、毎週金曜の夜2時間の生放送ラジオ番組というお話をエフエム富士からいただきました。(その後時間枠が移動し2000年4月1日から土曜日深夜0時〜3時に拡大)当然雑誌の取材話やホットなライブレポート、ゲストアーティストを迎えての雑談、気になったバンドの音源紹介などなど、紙媒体では伝えきれない情報やウキウキ感や感動を、相方の女性パーソナリティと共に、『Radio Veep』のタイトルで4〜5年間喋り続けました。サテライトスタジオだったため、人気ゲストの際は順番に並んだリスナーがガラス張りのスタジオの前をゆっくり歩き観覧していく── という動物園のパンダ状態になったこともあります。
逆に、生でトークをする姿が珍しかったGacktのようなゲストは録音を使用… という体でカーテンを閉めてひっそり生放送したことも。また土曜深夜なので他の局に出演したRaphaelが帰りに突然訪れたり、お台場でSIAM SHADEのライブを観たスタッフが渋滞に巻き込まれ、橋の途中で下車し徒歩+電車でスタジオに向かい、オンエア数秒前に到着した── という緊迫感に満ちた放送もありました。
リアルタイムのスピード感はラジオ、雰囲気を味わうのはテレビ
その頃は年200本以上ライブに行って様々なバンドを観ていたので、面白かったバンドには声をかけて音源を入手していました。メジャーバンドの新曲からコアなバンドの音源まで “個人の好み” を基準にかなり好き勝手にオンエアしていた記憶があります。
その後、テレビでもU局をネットした番組『TV Veep』を制作。毎月の表紙巻頭取材の際、撮影風景やアーティストコメント、ミニインタビューをビデオクルーが撮影。生の空気感や音源、プロモーションビデオはテレビで、インタビューはじっくり雑誌で楽しんでもらおう──という作りにしました。リアルタイムのスピード感はラジオ、雰囲気を味わうのはテレビという感じで。
雑誌+ラジオ、テレビという布陣を組んだのは、文字で読んで、音を聴いて、動く姿を観たいという極シンプルな欲求から。そのためには雑誌主体で汗をかき、それぞれの媒体スタッフを “みんなで楽しいものを作ろう!” という流れに巻き込んでいけば、相乗効果が出るのはもちろん、アーティストの賛同も得やすかった。取材はスタジオだけではなく、屋外、和風旅館、廃屋、遊園地、映画館、離島… と様々。環境の変化でアーティストの表情やコメントが劇的に変わっていくのが実に面白かったなあ。